自分が細々と続けられてることの1つ、「日記」について
MISAKIです。
中一のとき、クラスのイケイケ組(笑)に属してた子を真似て、日記を書きはじめました。
最初はよくある日記って感じで、その日あったことを書いてました。
段々、直接日常で口に出せない気持ちや愚痴を書くようになりました。
高校生になったら、当時ハマった音楽の影響もあってか、急に抽象的な文や詩を書くようになります……。
読み返すと、なんとなく当時を思い出せますが、日にちも出来事も書いてないので、なんのこと言ってるのか全く分かりませんでした。日記というか完全に詩。笑
でも当時苦しかったり悩んでたんだなあってわかります。
それからまた段々と、日記形式に戻っていき、
大学生のころは思考整理のようになってました。
このとき、まず一個ハッとしたことがあったように思います。
それは、高校生のころまで書いてた日記に
度々、ネガティブなワードや自分を傷つけるような言葉や暴言を、自分へ向けて書きまくってると気が付いたことです。
”お前はダメな奴だ、どこにも行けない、価値がない” とかね。
いま読み返すと、痛々しい……そんな責めないで……って言いたくなる言葉がたくさん書いてありました。
そこで、いつのまにか、自分の言葉で、自分自身にネガティブな暗示をかけていたのかも……とハッとしたのです。
それは、当時好んでいた音楽や本の影響も大いにあると思いました。
(そのときは、自分の心に響いてたから好んでたんだと思いますが、いつの間にか、自己暗示みたいになってたなあと今は思います)
それに気が付いてからは、自分の心が動いたこと(落ち込んだことや嬉しかったことなど)について、なぜそう感じたのか書くようになっていきました。
あと、その日の反省や 改善するにはどうしたらいいか書いたり、
心に残った言葉を書き留めたりしてました。
そうやって書き続けて、自分を見つめようとしていった結果……
今度は
自分を掘り下げることに夢中になって、
人が見えなくなっていきました。(苦笑)
そのときは、大学で色んな人に会ったり、留学を経験したりするなかで、徐々に意識も変わっていったのを覚えています。
自分の外側の世界と出会うほど、人と自分は生き方も感じ方もみんな異なるんだと、実感しはじめたのでした。
そのときは、人との意見の違いが怖くて、思ってることをぜんぶ溜め込んで落ち込んでばかりでしたが、段々と思いを外へ出していけるようになっていきました。
中学から始まった日記は、いま使っているマイノートで、おそらく11冊目くらいになります。(途中、日記とは呼べなさそうな文章もたくさんありましたが笑)
ここまで長かったなあ~~と思うし、まだまだ自分は未熟だなあと反省もあります。
でも日記書き続けてきたことで、確実に、自分が変化しているなあというのが分かりました。
自分に自信が持てなかったり、不安になってばかりの私ですが、
書いてきた日記は、生きる上での力になってくれてたなあと思います。
はじめはイケイケ女子に憧れて(笑)なんとなく真似て書きはじめた日記でしたが、
12年越しで、私自身へ「ギフト」を届けてくれたんだなあと、感じたのでした。この頃サボってるから、また書き始めよう。
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