ごちそう手帖(2)お行儀のよい静岡県産三ヶ日みかん
今年の年末年始は、帰省を控えることにした。移動がリスクを招くなら、両親や、もうすぐ90になろうかという祖母がいる地元へは、気兼ねなく帰れる状況ではない。
さまざまに事情があるだろうから、どうしても帰省しなければならない人や、どこか遠くへ出かけたい人もいる。わたしはその決断に善悪の色をつけられるほど、明瞭な見解を持っているわけではない。間違っているとも、正しいとも判断できない。だからせめて「気をつけて。また会おう」と言う。心と体が健康であることが、いちばんだ、と付け加えて。
北海道に暮らし始めてからも、半年に一度くらいは地元へ帰っていた気がする。だから、今度のお正月を迎えれば、まるまる一年、実家に帰っていないことになる。物理的距離以上に、「つながる」行為の真理と、嫌で向き合わざるを得ない一年だった。そうした不安や思いやりの重なりからか、今年の10月以降、母からの贈り物がいくつか届いた。
そのうちの一つが、静岡県産の三ヶ日みかん。
みかんといえば、愛媛県が名産地。静岡も、みかん市場ではだいたい上位に食い込む。
みかんの原産地はインド。あたたかい地域でよく育つ。2018年の生産量は、トップが和歌山、次に愛媛、そして静岡。どこもランキング上位の常連だ。
北海道では、みかんが採れない。ついでに言うと、こたつの文化もない。「こたつでみかん」は、北海道の典型的な風景ではないのだ、と、こちらに来て、知った。
ある日、母から「なにか欲しいものある?」と聞かれて、「みかん」とリクエストした。それから間も無く、つやつやした、いまにもみずみずしさが弾け飛びそうな文字通り粒揃いのみかんが、ダンボールいっぱいに届いた。
お行儀のよい、一軍のみかんたち。彼らは中サイズだという。
手にとって、皮を剥くと「こんなに薄かったっけ」と驚く。実もぷりぷりに詰まっている。ひとつぶ、さくりとつまんで口に放りこむ。最初に少しの酸味、あとはじゅわっと口の中に広がる甘み。太陽の味。「三ヶ日みかん、こんなに美味しかったけ?」と、たしかめるように、もうひとつぶ、舌の上にのせる。人懐っこい甘さと言えば良いだろうか、食べられることを喜んでいるようで、みかんの全身全霊の甘さがずっと口の中で舞っている。いくつでも食べられる。あっという間に三つ分の、みかんの皮が、花びらが開いたようにテーブルの上に並んだ。
とはいえ、一人暮らしだし、ダンボールいっぱいのみかんを一人占めするのはなんとなく気がひけるし、なにより、いろんな人に食べて欲しいと思った。皮ごと食べられそうなやわらかさと甘さを、「こたつでみかん」の風景がかなわくても、冬の風物詩として楽しんで欲しいと思った。
みかんを配り歩き、その旨を母に伝えたら、後日もう一箱、今度は小サイズのお行儀のよいみかんたちがコロコロ入ったダンボールが、届いたのでした。
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