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「暮らし」にテーマを設けて愉しむ

家を持たずにいろいろな場所で暮らす多拠点生活をしている私は、知らず知らずのうちに「暮らし」について考えることが多くなっている。それはもう思考のクセ、といってもいいほどに。

そこで、いつもどおり思考を巡らしていると「あれ、なんか暮らしがちょっとずつ変化しているな」「なんとなく暮らしに毎月テーマがあるような気がするな」ということに気づいた。

暮らしにテーマを設けて過ごしてみると、ふとした喜びや楽しさがあるかもしれない。今日はそんなお話。

「暮らし」を柔軟にしなやかに変える

先日noteで「気分に合わせて暮らしを変えていく」ことについて書いた。

「自分のいまの気持ち」を大切にして、それに合わせて暮らしを変えていくこと。それを大切にすると、自分自身の気持ちも大切にできるし、毎日がもっと心地よくなる、と私は信じているということを書いた。

住む場所を軽やかに変えていく。

なので私自身、暮らしを変えることに全然抵抗を持っていなくて、むしろ家を持たずに多拠点生活をしていると、住む場所も住む形態もちょっとずつ変えていかざるを得ない。それは半強制的ともいえるかもしれない。とはいえ、私自身は「変わること」に対しておおらかな気持ちでとっても楽しんでいるように思う。

そして、旅をしながら暮らす生活をはじめて、とくに2022年に入ってからは、1ヶ月ごとに「暮らし」それ自体が移り変わっているように感じる。毎月に「暮らしのテーマ」があるようなイメージ。たとえば、こんな感じ。

意図的に毎月暮らしを変えているのではなくて、あとから振り返ったときに「このときはこんな生活をしたかったんだろうな」と気づくことが多い。暮らしのテーマは、「私がどう生きていきたいか」「そのときどう過ごしたかったか」に直結しているような気がする。

そこで、1ヶ月ごとにどんなことを考えていたのか、そのときの私自信の気分はどんな感じだったのか、思い出しながら振り返ってみる。

1月:旅をしない旅暮らし

旅先でふつうの暮らしをする。

年末にかけて、いったん実家の岐阜に戻ってそのあと大好きな京都に少し寄って、そこから関東へと移動しようと思っていた。だから当初の京都滞在の予定は1週間ほど。だったのに、なぜか1ヶ月も京都に滞在していた。

なんでかは分からない。たぶんなんとなく「あ、もう少しここにいたいな~」がだらっと続いて、だんだんと京都にいることが旅行ではなく日常になってくると「京都でふつうの暮らしをするの最高だな~」と大好きな京都で何気ない日常を送るのにとても幸せを感じて。「あれ、もうこのままずっと京都にいたくない?」と最終的には感じたんだと思う。

「京都で暮らす」それは、私にとっては魅惑の言葉で、ずっと憧れだった。

京都に「行く」でも京都で「遊ぶ」でも京都で「楽しむ」でもなくて。京都で「暮らす」がしたかった。ただただ、京都の、あの空気感を全身に纏いながら、鴨川をひたすらに歩いたり商店街で野菜を買ったりしたかったのだ。

そんな風に思ったからこそ、1ヶ月京都にいられることに幸せを感じていたのだと思う。いつもは歩かない路地を歩いてみたり、美術館に顔を出したりして、1泊2日の観光では決してしないことをした。

京都という、私にとっては「旅先」で暮らす「日常」。旅先だからこそわくわくするような刺激もあって、でも日常を過ごしているからこそ小さなことで幸せを見いだせて。そんなお互いのちょうどいい空気感で過ごせた1ヶ月だった。そのときの気持ちはこちらのnoteに。

でも、そうずっと京都にいるわけもいかないよな。心地よすぎるな、ということに危機感を覚えるようになって、ようやく1ヶ月の時を経て動くことを決意。そして、2月になった。

2月:移動して”新しい”を味わった

2月はというと、京都から静岡へ、そして神奈川へ。アドレスホッパー(拠点をもたずに転々としている人)っぽく、移動を楽しむ1ヶ月となった。

1月は移動したくない、とどっぷりと京都での暮らしを楽しんでいたのだけれど、やっぱりコンフォートゾーンを飛び出して”新しい”景色に出会いたいなあ、って思い始めて。

静岡や神奈川では、新しい「あ、なんかいいかも」と思える街に出会って、熱い夢や理想をもっている人たちとたくさんお話して、「やっぱり旅をして、旅を好きでいて良かったなぁ」なんてことを思った。

海のすぐ近くで穏やかに暮らすこととか、訪れるまで名前すら知らなかった街に滞在することとか。そんなささいな、でも確実に心が動く感覚をたくさん味わえた1ヶ月だったな。

3月:東京と福岡の二拠点都会生活

3月は前半2週間を東京、後半を福岡で過ごした。どちらも、都会。ずっと地方に住んでいて地方の不便さや息苦しさを十分に味わっている(もちろんそれだけじゃないけれどね)私にとって、東京も福岡も憧れの街。

だからこそ、「憧れの都会で普通の暮らしをしている」というむずがゆさやそんな暮らしをごく当たり前にしている人たちを見ての嫉妬心だとか、いままでの旅暮らしでは抱かなかった感情に出会った。

コロナ禍になって、特に東京の人たちが「地方って良いよね」という感覚で語られることが多くなったけれど。私個人としては東京の、あのとんでもない人のなかに紛れて過ごす感覚とか、年代も考え方もまったく違う人たちがいて比べる対象がない雑多な感じとか、そういうのがとても楽だな、と思う。結局はないものねだりなんだろうな。

ということを改めて考えさせてくれた都会暮らしは、私にとってはとても貴重な体験だった。今後移住先として100%地方で暮らすのではなくて、半分都会(京都、岡山、広島、福岡あたりのコンパクトな都会)と半分地方(海の見える小さな街)の二拠点生活が私にとってはちょうどいいのかもな、と肌で感じられたのが大きな収穫。

4月:ライブ遠征で多拠点生活

4月は移住先探しとかそういうことではなく、”好き”に全振りした1ヶ月を過ごした。好きなバンドの追っかけをしながら大阪→東京→仙台と大移動。中学生の頃から夢だったツアー全通を成し遂げた(大げさ)。

ライブの日程に合わせて滞在場所を決めて、ライブとライブの間に行ってみたい地域にも立ち寄って。ライブが中心の1ヶ月。何よりも”自分で選び取ってこの生活をしている”感覚がとっても幸せだった。

お金も時間も気にせずに、好きな場所に行って好きな人に会いに行って。そんな1ヶ月。果てしなく自由ではあったのだけれど、結局自由と責任は紙一重だなあとも感じた。自由であればあるほど、とんでもない方向に行かないように常に自己コントロールが必要だし、どこまでも行けてしまうからこそ、ある程度の線引きやブレーキを自分自身でかけていかないといけない。

そんなことを考えながらも、「好きな人に会いに行きたいから」の単純さで好きなタイミングで好きな場所に行ける、この軽やかな暮らしを私はやっぱり愛しているなあ、と思う。

ちなみに追っかけをしている「ANTENA」というバンド、かっこよすぎるし素敵な世界観すぎるのでぜひ聴いてみてください(宣伝)。

暮らしにテーマを設けること

1月~4月まで、なんとなく暮らしにテーマを設けてみて(というか最初から設けているつもりはなくて振り返ったらなんとなくそうなっていた)、やっぱり「暮らすことは愉しいな」という当たり前の感想を抱いた。

旅をするでもなくてなにかとんでもなく面白いことが起こるわけでもなくて。「日々の暮らし」にこそ自分自身の感情が詰まっているし、気分によってあんなことしたいな、こんなことしたいな、っていうものがどんどん増えいく、そんな感覚。

暮らしを振り返ることで、なんでもない日常ですら愛おしくなるし、そんな日常を愛おしめる自分自身に対しても愛おしく感じるようになる。それが「日々の暮らし」を大切に自分の感情と向き合っていく何よりのメリットだと思う。

私自身、こうやって振り返ってみて本当に多拠点生活をはじめてみて良かったなあ、と心から感じることができる。いろんな暮らしをしていくなかで新しい街や人に出会うことはもちろん、自分自身の移り変わる感情や気づきにお出会うことができて。

そんなかけがえのない気持ちの変化やしたいことに合わせて「暮らし」自体を変えられる柔軟さをもっている。そんないまのライフスタイルを何よりも気に入っている。


5月が終わった頃、どんな気持ちで1ヶ月の暮らしを振り返っているか、とっても楽しみだなぁ。



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▶旅をしながら暮らす日常をInstagramで発信しています

@msk_kurashi

▶多拠点生活、旅暮らしについての想いは下記noteで。


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