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オランダの貴重な晴れを満喫せよ #交換留学日記 7


2024年9月30日 雨の洗礼

 雨と風の中、自転車を爆漕ぎ。

 車が接近するとライトで視界が弾ける。

 これが毎日となると、さすがに参りそうだ。大丈夫だろうか。

 さらに、日本から持ってきた洗顔料を共有のバスルームに置いておいたら、昨日の夜から消えてなくなった。

 まだ数ヵ月分くらい残っていたのに……。

 どこへ行ったのか。

 パッケージは日本語だし、ルームメイトに日本人はいないから使い方は分からないはずなのだけど。

 周りを疑いたくないが、盗ったなら返して欲しい。

 早く戻ってくることを祈る。

2024年10月1日 郷に入っては郷に従うべき?

 受講している授業は、現在3コースあるのだけれど、文化人類学をラトビア大学で学んでいたときと、使うテキストの構成や、使われる英単語の違いが興味深い。

 いまの専攻だと、社会学や心理学に近く、統計データを参照することが多い。

 3コースのうちの一つが「Understanding Prejudice(偏見を理解する)」なのだが、たくさんのセオリー(学説)が出てくる。

 さまざまな国や文化、歴史がジグザグしながら編み込まれていった結果、人種や人権、偏見、差別に対する議論も活性化していったヨーロッパ。

 先人たちが積み上げたセオリーは、あまりにもうつくしい型に仕上がっていて、過去の議論の厚みに感服するとともに「一生議論し続ける」ことへの途方もなさに呆然ともする。

 議論しても議論しても、成熟しない視座、なくならない偏見、繰り返される暴力。

 日本よりマシだと思うこともあれば、日本のほうがマシだと思うこともある。

 最近、講義で取り上げられたセオリーの一つに、「フランスに来たなら全員フランス語を話すべき」という姿勢も偏見の一部だという解釈があった。

 オランダは確かに英語フレンドリーだが、英語が話せるからといって仕事や暮らしが楽になるわけではない。やはりオランダ語が必要になる場面は多いし、郷に入っては郷に従うべしと疑いなく信じていた自分もいる。

 これはヨーロッパに限った話ではなく、日本国内でも大事にしている姿勢だが「郷に入っては郷に従いなさい」と相手を支配し、服従させようとすると話は変わる。

 日本にも海外からのお客様が増え「日本人以外お断り」と警告するお店もあると聞く。

 もちろん、異文化による誤解で散々な目に遭うこともある。

 さまざまな事情があるのだとは思うけれど、そもそも日本人とは誰を指すのか曖昧だし、「お断り」を宣言したお店側の正義を正当化している時点で、その正義に見合わない人は、日本に敬意がある人も含めて排除されていることを自覚しなければならない。

 さらに、排除すれば排除されるし、暴力を振るえば暴力を振るわれるということも、忘れてはいけない。

 「私たちは一体何を学んできたの」と、絶句する出来事があまりにも多い。

 誰も傷つけずに生きていくことはできないけれど、せめて、自分の正義を振りかざしそうになったら、その正当性に疑問を持てる、ブレーキを踏める人でありたいです。 

2024年10月2日 歩み寄りは自分から

 今学期前半、グループプレゼンテーションを2つ控えていたのだが、その一つを無事終えた。

 人前に立つと緊張して、口が回らなくなるのだけれど、メモをあらかじめ用意しておいたら、口は相変わらず回らないが、焦って「何を言っているんだっけ」状態にならず終始落ち着いて話すことができた。

 一つ終わると、また新しい課題がやってくる。

 突然、ラトビア大学から届いた「修士論文のプロポーザルを提出せよ」というメール。

 そうでした、ラトビア大学は、こちらから情報を取りに行かないと、ほとんど何も教えてもらえないんでした。

 ユトレヒト大学は、International students(日本語で書くのに違和感があるので英語で)に対する窓口や対応が安定している印象。受け入れている学生数があまりにも違うから、当たり前なのだろうけれど。

 この前は、メンタルヘルスに関するアンケートと、「家族に関する悩み相談」「失恋に関する悩み相談」「家や暮らしに関する相談」「漠然とゆううつな人向けの相談」など、何種類にも分かれた窓口がまとめてメールで送られてきた。

 「なんてインクルーシブなの!」と感心したが、それでもまだ不十分だと感じる学生も多いみたい。

 確かに、こうした窓口を利用できる間は、まだ助けを求められるフェーズだから、大丈夫ではなくても、なんとかなるかもしれない。

 助けを求められないところまで、心が落ちてしまう人たちのケアは、いくらメンタルヘルスの研究やサービスに積極的なオランダとはいえ、不足のようだ。

 今期はたまたま、メンタルヘルスに関する講義やテキストに触れることが多く、自助と公助についても考える機会が増えた。

 日本は調和や集団の空気を大切にするマインドセットのはずだが、自己責任論が幅を利かせて他人に冷たいという主張を聞いたことがある。

 その’集団’が、何を指すのか、’空気’は誰のためのものなのかによって、調和の範囲や矛先が変わる。

 相手の気持ちへ想像力を働かせることは良いことだが、想像力を働かせることと言い訳を考えることは別物だ。言い訳の矢印は、相手ではなく自分へ向いているのだから。

 正義を振りかざすまいと考える一方で、自分なりの正義感から思いやりが育まれる側面もあり、同時に思いやりに水を差すようなコミュニケーションも増えすぎているから、やっぱり対面のやり取りを大事にしたいな、と思ったのでした。

 そういえば、昨日、もう一つのグループディスカッションのメンバーが、100人くらいの学生が集まる講義で、わたしを見つけて隣に座ってくれた。

 ディスカッションやプレゼンに、どれくらい貢献できているかは分からないけれど、授業初日に出会った時はガチガチに緊張してまともに会話ができなかったから、少しずつお互いのキャラクターを理解できている感じがして、うれしい。

 この積み重ねを、台無しにしないように、よい学びの獲得とプレゼンができるように、がんばろう。

2024年10月3日 小走りして近づいてきたと思ったら

 久々に天気がいい!

 大学が所有しているボタニカルガーデンへお散歩に。

カメラ持ってくるべきだった……
なんていう花だろう

 わたしがベンチに座って課題のテキストを読んでいたら、隣の席に小走りに走ってきた男性。

 ぴかぴかに日差しが降り注ぐ方に顔を向けて横たわり、昼寝を始めた。

 距離感を気にしない感じ、「オランダは個人主義が強い」と授業で何度も聞くフレーズを、再び反芻した。

 「相手がどう思うか」という想像の矛先は、どうやって向かい、彼らの行動にどれくらい影響するんだろう。

 課題で見つけたテキストの一つに「オランダ人とイタリア人の高齢者のメンタルヘルスを比較した時、家族と同居することに対してイタリア人はポジティブ、オランダ人はネガティヴだ。なぜなら家族というコミュニティは自分で選んだものではない。それなら自分で選んで一人になったほうがいいと考える高齢者が多かった」とのこと。

 すべてのオランダ人に当てはまるわけではないし、わたしも共感するところはある(自分で選びたいという点)。

 でも、すべてを自分で選ぶって、健康でないとできないことでもあるのよね。

 ボケてきたり体が思うようにいかなかったりすると、自分の選択だけが最善ではなくなることもある。

 それについては、どう思っているんだろう?

2024年10月4日 ピクニックへ

 月曜日の雨の記憶が消し飛ぶくらい、良い天気。

 友人と、中心地から近い風車を見に、ピクニックへ。

 川辺で、それぞれ持ち寄ったお菓子をシェアしておしゃべり。

 目的だった風車は、思ったより小さく、しかも中にカフェが営業されていて、周りには幼稚園らしき施設が併設されていた。

川辺に立ち市街地から自転車で15分くらいで行ける
羊や豚が飼育されていた

 風車を一緒に見に行った友人は台湾出身で、ほぼ同じタイミングでユトレヒトに引っ越してきた女性。年齢も一緒、誕生日も数日違いだった。

 心理学の修士を専攻していて台湾ではスクールカウンセラーをしていたらしい。

 波長が合う人と出会えて本当にうれしい。

 ピクニックのあと、市内の図書館で課題をやっていたら「夕ごはん、ちゃんと食べなよ」と連絡が来た。

 どうしても、締め切りが近いタスクがあるとごはんが後回しになること、すでに見透かされている。

ありがとね

2024年10月5日 修士論文のテーマ決め

 早めに起きて大学の図書館へ。

朝の靄がきれい

 金曜日に、スーパーバイザーをお願いする予定だった教授とオンラインで話し、修士論文のテーマを修正することに。

 さらにその教授にはスーパーバイザーをお願いできないことが分かり、他の教授に相談。まだ返事は来ないけど、うまく進むように祈っている。

 修士論文は、紆余曲折あり、古着と環境問題が主軸になりそう。

 結局、自分の興味があるテーマに戻ってくる不思議。

 この前のセメスターでリサーチした生ごみも興味があるけど、オランダでは生ごみを分別するから、自分の生活で課題意識が低くなっていることに気づいた。

 もう生ごみを分別しない生活には戻れない……。紙やプラスチックと捨てるのが生理的に受け付けなくなっている。

 大学にも生ごみ専用のごみ箱がある。

 頻繁にごみ出しをしているのだろうから、気分が悪くなるような臭いはしたことない。

 暮らしの中で納得感があれば、自然と研究対象から遠のくのかもしれない。

 リサーチはもちろん、仕事もなにをするにも、わたしの場合はどちらかというとネガティヴな違和感や「なぜ?」から好奇心に火がつくことが多いんだなと自覚した。

2024年10月6日 勉強の一日

 ちょっと体がお疲れ気味だが、明日からまた雨の日が続くみたい。

 晴れの日を少しでも無駄にしたくなくて、市街地にある大学の図書館へ。

 ユトレヒト大学のキャンパスは、ユトレヒトのサイエンスパークというエリアに集結しているのだが、市街地から自転車で15分くらい離れている。

 市街地にも大学の施設や教室はあって、ちょっとさわがしいけど白が基調で窓もある、市街地の図書館のほうがわたしは好き。

 修士論文のプロポーザルを6割くらい書き上げた。

 夜中に、スーパーバイザーをお願いした教授からも返信が。前向きに考えてくれるようで、一安心。

 テキストを読んでいる合間に、インスタを開くと、ほぼ同じタイミングでユトレヒトに引っ越してきた他の学生たちが、パリやポルトガルに旅をしている写真が流れてきた。

 みんな、試験や課題に追われていないのだろうか……。

 わたしの要領が悪いだけだろうか。

 と、ぼんやり思いつつ、旅行するためにユトレヒトに来たわけではないし、勉強が楽しいから問題はない。

 明日からまた一週間、がんばろう。

 とにかく明日の朝、土砂降りでないことを祈る。せめて小雨であってくれ。

おまけ: ピクニックのようす

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