好かれると開く距離の隙間から16歳の無愛想なわたしが見つめている
高校に入学してすぐ、髪の長さやスカートの長さ靴下の色から卒業後の進路まで、盲目的なルールを一方的に押し付けてくる同時多発の同調圧力のサンドイッチに、わたしの自意識は押し潰されるというより、爆裂した。
とにかく何もかもが気に食わなかった。
そのせいか、部活以外の記憶がほとんどない。教室で過ごした時間の方が長かったはずなのに、何をしていたか、ほぼ覚えていない。
「家が近くて部活を目一杯できる」ことを優先させ、中学の友たちと離れ、自転車で通える高校を選んだ。
中学時代の友人たちの多くが目指す、または通う高校へ行くのなら、わたしは電車通学がマストだった。
入りたい部活もなかった。それに、夜遅くまで部活をやってから家に帰るイメージが、あまりわかなかったから。
自分で選んだ学校だったのに、入学して数日で失望したことが、なにより悲しかった。
考える前に従わせようとしてくる指導から逃れ、何かに反発しないと、立っていられなかった。同時に、有無を言わせない方法も考えた。
絶対に学校を休まず、成績こそ大した結果ではなかったけれど、悪目立ちしない程度にがんばった。
文武両道を体良く謳う高校の、かりそめの自由を取り繕うやり方すべてに身の毛がよだつ思いがした。
押し付けられるものを否定して、自分の好みや心地よさを初めて理解したと言ってもいい。
いま思えば「そんなに切羽詰まらなくてもいいのに」と、たしなめたくなるほど、高飛車な高校生だった。
なにせ同級生に対して「学校にまんまと洗脳された哀れな犠牲者たち」としか思っていなかった。
だから、高校に入学したばかりの頃、J──名前を忘れてしまったが、たしかJから始まる名前だったので便宜的にJと呼ぶ──が、わたしを好きだと言ってくれたときも、無愛想を貫いた。
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