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屋久島日記 20代最後の一人旅

一日目

 日記をつけようと思った。

 はじめから決めていたわけではない。

 宿について、檜の浴槽があると、さっき知った。

 お湯がたまるまでの間、座敷の上に大の字に寝転んだ瞬間、思いついたのだ。

 タイトルも、ひとりでに指が動いた。

 「あ、そうか。これが20代最後の一人旅になるかもしれない」と自覚し、そのままタイトルにした。

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 屋久島は、肌に触れる、あらゆるものが吸いつくような湿気を帯びている。

 風は強く、雨が降ったり止んだりする。引っ越したばかりの鹿児島の町の天気も、かなり不安定でおどろいた。屋久島も、気まぐれな雨に振り回されつつもコレが屋久島の天気ぞ、と言われている気分になる。

 島をぐるりと囲う県道が、メインストリートのように感じた。あらゆる公共施設や商店が、県道沿いに面している。

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 島に足を踏み入れて気づいた。

 屋久島は、大きな山が浮いているようだ。

 そもそも島自体、大きな山というか岩というか、水面上に浮かんでいる大地を指すのだろうから、当たり前なのだけれど。

 屋久島の中央には、宮之浦岳という、九州で一番高い山がそそり立っている。

 山頂部分は常に霧や雲の中から、ちらりちらりと顔をのぞかせるだけ。常にじっと、見下ろされている感じがする。嫌な心地はしない。

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 島民とおぼしき年配の女性や男性の多くが、短パンを履いている。

 それから片腕を広げたくらいの直径の、モンステラらしき植物が、わっさりと道路沿いに生えている。

 野良モンステラ(と思われる葉っぱ)と、野良ハイビスカスが、あちこちに気ままに根を下ろしている。


 北海道に住みはじめて一年目は、植物たちの夏の勢いにたまげた。むしろ、おののいた。下品な感じさえ覚えた植物もある。短期間の夏だからか「めいっぱい日光を浴びるぞ!」という気合と気迫が、ピンと延びる茎や、脈打つのが聞こえてきそうな葉脈のすみずみから伝わり、全身で夏を渇望していた。

 屋久島の植物たちは、一年中夏のような気候だからか、そこまでの気迫はないが、造形はやはりおもしろい。

 なんていうか、くねくねしている。くねくねしたり、くるくるしたり、まるまるしたり。おおらかな感じがする。

 おおらかというか、艶っぽいというか、エロティックな感じすら、する。湿気の魔法だろうか。

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 隣の部屋に泊まっている子どもたちが騒ぎ始めた。夕食が終わったのだろうか。コロナの感染者数は依然増え続けている。鹿児島県内にも緊急事態宣言が発令されるかもしれない。

二日目

 今日は海へ。白い砂浜を歩いた。

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 白い地面を見て思い出すのは、初めての海外一人旅に出て初めて入国した、トルコの、イスタンブールの日差しと街中の道々。

 サングラスなんて、かけたことも、かけようと思ったこともない当時21歳のわたしは、黒海の水面を鮮やかに照らす陽射しがこんなに明るく刺すように照り返ってくるなんて、知らなかった。目がくらむ、とはまさにこれだと思った。

 今朝は、アラームをかけた30分後に、やっと身体を起こした。旅先だもの、いつもよりたっぷり寝たい、などと自分を甘やかして、ああそうだ、旅先っていつも何故かめちゃくちゃ長い睡眠時間をとっていたな、と思い出した。海外一人旅が多かったからかもしれない。日中気を張って、しかもほとんど歩きであちこちまわることが多かったからか、ふだん6時くらいに目が覚めるのに比べて、しっかり身体を起こしたのは8時や9時がザラだ(海外の場合)。

 今回は国内ということもあり、7時半に起きた。昨晩立てた予定が早くもくずれている。でも、なんてことはない。

 朝早めに起きようと思っていたのは、モーニングを食べに出かけたかったから。朝ゆったり過ごすのが好きだから、おいしいコーヒーと、島の食材を使った朝ごはんを、あらかじめInstagramで探しておいた。

 化粧もせず(旅先あるある)、髪だけとかして、タイで買った浮かれ気分の藍色のワンピースを頭からかぶって、意気揚々と出発した。

 が、なんと予約のお客で席が埋まり、入店できるのは約1時間半後……。

 実は昨日も、ランチを食べ損ねて、あちこち回ったが15時や16時にやっている飲食店は、ほとんどなかった。いや、あるのかもしれないが、行きたかったところは全滅だった。

 だから今日こそは、と思っていたのに……。

 寝坊さえしなければ、という自責の念と、予約のお客がいるならインスタで書いてくれればいいのに、という恨言と、朝食を予約するなんて周到な人もいるもんだという嫌味でごちゃまぜになり、早くもくじけそうな二日目の幕開けに意気消沈しつつ、とはいえお腹は空いているから、とりあえず今すぐ朝ごはんを食べれるところを探した。

 飲食店は見つからなかったが、宿の方に教えてもらったパン屋を思い出し、直行した。

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 無事、黒糖パンとチーズパン、それからアイスコーヒーも買えた。暑いのでお気をつけて、と呼びかけてくれたお店の人の声によって、恨言も嫌味もすっ飛んだ。

 さて今日は何をしよう、と思い、近くに灯台があると見つけたので行ってみた。灯台への道は分からなくて、見つけられなかったが、かわりに、ひっそりと海を望む神様に会えた。

 コロナ禍だからか、それとももともとなのか知らないが、今日も結局ごはん運は完全にツイてなかった。

 ずっと前から決まっていたオンライン講義を宿で受講し終えて、ランチを食べに行こうと、島の南西へ向かった。栗生、という地域らしい。そこの蕎麦屋を目指したが、貸切で入店できず。

 パンをかじっただけでは、パワーは出ない。でも、周辺には飲食店はない。

 仕方ないから予定を変更した。寝坊した時点で既に予定通りではないのだから、モーニングの時のような恨言は湧き出てこなかった。

 そのまま、蕎麦屋の近くにある、サンゴ礁の海岸へ行った。溶岩のような黒々とした岩肌が海岸を覆っていた。海の水は冷たかった。

 波が高い。道中、サーファーを何人か見た。

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 ずっと頭の中で、この景色を日記にどう残そうかということを考えていた。

 ゴジラの背中? 火山の岩肌?

 途中、足が赤い、つがいの鳥が近くまで飛んできて、餌を食べていた。

 海の中をチャプチャプ進んでいると、確かに小さな魚が蜘蛛の子を散らすが如くあちこちへ泳ぎ去るのを何度か見た。あれらが、鳥たちのごはんなのだろうか。

 縦に入る亀裂や、波に削られた岩肌は、人間のことなど構ってくれない。

 履いていたTevaのサンダルが思いのほかすべりやすく、下川町に住んでいたとき調子に乗ったせいで川で転倒し、前歯を損傷してあやうく差し歯になるところだった恐怖を思い出して、慎重に歩いた。

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 タイで買った、ふんわり藍色浮かれワンピは、こういうとき歩きづらい。片方を縛って長さを調節した。その最中、後ろから家族連れが網を持って海岸へやってきた。何かを収集しに来たようだった。

 海岸から自分の車へ戻り、次は屋久島焼きの店へ行くことにした。土産物や雑貨は、ごはんと違ってよいものに巡り会えている。到着してすぐ向かった「ぷかり堂」という土産物屋も、品揃えや雰囲気が良かった。

 屋久島焼きは、屋久島の珊瑚を使って、青く染めているらしい。うつわも魅力的だったが、店内に飾ってある仮面が気になった。残念ながら、売り物ではないそうだ。

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 この店に来て、ケニアを旅した時のことを思い出した。

 運転していると、木に白いインクで手書きで書いたような店の看板や土産物屋、呼び込みの文句なんかをたくさん見かける。その木とインクの配色なのか、フォントの雰囲気なのか、どことなくケニアの観光地のそれによく似ている気がした。

 贈り物と、自分への一輪挿しを購入して、ドライブしていて気になった店へ入ってみた(また買い物)。

 2年前にできたばかりらしく、お店のスタッフさんが商品のことを詳しく説明してくれた。ふだん、買い物中に話しかけられるのは得意ではないけれど、人とまともに話すのは、なんだか久しぶりな気がして、なんだかうれしかった。

 世界遺産の島なのに、環境に配慮した土産物屋が少ないことに違和感があり、オープンしたのだと教えてくれた。

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 いま泊まっている宿も、洗濯機の洗剤やシャンプーなどのアメニティ類は、すべて環境負荷の低いものを使っている。やっぱり、自分が流した水が、部屋からすぐ見える海へ流れると思うと、自然と気を使うようになるのだろうか。

 正義感から環境問題に向き合うと、ものすごく苦しい。人間がいなくなれば環境負荷がもっとも減るのでは、という思考に陥り、しかもそれが大きくは外れていないことにも気づいて自分の正義が自滅を示唆して絶望する。

 だから、できることから始めるのが何より重要で、始めたことを持続するのがなお重要で、つまり何が言いたいかって、見つけたこのお店には、引き続きがんばってほしいと思った。

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 そのあとも、結局まともな食事がとれず、宿に帰ってカレーを作って食べた。明日は白谷雲水峡に行く。プロのガイドさんと一緒だ。ワクワクしていたら屋久島で、コロナのクラスター発生のニュースが飛び込んできた。町内放送で、いま流れている。

 全員厳しく、すべてを堪えよと、言う権利はない。けれど、自分の振る舞いがどこでどう影響するか分からないのがコロナ禍だ。

 旅をするのが、こんなにおそるおそるになってしまう日が来るなんて。

 今までの日常が戻って欲しいとは思わない。けれどせめて、旅をすることは難なく許容される世の中になってほしい。

 と、また恨み節を垂れ流してしまった。いけないいけない。お風呂に入ろう。

三日目

 朝、日曜日だけオープンするという地元のマーケットへ。地元の方も買い物に来ていて、コロナのことが真っ先に話題に出た。どこの誰か、なんとなく見当がついているようで、人口の少ない地域あるあるだな、と思って聞いていた。

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 市場では、ホワイトサボテンというフルーツと、タンカンジュースを買った。ホワイトサボテンは、森のアイスクリームと呼ばれているらしい。食感はアボカドより少しオイリーさをなくした感じだが、ほぼ一緒。

 アイスクリームと聞いてから食べると、さっぱりしているように感じるが、確かにフルーツにしてはクリーミー。ほんのり渋みもあって美味。

 30分くらい余裕を見て、ガイドさんとの集合場所へ。今日は白谷雲水峡へ行くのだ。あちこち見渡しながら待っていると、集合場所を間違えたことに気づき、急いで現地へ。結果、15分ほど遅刻。

 ガイドさんの車に乗り換え、森の入り口まで連れて行ってもらう。歩いている間、ずっと雨が降っていた。傘をさしながら森を歩いたのは、人生で初めてだった。

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 途中、苔むす森と杉の木を見にいく岐路がある。雨足の強さから、杉の木の方のルートを歩くことになった。

 ガイドさんの話がおもしろく、同時に身のある相槌があまり打てないことが、もどかしかった。

 覚えている範囲で、教えてもらったことを、書き残しておきたい。

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 屋久島には、土がない。厳密に言えばあるのだろうけれど、島自体が花崗岩でできており、その岩に苔がむし、苔から芽が出て大木が育つ。だから、森の中は岩と木の根っこが隆起して、平らなところはほとんどない。

 雨水が、岩や石の間を通って海へ急降下する。だから泥が少なく、水がにごりにくい。

 川の上流が滝のようになっているため、名もなき滝もたくさんあるらしい。離島でこれだけ水が豊かな島は、めずらしいという。

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 屋久島の標高600メートル付近は、東北や北海道の環境に近い。道内ではおなじみの、ナナカマドが生えていた。けれど雨が断続的に降るため、紅葉はしないらしい。

 屋久島は江戸時代、杉を切るために人がたくさん山へ入った。いま、我々観光客が歩いているのは、江戸時代に作られた林道であることも多い。

 植物は、土から生えるのではなく、苔の養分や水分を吸って成長するため、大きくなるスピードが遅い。そのぶん、中身が詰まって、例えばスギの木は、油分の高い木に育つ。

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 そのため、江戸時代に伐採した木々でも、200年、300年経っても腐らないものもあるという。そのため高値で取引され、最近切り株の搬出もしなくなったため、流通量が減るから、さらに値上がりする可能性があるらしい。

 倒木や、腐った木からまず生えるのはスギ。パイオニアツリーと呼ばれている。北海道では、それは白樺だと教えてもらった。あちこちに、ふわふわのスギのあかちゃんがいた。

 また、屋久島の在来種の猿が森に住んでいるが、彼らは日の当たるところでゆっくり食事をするらしい。そのため、木の実などは猿に運んでもらい、植物が明るいところへ根を下ろすことができる。猿が道路沿いに出てきていたのは、食事のためであることも多いらしい。

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 森散策から帰ってきてからは、すぐ洗濯をして、昼寝。

 明日は4:30集合だから、2:30には起きなければ。

 起きれるのか? 寝よう。

四日目

 懸念していた生理が来る。生理中は、激しい運動がキツくなる。少し心配だが、予定通り2:30に起き、前日に仕込んでおいたおこわと、道中たまたま見つけた量り売りのお惣菜のお店で買ったカポナータとピクルスをタッパーに詰める。茄子とキノコの炒め物も追加した。

 まだ真っ暗な中、ガイドさんと合流し、登山の出発地点へ。

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 今日は、縄文杉に会いにいく。

 このために、屋久島へ来たのだ。

 昨日同様、江戸時代にスギの伐採のために切り開かれた道を歩くという。伐採には、二人がかりで約3日かかったらしい。

 最初は、8キロほどトロッコの線路を歩く。トロッコ自体は森やトイレの管理の際に稼働するだけで、常時動いていない。

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 両脇に広がる根っこの隆起と、ゴツゴツした斜面。苔からころころ転がり落ちる雨粒や滴り落ちる水滴が、水晶のよう。

 苔は根を張らず、光と水だけで成長する。光も最低限でよい。乾燥に弱い。

 途中、何度か給水ポイントがあり、そのまま屋久島の森が浄水した冷たい水が飲める。超軟水ということもあり、ほんのり甘い気がした。ごくごく飲んだ。

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 魚の餌になる微生物がほとんどおらず、そのため川魚はいない。釣りができそうな、おだやかな流れの場所も、少なくともわたしが見た限りでは見当たらなかった。

 トロッコ道が終わると、急な山道になる。花崗岩がゴロゴロしており、その上を木の根が、われ先にと這っている。

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 昨日も思ったが、傘をさして山を登るという発想が今までなかった。確かに登山中、何度も雨が降っては止み、を繰り返す。

 体を冷やしたり、汗で蒸れたりすると体力が奪われるから、カッパの着脱などはふつうだ。でも登山は両手を開けておくべし、という心得が通例だと思っていたから、傘差すのもアリなんだなーと思いながら、登った。

 白谷雲水峡で「木の上は滑る」と教えてもらったから、とにかく木の上に足を置かないように、影踏みのように歩いた。

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 山道は、思っていたより過酷ではなかった。

 昨日、白谷雲水峡をガイドしてくれた方に「自衛隊の訓練だと思って登った方がいい」と言われた。

 確かに雨が止まなかったり雨足が強かったりしたら、自衛隊の訓練さながらの難易度になるのだろうか、と緊張していた(お昼寝したのと緊張感のせいで、夜は結局2時間しか眠れなかった)。

 けれど、ガイドさんの歩き方がわたしに合っていたのか、疲労感は少なく、息もほとんど上がらなかった。

 なんにせよ、天気が良かった。木漏れ日が雨露を照らしてキラキラする森は、天国への道かと思った。

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 行きも帰りも、雨こそ降ったが土砂降りにもならずも突発的な雨が数分降り続くのが、何回かあっただけだった。

 やっと、目的地である縄文杉の周辺に辿り着いた。

 階段を登ると目の前にドーンと現れるものかと思っていたが、わたしはすぐに見つけられず、周りをキョロキョロして「あ、あれか?!」と遠くに空がひらけているところにひっそりと、縄文杉が立っているのを見つけた。

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 「やっと会えた!」と感動メーターが爆上がりするのを待ち構えていたけれど、意外とボルテージはそこまで上がらない。

 一通り写真を撮り終えて、じっと見つめていると、まばたきするたび、表情が変わるように見えた。光の当たり加減や、わたし自身の視線の方向によって変わるのだろうが、さっきは仏様の顔に見えて、次は胎内に、そして次は雲に、というふうに脈絡なくちがうものを思い起こさせた。

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 そして、何回目かのまばたきをしたときに、涙が出そうになった。

 なにか強い幸福感や達成感、念願の対面への感動が、心の震えとしてわきおこったわけではない。

 苔の葉先から転がり落ちる雨粒みたいに、ころん、と涙が出た。

 すぐ、汗や雨に同化して、涙だったのかただの水だったのか分からなくなった。

 縄文杉を見ながら「本当は、もう死んでいるのかもしれない」と思った。

 もしくは、目は閉じ、心臓は動いている。たくさんの人の気配にも気づいてはいるが、何も応えない。意識は戻らない。強烈なパワーを放っているよりは、ゆっくり静かに、深く息をしている──という感じ。

 というのも、縄文杉への道中、真ん中の木が朽ち果て空洞になっている樹齢1000年単位の杉が、たくさんあった。

 着生と言うらしい。この言葉は、白谷雲水峡のトレッキングの時も、縄文杉へ向かう道中も、何度も耳にした。

 寄生ではない。切り株や、朽ちて倒れた木々から、新しい種が芽吹いて幹を伸ばし、樹齢を重ね大木になる現象を指す。

 その植物の養分を吸い取ったり、成長を阻害したりはしない。すでに命尽きた木々から、新しい命が始まっている。

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 土台になる朽ちた木や切り株は、腐敗が進み、やがて消えて無くなる。雨が多く、土がないから、腐敗というより流れ出て行くと言う方が正しいのかもしれない。

 縄文杉にも、空洞になっているところがある。

 実際、基盤となる樹齢約3000年のスギの木の一部は、もう無くなっている。周りに二代目、三代目のスギが生まれ、育ち、今の大木に成長したらしい。

 こうした背景を説明してもらったから、「縄文杉」という、一つだけ名前を持つ大木だと思っていたが、とんだ勘違いだったな、と思った。

 もっといろいろな木々の、種類や歳の重なりが、この一帯に凝縮されている。だからか、「縄文杉に会ってきた」という感覚が、あんまりしなかった。

 何も聞かずに、何も知らずに会っていれば、もっと違う感想が湧いて出てきたかもしれない。

 白谷雲水峡をガイドしてくれた方が言っていた。

 「名前をつければ人は来る。でも名前がなくても貴重な自然や見どころのあるところは、たくさんある」。

 人間の目に触れないまま、名前もつけられず、けれどゆっくり大きくなり、静かに消えていった木々のことを想像した。
 
 縄文杉も、老衰で、いつ倒れるともしれない。明日には、もう見れなくなるかもしれない。

 生より、死を、強く感じた。

 あんなふうに、老いたいと思った。

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 そのほか、ラッキーだったのは、鹿と猿に会えたことだ。

 鹿は、往路で。何をしているんだろう、と覗き込むようにこちらを見ていた。とても近いのに、離れる気配がない。一歩接近すると逃げたが、北海道で見たエゾシカより小さく、背中に斑点模様があった。若い雄だったらしい。

 帰り道は、トロッコ道に猿の群れが餌を探しに来ていた。何かを拾って食べている。

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 あんなにもふもふな毛並みだったとは、知らなかった。目を合わせると、喧嘩を売っていると解釈され、威嚇される。

 うっかり目を合わせてしまって、歯を剥き出してこっちを見ていた。けれど食事に夢中で、攻撃的に向かってくることはなかった。

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 もうひと組、毛づくろいをしているお猿のペアに会った。ものすごい集中力で、こちらに気づいているのかいないのか定かではないが、微動だにしなかった。

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 まあ、こちらがお邪魔している側だから、立ち去るべきは我々だし、無視されて然るべきなのかもしれない。

五日目

 登山のために炊いたおこわが残ってしまったので、買い足したタッパーに入れて持って帰ることにした。次回、登山やトレッキングに行くときは、タッパーとマイ箸、あとジップロックは必ず持っていこう、という学び。

 一軒、気になっていたモーニングのお店に、おそるおそる電話してみた。7:30に知らない番号から電話がかかってくるなんて、店がやっていなければ非常識極まりない。

 しかも、二日目の朝、楽しみにしていたモーニングにありつけなかったため警戒していたが、オープンしているとのこと。

 早めにチェックアウトして、「ノルン」というお店へ。

 Googleマップにも載っていない。白い看板が一つ、道路沿いに立っているだけだ。

 白を基調にした、どことなくメルヘンな感じの内装で、円卓とカウンターがあり、円卓には地元の方と思われる男性が二人、コーヒーを飲んでいた。

 わたしはモーニングと、おいしいコーヒーをいただいた。ワンプレートにボリューム満点なサラダやたまご、焼き立てのトーストが乗って、500円。破格!

 その後も、お客さんは出たり入ったりして、そのすべてが男性だった。たまたまだろうが、全員常連さんだった。オーナーの女性が品のある方で、みんなオーナーさんに会いに来ているように見えた。

 店が住宅街の奥の方にあるため、駐車した車を出すのに、その中の一人の男性が手伝ってくれた。

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 その後、土産物屋を回り、時間が余ったからガジュマルを見に行った。

 我が家のガジュマルは、苗を買った店の方に鉢替えをしてもらったものの、最近は特に窮屈そうだ。しかも、連日の大雨でどうにかなっていないか心配だった。室内にグリーンを取り入れたくて買ったのに、結局日に当てないと元気が出ないから、ほとんど外にいる。

 やぶ蚊が多いから、と蚊取り線香を渡され、園内をゆっくり歩いた。問題なく、5ヶ所所くらい刺された。

 縄文杉トレッキングでも、ガジュマル園でも「この島は根っこによって輪郭が作られているのだ」と感じた。

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 鹿児島本島へ帰る船内。

 船は、乗った瞬間に酔う。少しでも船酔いを軽減すべく、即刻寝っ転がった。

 船が動き出してから、気持ち悪くならないのに安心して、山極寿一さんの本を読んだ。昔から、旅や移動は、読書が捗る。

 読んでいたら屋久島の話題、しかも猿の話も出てきて(山極さんはゴリラの研究者だから猿が出てくるのは不思議ではないが)わたしもトレッキングの最中に猿を見たのがシンクロして、勝手に縁を感じた。

 その後、PCR検査を受け、半島を移動するために再び乗船。毎年更新される豪雨の影響で、道路がどうなっているかわからないし、往路の高速道路では雨が強すぎて前が見えず寿命が縮んだので、少しでも運転距離を縮めるべく、船移動を挟んだ。

 一日で二回も、しかも自家用車付きで船に乗るのは、これが初めてだ。なんだか海に囲まれた町に住んでいる人間ぽい。などと自尊心を高鳴らせる。外は、もう暗い。事故なく自宅へたどり着けますように。

 帰宅。

 写真を見返すと、ほとんどは植物ばかり。街並みや食事の写真は、ほぼない。其れめあてなのだから、しかたない。

 人間界に戻ってきた。ただいま。

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立花実咲|Misaki Tachibana
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