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夜のお茶会(3)

前回のお話

 その城に初めて足を踏み入れたのは、二年前。

 あり合わせのザク切りキャベツを黒いバックパックに押し込み、間に合わせのシュークリームを提げたわたしと、両手にオードブルとりんごジュースを持ち、日曜日にもかかわらず仕事帰りのヒールで駆けつけたゆう子は、最寄り駅で待ち合わせて、一緒にみゆきの家へ向かった。

 ゆう子は「結婚した友達の家に招待されるの、初めてかも」と、めずらしく頬を染めていた。

 都心部から三〇分ほど電車に揺られ、最寄駅から十五分ほど歩くと、行儀のいいクリーム色の一軒家に到着した。

 「これが、みゆきの城か」

 日曜日の、まどろむ日差しを浴び、雨風を知らない出来立ての家を見上げ、わたしがつぶやくと

「すごいのどかな場所。同じ東京とは思えない」と、ゆう子は目を細めた。
 
 そうだ、ゆう子も都内の一等地に、マンションを借りて住んでいる。

 女優やモデルも住んでいるらしいそのマンションの住人であるゆう子もまた、城の主だ。

 当時、わたしは会社から自転車で通える距離にある、二階建アパートの一階に住んでいた。

 広くはないが大きめの窓がいくつもあり、冬でも日差しが入ってあたたかく、誰にも侵されない、小さなオアシスだった。

 同じ授業を受けて、同じ食堂で食事をし、同じ大学を同じタイミングで卒業したのに、目の前のクリーム色の一軒家は、わたしのともだちが住んでいるようには見えないほど、ととのいすぎていた。

 インターホンを押すと、生まれたばかりの息子を胸に抱き抱えたみゆきが出てきた。

 「お疲れー。遠かったでしょ。どうぞどうぞ」

 色白なのと、歌うように軽やかな声は変わらない。少しホッとした。みゆきは、すぐにゆう子の荷物を引き取ろうとし、

 「大丈夫だよ、リクくん抱っこしてるじゃん、中まで運ぶから」

 と、ゆう子はヒールを揃えて脱いだ。

 「仕事だったの?」
 「そう、軽い打ち合わせ」
 「休みなのにいそがしいね」
 「まー、好きでやってるから」
 
 ここに適当に置くねーと、ゆう子はいつの間にか台所に立ち、持ってきたオードブルを取り出している。

 みゆきも気にしている様子はなく、柿渋染の木綿のスリングに、すっぽりとおさまっている息子の背中をぽんぽんと叩きながら「ありがとー」と言う。

 家というのは、それぞれのにおいがする。

 人の家のにおいは、畳のにおいだったり使っている洗剤混じりのにおいだったりして、そのほとんどに、住人は気づかない。

 無防備だ。

 けれど、みゆきの城は、においにも隙がない。

 どこまでも手入れが行き届いている。

 靴を脱いで、一歩一歩、部屋の奥へ進むごとに、みゆきの胎内に飲み込まれるような心地がした。

 「きれいな家だね」
 「うん、もともとモデルハウスだったから、安かったの」
 「みゆきがこんな城に住んでいるなんて」

 とつぶやいて、すぐ我に帰り「嫌味っぽかったかな」とみゆきのほうを見ると、スリングの中でまばたき一つしない息子の前髪を撫でていた。

 「旦那さんは?」
 「夕方に帰ってくるよ、今日仕事だから」
 「いそがしそうだね」
 「わたしもできるだけ早く仕事に復帰したいから、この子が預けられるといいんだけど。このあたりの保育園って待機児童多いから、なかなか入れないんだよね」

 みゆきは、太陽の反射で消えてしまいそうなほどはかない雰囲気の、残り香こそただよわせていたが、その腕はかつてよりどこか太く、足の裏が以前より地面をしっかりと掴んでいた。

 初めてみゆきに声をかけたときは、強風で飛んでいってしまいそうなほど、弱々しかったのに。

 「わたしも、二人みたいにバリバリ働きたいよ」
 「仕事ばっかりでもね。最近健康のために、ジムに通いだしたの。パーソナルトレーナーがついてくれるやつ」
 「へー! いいね」
 「マンションの近くに新しくできて、気になってたから行ってみた」
 「わたしも出産して太ったからなー運動しないと」
 「七海もいそがしそうだよね」
 「えっ、うん、まあ」
 気の抜けた返事。自分で自分を、心の中で鼻で笑う。

 結婚。出産。新築一戸建て。高級マンション。保育園。待機児童。

 大学生のころは、どんな場所に住もうが、何を着て、どんなバイトをしていようが関係なかった。

 けれど、わたしには、みゆきとゆう子の日常が、海の向こうの出来事のようだ。

 かけ離れた世界に、急に順応せよと迫られているようで、一気に居心地が悪くなった。

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