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誰もいない部屋で。

人前に立って、姿を晒す。そうしなければ表現できないこともたくさんある。でも、その表現の形は流れと共にゆっくりと変わっていく。

直接依頼がくることは少ないにせよ、仕事を受ける窓口になるようなところはあったほうがいい。そんなときに、お金をかけずに誰でも簡単に始められるのがTwitterだ。ライター募集のツイートをチェックしたり、日常の些細なことをツイートしたりする。そんなことが仕事につながるのかと思うかもしれないが、実際にTwitterで決まった案件もあるので、こればっかりは地道に続けていかなくてはならない。

こんな風に在宅ワークをするようになってからそろそろ2年経つのだが、webライターという仕事自体がまだまだ新しい。だから、人に説明するときにもそんなことまでは聞かれていないのに、ついつい事細かに今やっていることを話してしまう。言葉で分かりやすく伝えることが仕事なのに、自分の仕事について聞かれても上手く説明できないのである。

そして、これは単なる私のワガママだが、聞いてくる方もあと少しでいいから理解しようとしてほしい。自分の理解できないことがあったとして、それを自分が知っている範囲の語彙で、自分の知識量でもわかるように説明してほしいというのは、ワガママなことだと思う。

それが当然のこととして許されているのは、まだ言葉を知らない子供と、日本語を学んでいる最中の外国人と、日本で生活するつもりのある帰国子女だけだ。あとの人たちはもういい大人なのだから、興味はあるのにわからないのなら、人に聞くだけでなく自分で調べるなりもっと他にできることがあるだろう。

私に仕事について聞いてくれたときに答えたことを全部忘れているか、自分なりに解釈して受け止めることをせずにいる人は、また私に会ったときに同じ質問をしてくる。相手からしてみればただの世間話なのかもしれないけれど、マイノリティの自覚があることを負い目に感じながら日々仕事をしているのに、それをまたわかるように1から説明する身にもなってほしい。

ここで適当な受け答えができないのは、腰痛と同じくらいの職業病のような気もする。この仕事にあるのは私個人への興味や関心なんかじゃなくて、記事を作成するために必要な人員としての需要だ。でも、よほどその分野に詳しいか、言葉が湯水のごとく溢れ出てくる人でもない限り、副業としてやるにはカロリーが高い。

最初の頃はなんとか副業にしようと頑張っていたが、今はもうそんな気持ちもなくなった。だけど、何年も囚われていた焦りのようなものからは完全に抜けられた。人様から見れば、外に働きに出ている方が安定していると思われるのだろう。少なくとも、人としての信用の度合いが高まると思う。

その人としての信用を得るために、Twitterで顔出しをすることにした。私は顔を見せられないようなことはしていませんよ、という意味での顔出しだ。何度も人前に立って不特定多数に見られたことのある人間でも、写真に撮られるのが好きな人と嫌いな人に分かれる。私はどちらかといえば嫌いな人だ。趣味で写真を撮ることはあっても、それも風景写真ばかりで人を撮ることにも消極的だった。

そんな私が、自分をよく見せるために1日3回を目標に自撮りを始めた。やってみるとこれがなかなか難しく、驚くほど気力も失う。家でひとりフルメイクをして、自然光が入る部屋でなるべく白い壁の前に行き、小さな奇跡が起きるまでひたすらスマホをタップし続ける。

こういうときに最大限自分をよく見せようとしてしまうところが、良くも悪くも人前に立って見られたことのある人間の性だと思う。人に見られるからにはきちんとしなければいけないと思い込んでいる。

今までにないことやあまり興味のないことでも、チャンスがあるなら何でもやってみようと思って前向きに頑張ってきた。その結果、どういう訳だかライブ配信を始めることになった。できなくても誰かに怒られる訳でもないし、困るのは自分だけだから、軽い気持ちで挑戦してみるのは悪いことじゃないから…。

向いてないのかなあと思うこともしばしばあるが、これまでパソコンに向かってきた時間を、スマホの向こう側の人たちにも使っていきたい。

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