秋学期終了、ドイツとデンマークへの一人旅 #ラトビア日記 22週目
2024年1月22日 課題終わった〜!
やっと平熱に戻った。
とはいえ、立ち上ったり座ったりしていると、少しめまいがする。
横になっている時間が長かった影響だと思う。
1本残っていたエッセイを仕上げ、ぜんぶ提出完了!
これでやっと、わたしの秋セメスター2023が、終わった。
とはいえ、来週からはもう春セメスター2024が始まるのだけれど……。
ねぎらいに、外でなにか美味しいものでも食べたいなーと思うが、作り置きのキャベツの味噌炒めが残っているので、それを食べる。
旅の前は、計画的に冷蔵庫を空っぽにしなければならないからね。
明日は久々に、ちょっと外に出てみよう。
2024年1月23日 成績の進捗
風邪をひいていた期間が、途方もなく長かったように感じる。
久々に外出。特に目的もないが、外に出てみた。
しばらく歩いていたら、疲れてしまった。
寒さは、いつもよりやわらいでいたけれど、たくさんの人たちの中を歩くだけで、ちょっと消耗してしまった。
病み上がりで疲れやすくなっただけ……だよね?
最終エッセイの講評が2本、早速帰ってきた。
どちらも、コースチーフディレクターからのフィードバック。
彼女は、わたしが日本にいる間からもメールのやり取りをし、ラトビアに来たばかりのころ不安になっていた自分を気にかけてくれた先生。
どちらも思っていたより高評価で、うれしい。
特に2本のエッセイのうち1本は、マルクスの『資本論』がベースの小論文。
「経済構造の変容は文化にどのような影響を与えるのか」というテーマで、絶対に時間がかかるからと年末から取り組んでいたものだった。
まだまだ不足している要素はあるけれど「興味深く読みました」とポジティブな感想付きで、うれしかった。
エッセイに関して何のコメントもない先生もいるから、何が良くて何が改善点なのか指摘してもらえると、安心する。
他のエッセイも前向きな評価をもらえますように。
2024年1月24日 体力温存
ギリギリ風邪が治り、明日から一人旅。
外出しようと思ったけれど、曇っているし寒いし、結局丸一日引きこもる。
細切れに昼寝をしてしまい、何時か分からない。
新しいルームメイトが、2月頭に来るらしい。
今度はキューバから! すごい。どういう理由なのか気になる。わたしもいつも聞かれるけど。
どんな人かな。清潔な人だといいな。
2024年1月25日 一人旅へ出発
今日から、一週間ほど一人旅。風邪がギリギリ治ってよかった。まだ鼻声だけど……。
朝6時過ぎの飛行機で、まずはリガからベルリンへ。
シェンゲン協定内だから基本スタンプなしで移動。ただ、リガの空港で手荷物検査を通過した後、二人の移民局っぽい人に呼び止められた。
ラトビアへの最終入国スタンプと、レジデンスIDを見せる。素直に応じれば、なんてことのないやり取り。
あれだけ肝を冷やしたIDが、こうしてちゃんと自分の身元を保証してくれる様子を見ると、居住許可が降りるまでひやひやしながらも手続きを完遂したことが誇らしくなる。
また同時に授業で読んだ、国境を越えようとするアフガニスタン出身の文化人類学者のエスノグラフィーを思い出した。そのテキストには、パスポートの偽装のしやすさ、費用感、空路で国境を越える際の心得や振る舞い、装いまで指示されたことが書かれていた。そういう“ガイド"を生業にしている人が居るのだ。
ヨーロッパの若者の中には、自分のパスポートを高値で売り、そこで手に入れた偽証を使って難民や移民が国境を越えようとすることもあるらしい。
「バレないの?」と思うが、ふつうにバレる。ただし、予算によっては空港で賄賂を渡してうまく潜り抜ける人もいるという。
問題なくパスポートとIDの確認を終え、飛行機へ。
10年前にライアンエアーというLCCに乗ったときは、着陸時にラッパが鳴る演出があったのだけれど、今回乗ったときは無かった。
そのままベルリンの空港で仕事をして時間をつぶす。座れるカフェのようなスポットが思ったより無くて、ちょっと困った。あと高い。空港プライス。
今回はベルリンの街中には出ず、ハンノーバーというドイツの北の方へ向かう。
去年も会った、ドイツ人の友人を訪ねに。彼女もまた、人生の岐路にいる。
今月末に彼女はドイツを離れるから、それまでに会おうということになった。
彼女の家族が持っている、小さなコテージに泊まらせてもらう。
水道は引いておらず、ガーデニングや畑を楽しむための場所。かつて、似たようなコテージが立ち並ぶ小さな集落だったらしい。今は建て直したり手放したりして、新興住宅地の中に、それはあった。
タイへ渡航する準備の合間を縫って、彼女が用意してくれた味噌汁やおかきがうれしい。
ハンノーバーは、戦争で街のほとんどが破壊されてしまったという。きれいだが、たしかに質感が新しい。
リガよりも都会で人も多い。でも街並みのカオス感はリガのほうが強い。
100年以上歴史のある旧市街地、ソ連時代の名残の建物、独立後に猛スピードで造られた新しい街並みがぜんぶ混在しているから。あと公共の無料トイレは、リガのほうが多い。
特に不満はないけど、やはりだんだんと慣れてきた環境だから、いろんなことが当たり前になりつつある。ときどきラトビアの外に出れば、ラトビアの良さに気づくこともある。これもまた”住人になる"プロセスの大事な要素のひとつだ。
ひととおり、街中を案内してもらい、コテージまで送ってもらって、この日は解散。
細切れな睡眠ばかりで、一箇所で横になって眠るのがずいぶん久しぶりな気がした(風邪でさんざん寝てたのに……)。
2024年1月26日 旅立ち前
昼前に、友人と待ち合わせる予定だったが、わたしがダウンロードしたeSIMがなぜか期限切れに。
ネットが使えず連絡が取れなくなり、雨の中待ち合わせ場所までなんとか辿り着こうとしても、方向音痴の奇跡は起きなかった。
日本のSIMを入れ直してなんとか連絡を取り、無事合流。
eSIM、値段のわりに容量小さいから、もう2度と使わない……。次使うときは、ちがうアプリを探してみよう。
友人のお母さんも交えて、カレーを食べた。
ラトビアもそうだけど、一食の量が多い。食べきれない……。ごはん少なめに、と言えばよかった。食べものを残すのが本当にきらいだから。
その後、歩いて美術館へ。
道すがら、タイに行ったら何をしたいのか、ラトビアでの暮らしはどうか、家族との向き合い方、国際結婚についてどう思うか……などなど、いろんなことをおしゃべりした。
彼女の場合は、一緒に暮らしている犬もいっしょにタイヘ移住する。
わたしも入学手続きやら居住許可やらでヒーヒー言っていたが、犬といっしょとなると、またさらにややこしい手続きが増える。人間も犬も、ワクチンを何回も打たなければならないらしい。
慣れない環境に飛び込むのに、おそらくわたしも彼女もそんなに躊躇はない。ただ、手続きのめんどうさと、それに伴うやり場のない不安は、おぼろげにあって、ポジティブとネガティヴの中間で浮き足だった感覚は当事者しか分からない。
わたしは彼女の背中を押すというより、がんばっている姿を目に焼き付け、背中が見えなくなるまで見送ろう。じゅうぶんがんばっているのだから。
2024年1月27日 世界一幸福度の高い国へ
ドイツの市町村をつなぐ電車がストライキ。
よって、わたしがコペンハーゲンまで乗る予定だった電車は接続不可、ほかの交通手段を探すことに。
昨日急遽、朝5時40分ハンノーバー発のバスでコペンハーゲンへ向かうことにした。
バスで約8時間。途中、ドイツからデンマークへ渡る船に乗り、思ったより風が冷たくないことにおどろいた。
車中、ときどき見える景色は平坦で、草原や畑が広がって、久々に太陽も見えた。
しかし、コペンハーゲンの市街地に近づいてくるとどんより曇り空。
ドイツが少し晴れて、日照時間もラトビアより少し長かったかから、北上して再びどんよりした重たい空に変わって、なんだか残念。
中心地のバス停で降り、ゲストハウスまで歩く。
少し遠いが、街の雰囲気を知るには歩くのが一番よい。
写真や動画で見ていた通り、自転車ファーストな整備がされている。
子どもを乗せたカードを押しながら(もしくは引きながら)結構なスピードで走る人も多い。
なんだか自転車がたくさんの風景から、タイやベトナムを思い出した。
どことなく、おしゃれな人も多い気がした。ラトビアにもおしゃれな人はいるが、なんというかきちんとしていて小綺麗な人が多いイメージ。どことなく、みんな似たような格好をしている。
コペンハーゲンの若者は、もっとファッションを楽しんでいる感じがした。各々すきな格好をしているというか、被りたくない主張がにじみ出ている。
歩き煙草は、相変わらず多い。なんで? ポイ捨ても多い。これも、なんで??
大通りをまっすぐ西へ歩いていたのだが、途中イスラエルによる侵略と虐殺に対するプロテストがおこなわれていた。その行列にも、子どもを抱っこしたり、自転車でカートに子どもを乗せて参加したりしている人が多かった。
街中では、あちこちに「stay with Palestina」を謳うマークやステッカー、ウォールグラフィックがある。
ラトビアの場合は、圧倒的にロシア対ウクライナへの関心が高く、またウクライナへの支持が強い。
デンマークには、イスラム教の移民も多い。あちこちにケバブ屋もあるし、ヒシャブを被った女性も見かける。逆にウクライナの国旗やサポートを示すアートやポスターなどは、今のところ一度も見かけない。
デンマークとラトビアは地理的に近いけれど、やはり国の状況によって、アンテナの向かう先は微妙にちがうのだ。
まともなごはんを食べていなかったので、宿の近くのケバブ屋さんで、ファラフェルをテイクアウトした。
ちょっとしょっぱかったし、デンマークの恐ろしい物価にのっとった値段設定だったけれど、あたたかい食事を食べたかったから、多少量が多くても、ぜんぶ食べた。
2024年1月28日 コペンハーゲン優勝ツアー
9時ごろ、宿を出発。まずはおいしいコーヒーを飲もうと、事前に調べておいたカフェへ向かう。
しかし、太陽が出てきたため急遽予定を変更し、先にニューハウンへ。カラフルな外壁の家やレストランが並ぶ、ザ・観光地。
日曜の午前中だったからか、そこまで人もおらず。停泊している船に解説文がついていたけど、デンマーク語で読めず……。
漁師たちが見分けられるように、ニューハウンの家々はカラフルなのだとウェブで読んだが、真偽はいかに。
そのあと、インスタで気になっていたパン屋さんをたまたま発見。店内はごった返していたため、ピスタチオのデニッシュだけ買って、公園かどこかで食べることに。
って、コーヒーをまだ買っていなかった。
コーヒーがなければ始まらぬ!
ということで、これまた事前にインスタで見つけた「La Cabra」というカフェへ。イートインの席は少なく、11:00ごろ到着した時点ですでにいっぱいだった。
コーヒーとデニッシュを持って、遅めの朝ごはん。
我ながら、この組み合わせは最高だった。もうすこしあたたかくなったら、外で食べるのももっと快適になる。寒かったけど、大優勝な朝食だった。
ご機嫌なまま「デザインミュージアムデンマーク」へ。学生は少し安く入場できる。
いくつか企画展をやっていたが、「THE FUTURE
IS PRESENT」という展示がめちゃくちゃ良かった。
「もし一つのタブレットで病気の全てが治せたら?」「死場所を事前にエアピーで予約できたら?」など、さまざまな仮定とそれに伴って「あるかもしれない」プロダクトやコンテクストが、展示されていた。
仮想現実は、浮世離れしすぎてもいけないし、現実的すぎてもいけない。警鐘でもあり、希望でもあり。出口と入り口が一緒だったため、往復しながら、じっくり観た。
日本に対する強いリスペクトを感じる展示(常設なのかな?)もあり、お土産にも「inspired by Japan」みたいなことが書かれたポストカードが売られていたり、日本贔屓な美術館なのだなと思った。
その後、ほかにも調べておいたカフェに行こうとするも、どこも人があふれていて、まったく入れる気配なし。
さっきのコーヒーが美味しかったし、並んでまで入る気にもなれず、結局歩いて「クリスチャニア」へ。
「クリスチャニア」は何かのエッセイで読み、ドイツの友人にもおすすめされたので、行ってみた。
自治を自称しているエリアで、ホームレスやヒッピーが集まり、文化が作られた。
独自の国旗とルールを掲げ、20年くらい前まで大麻が合法だった場所。今は禁止されているようだが、あやしい匂いがしたようなしないような。
いろいろなところから持ってきたのか業者などから運ばれたのか、鉄骨やタイヤ、金具などがあちこちに積まれている。ごみなのかストックなのか、よく分からない。
カメラを向けている人もいたが、敷地内にカメラ禁止のマークもあり、撮影が許されているのかよく分からなかったため、有料エリアにのみクリスチャニアの写真を載せます。
ただ、今まで感じなかった視線を感じたため、カメラはカバンにしまい、足早にエリア内を散策。観光地ではあるけれど、実際にそこで暮らしている人たちもいて、彼らの生活レベルは他のコペンハーゲン市民と比較したら決して豊かとは言えない(もちろん全員ではないが)。
帰ってきたからWikiで調べたら、去年の夏、エリア内で射殺事件が起きていたみたい。自治区とはいえ、警察も介入したという。クリスチャニアができたばかりのころから住んでいる古参に、話を聞いてみたいな。
さて、晴れているため、まだまだ遊ぶ。
お次は「ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館」。行くつもりではなかったが、庭園があるのを発見し、再び歩いて向かう。
ここは学生ディスカウントなし。あたたかい庭園を抜け、いくつかの企画展と常設展を観る。管内はフラッシュをたかなければ撮影オッケーだった。
彫刻エリアでは、人の顔が多すぎて疲れてしまったが、エジプトのミイラが見れたのはよかった。
埋葬する人の似顔絵を、蜜蝋やミネラル成分で描いていたらしい。
ふだん、旅の予定を立てるのがそこまで得意ではないが、今回はよく歩き、たくさんのものを観れた。
天気がいいだけで、力がわいてくるから不思議だ。今日はよく眠れそう。
今週の雑記: ヨーロッパに飽きてきた
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