旅で得た無知と恥と、そして試験のトラブルと 交換留学日記 9
2024年10月14日 日常の疑問
ときどき近所で、発砲音みたいなものがするんだけど、なんの音なのだろう。
農場が多いから、それにまつわる何かの音だろうか。
もしくは、鳥を逃すための音?
夕方によく聞く気がする。
いまだに謎。近所は静まり返り、特になんの動揺も注意喚起もない。
ときどき自転車を漕いでいて、近くでパーン、と音がするとビビる。
これって他のオランダの街でも鳴るのかな?
2024年10月15日 キレ散らかす
パレスチナのこどもが死にすぎて、本当にしんどく、それでも「よく知らないから」と惨状から目を背ける人を見るたび、返す言葉がなく、さらにしんどくなる。
知らないなら知ろうとすればいいのにと思うけど、行ったこともない国の子どもの頭が吹っ飛んでも無痛でいられる感度のスイッチは、理解できないわけでもない。
戦争は、常に世界のどこかで起きていて、わたしだって「よく知らないから」と目を背けてきた当事者だ。
たまたま、イスラエルと、パレスチナ自治区に行ったことがあって、そこでの旅の記憶が強烈だったから、いま起きていることに他人事でいられないのだ。
とにかくイスラエルが無秩序に振るう暴力に、バチギレないわけにはいかない。
旅をするということは、でも、だから、つまり、そういうことなのだ。
バチギレたり、心を寄せたり、嬉しくなったり恋しくなったりする対象が、増えることでもあるのだ。
同時に、知らないことの多さに言葉を失う。
無知を晒して、恥をかき、それでも「知りたい」が増えていくから、旅は、勉強は、やめられない。
寛容さの増長は、寛容さを破壊するという論文があると授業で聞いた。
ニュートラルなんてありえない。
「なんでもいいよ」「それでいいんじゃない」が波風立てない回答かと思ったら大間違い。
自分が何に共感し、何を許せなくて、知らないことは何なのか。
無知を自覚するのに、旅は最適。
わたしにとっては勉強もまた、旅の一つみたいなものなのだ。
2024年10月16日 学生してる
修論のプロポーザル第一弾の提出締切と、課題のエッセイの締切が重なり、さらにオンラインで2時間ほど話し込んだ末、明日の試験準備の勉強で、寿命が2歳くらい縮まるかと思うほど長いあいだ椅子に座っていた。
目の前の風景が、有無を言わさないほど学生然としていたから、つい写真を撮った21:00。
ノートは「Health in Society」という授業のもの。
あまりにも広すぎるトピックに、講義のスライドを見直しているだけでは追いつかず、動画を見たり追加のテキストを探して読んだりしているうちに、あっという間に暗くなった。
帰りは、手袋なしで風を切り自転車を漕いでも、問題ないほどの暖かさ。
月が近くてまぶしかった。
2024年10月17日 初の試験でトラブル発生
今日は、オランダに来て初めての、試験!
というか、海外の大学院に進学して、初めての試験!
事前に「勉強したノートやメモの持ち込みは可能か?」と、コースディレクターに確認し、承諾を得ていた。
このノートが後々トラブルを呼ぶのだが……それは後述。
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