バラタユダのワヤン
中部ジャワのクラテンでは、断食月を前に特別なワヤンが上演される。それは、《マハーバーラタ》の大戦争バラタユダの場面を、昼夜1日かけて上演するというものである。
《マハーバーラタ》は、とてもざっくり説明すると、この物語の主人公であるパンダワ5兄弟と、そのいとこであるコラワ100人兄弟が王国を統治する権利をめぐって骨肉の争いを繰り広げる物語で、バラタユダはそのクライマックスにあたる大戦争を描いた一連の物語のことをいう。両陣営でたくさんの人が次々と亡くなるため、ダランにとってはひじょうに重い演目である。ある程度経験を積み、成熟したダランでないと上演するのは危険だとすら言われており、実際にバラタユダを上演した後にダランが体調を崩すケースもあるという。一方で、《アビマニュの戦死》や《カルノの一騎打ち》など、有名で人気の高い演目も多く含まれている。
ダランはキ・スジャルウォKi Sujarwoで、彼はソロのマンクヌガラン王宮の様式のワヤンを継承するキ・ハリーKi Haliの息子である。イギリスに滞在し、英語でワヤンを上演した経験も持っている。彼は、今回昼夜両方の上演を初めて担当したそうだ。
当日はダランから直々にお誘いをいただき、一緒にクラテンに連れて行っていただけることになった。クラテンではこのようなワヤンががあるということをずっと話には聞いていたが、タイミングが合わず今まで生で観る機会がなかったので、とても嬉しかった。ワヤンに行くのに夜ではなく朝の7時に家を出るのはなんだか不思議な感覚だった。途中で市場に寄って、お花を買っていた。わたしはこれを供物用だと思っていたのだが、後でこのお花の秘密を知ることになった。
上演場所に着くと、すでにほとんどの演奏者たちが到着していた。彼らは芸術大学を卒業した人々であるという。(実際、ダラン科で一緒に勉強した友人が何人かいた。)プンドポをみてみると、軒下にバナナの葉でできた飾りや、柱にもいくつかの種類の葉で作られた装飾がくくりつけられていて、特別な雰囲気を感じた。ワヤンは通常、夜に一晩かけて上演されるが、儀礼のワヤンは昼間に上演されることがある。儀礼とは少し違うが、このワヤンも儀礼に近いものがあるのかもしれない。
昼の上演は10:00くらいからということだったけれど、実際に始まったのは11:00くらいだった。わたしの大好きなGd. Cucur Bawukのタルが聞こえてきて、ふと太鼓の方を見ると、ダランが太鼓を叩いていた。彼は芸術大学ではガムランを専攻してたことと、ダランの多くはこうしてガムランの演奏にも長けていることから、このこと自体は珍しくはないのだが、これからフルで2回もワヤンを上演するのに、体力がすごいと驚いてしまった。この曲は20分くらいはかかるので、太鼓を叩き続けるのはそれなりの体力を消耗するはずだからである。
前半はボゴデントの死から、ブリスロウォの死までを上演した。象にのったボゴデントが力強く進んでいくのがとてもかっこよかった。昼の上演では、クルカセトロの戦場をアルジュノとビモが不在にしている間に、アルジュノの息子のアビマニュとその兄弟たちや、ビモの息子のガトコチョが次々と戦場に散っていった。この日はアメリカ人のワヤン研究者のKitsieさんがジャワ語を同時通訳して、英語の字幕を作成していたのだが(これは本当にすごいのでYouTubeをぜひ観てみてほしい。英語でダランの語りを理解することができる)、それによると、パンダワ側の人物が亡くなった時には、クラテンのダランは花を撒くのだそうだ。悲しくもとても美しく、印象的な演出だと思った。
夜よりは少ないものの、昼間でもお客さんが代わる代わる訪れて、たくさんの人が上演を見守っていた。おじいちゃんに連れられて観に来た小さな子も多くて、なんだかほほえましい気持ちになった。夕方にかけて道端にあっという間に食べ物やおもちゃの屋台が作られ、夜にはたくさんの人々が集まってきて、ちょっとしたお祭りのような雰囲気になった。次の日も平日だったはずなのに、一時は道がふさがりそうなくらい人がたくさんいて、活気に満ちていた。夜の上演を前に、そうした人々の熱気にふれてわたしの気持ちも高まった。
夜の上演は21:00過ぎに始まった。グドボ(ワヤン人形を挿すバナナの幹)にお香が刺さっており、立ちこめるお香の香りがとても印象的だった。夜はキ・ナルトサブドの楽曲が前奏曲として演奏されていた。まず、アビマニュの戦死から昼の上演の回想シーンがあり、ビモが息子の死にひどく傷心している様子が描かれた。そこから、少し道化たちの冗談やダランのワヤンに対する思いが語られ、再度奮い立つビモや、次々とやられていくコラワの人々の姿が上演された。やはり、何度観ても矢まみれになって死んでゆくアビマニュの姿には胸が締め付けられる。また、コラワ側に立つ実の息子のカルノが実の息子のアルジュノの矢に斃れ、悲痛な叫びを上げる母クンティのシーンも涙なしには観られなかった。
キ・スジャルウォの上演は、クラシカルな場面構成や、使用楽曲を基本としているが、時折創作曲や地方の楽曲を挿入したり、コミカルな動きや会話が入ってくるなど、絶妙なバランスで観ていてとても楽しい。ゆっくりゆっくり進行し、同時に少し遊びもある、やっぱりわたしはこういうワヤンが好きだなあと心から思った。また、夜の上演の最初のハイライトのシーンでは、最近亡くなったキ・ブラシウス・スボノKi Blasius SubonoのAyak・Hongを使っていた。この曲はワヤンの冒頭でよく使用される曲なのだが、今回はきっと彼を追悼する意味でもこれを使ったのだと思う。あの日この曲を聴いただけで、わたしは泣けてきてしまった。彼がこの世を去ってからまだ日が浅く、わたしもキ・スボノにもうお会いできないことが、本当に悲しいと日々思っている。けれども、こうして彼の楽曲はいつまでも生き続けられるということを再確認して、それはなんと素晴らしいことなのだろうと思うのだった。
両方の上演ともに6時間を超える超大作だった。観ているだけのわたしもかなり体力を使った感じがしたけれど、同時にとても面白かったから、充実感でいっぱいになった。わたしは過去に2時間だけワヤンを1人で上演したことがあるのだが、それだけでも次の日動けなかった覚えがあって、それを考えると、やはり1人でこれだけの時間ワヤンを上演する現地のダランは、改めて体力が尋常ではないなと思ったのだった。でも、そういう底力みたいなものに、わたしはとても心惹かれる。
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