夜のお茶会(1)
いつぶりだろうか。
三人集まって、食事。
電車の外で似たような民家がいくつも流れていくのを見ながら、みゆきとゆう子に最後に会ったのはいつだったか、記憶をさかのぼった。
直近だとたしか、二年くらい前だ。つい昨日のことのようにも、前世くらい遠い過去のようにも思える。
社会人になって四年目の春に、みゆきの家に集まった。みゆきは出産したばかりだったから、まだ歩けない赤子を抱えて、もしくは夫に子を預けて友人と外食をする余裕はない。だから日曜日の昼下がりに、みゆきの家に一品持って、集まったのだ。みゆきが出産するまでは、三人で集まるのはレストランか赤提灯の居酒屋だった。
キャンバス地のトートバックには、昨日の夜に作ったウィークエンドシトロンが入っている。レモンのはちみつ漬けをたっぷり使った、ずっしり重い、パウンドケーキ。昔からきれいな柄の包装紙や箱、袋をとっておくのが習慣になっていたから、かつてのコレクションから引っ張り出したウィリアム・モリスのテキスタイルのような細かい連続した花柄の包装紙で包んだ。
二年前に持って行ったのは、なんだっけ。ああ、たしか、適当にごま油と塩昆布を揉み込んだザク切りキャベツだ。洗ったばかりのタッパーに入れて、持って行った。
プラスチックのタッパーは、毎日深夜に帰宅していたわたしの食生活を第一線で支えていた。皿に盛っている暇もない。盛る必要もない。食べられれば、なんでもいい。包丁とまな板を使うだけで、じゅうぶん、わたしはえらい。
だから、ラッピングをしようという発想にもならなかった。むしろ、一品持ち寄りさえ億劫だった。どうせ休日出勤だし、出版社の最寄りの駅なかで、チェーン店の安い惣菜でも買おうかとも思った。けれど、ゆう子も同じ惣菜屋で買った小さなオードブルを持って行くと連絡が入って、やめた。本当はザク切りキャベツだけを「居酒屋メニューかよって感じだけど」という自虐的なせりふと共に持っていこうと思っていたが、みゆきの家へ向かう途中にシュークリーム屋があるのを見つけて、それも急遽、三つ買った。
電車の外で、冷えて透明になった冬の夜が流れていく。ドアの窓には、ぼんやり立つ自分が浮いたり沈んだりしている。
そういえばあの日、毎晩更新されるお気に入りの芸人の動画を流しながら力任せにキャベツを切っていたら、振動でスマホが落ちて、あたりどころが悪く、画面が割れた。
そのヒビは、まだ入ったままだ。文字や画像は問題なく映るし、なんとなく直さないまま、二年も過ぎてしまった。
わたしとみゆきとゆう子は、同じ大学で、ゆう子はわたしとみゆきより三歳年上だった。休学と留学を続けて気づいたら同級生は全員卒業して、三年も長く大学にいたわ、と笑っていた。
社会学を選考していたわたしたちは、必修科目のフィールドワークのグループ分けで出会った。入学したばかりの一年生が教室のほとんどを占め、誰もかれも、ゆげが出そうなほど浮き足立っていた。
わたしは地元を出て友人も知人もいない大学に入学してすぐ、滑り出しに失敗した、と思った。教室ではすでに、いくつかのグループができていたのだ。
「みんなネットでグループとか作って知り合ってるって、大学に入って知ったよ。入学する前からそんなふうに仲良くなる方法があったなら、先に教えてほしかったなあ」と、みゆきが紙パックのコーヒー牛乳にストローをさして飲みながら食堂でふてくされていたことがある。
何回かの授業を経て、いよいよグループ分けの日がやって来た。フィールドワークでは、3人から5人で一組のチームを組まなければならないことが告げられた。すると、離れて行く小舟に、我先に飛び乗るように、あちらこちらで「よろしくね」と確かめ合っているグループが、どんどんできていく。
わたしは教室の後ろのほうで、おでこのまわりがじっとり熱くなるのを感じた。
誰かと組まないと。
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