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「月1ビワコの日」を設立した
「月1ビワコの日」
それは、名前のとおり月に1度琵琶湖に立ち寄りぼーっとする時間を過ごすことだ。
もとはといえば、私は海が大好きで、ずっと海のある暮らしがしたいと思っていた。このnoteを前々から読んでくれている方は、いやというほど海に執着する私を見ていただいているかもしれない。
けれど、私は京都で暮らすことを決めた。大好きな京都だけれど、唯一、海が遠いことが私にとっては懸念材料だった。車を使わないと海に行けない。それはやっぱり、海のある暮らしに憧れる私にとっては、少し気になる事柄だった。
そこで考えたのが「月1ビワコの日」だ。海がないからそのモヤモヤを琵琶湖を見て晴らす、というわけ。
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とはいえ、海の代替品とみなす琵琶湖には、個人的に思い入れがたくさんある。なんといっても、大学の4年間を琵琶湖のほとりで過ごしたからだ。琵琶湖に沈む夕日の綺麗さに動けなくなったこと。泣きたいほど辛いことがあったときには、琵琶湖の大きさを確かめて気持ちを落ち着かせていた。友人や当時の恋人と花火を見たり琵琶湖沿いでBBQをしたりしたこと。感情を揺るがす出来事が、琵琶湖を背景にたくさん思い出される。
そう、そんなこんなで、琵琶湖に月に1回立ち寄る、ということは、たんに海の代わりというだけでは説明ができないのだ。海を目の前にすると落ち着いたり心がスっと軽くなる感情を味わうけれど、琵琶湖を前にすると、なんかこう、いろんな感情が渦巻いてくる。冒頭で海の代わり、と伝えたし私もそう思っていたけれど、ここまで書き進めてきて、代わりなんてものじゃない、と思い始めてきた。
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とにかく、琵琶湖を見ると、気持ちがスーッと穏やかになるのは確かだ。対岸には広がる街や山、雲が反転して湖面に映る姿。ひたすら広い空を見上げていると、ちょっと気になるモヤモヤも「まあいっか」と思えるおおらかさ。
今日は琵琶湖沿いを1時間以上散歩した。大津駅から降りて、なぎさ公園として整備されている遊歩道をひたすら歩く。ただただ気持ちのいい時間。対岸の空から虹がうっすらと架かっているのが見えた。いつもの散歩道を変えると、日々の豊かさの幅も変わる。
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元気がないときやぼーっとしたいとき、はたまた晴れやかな空を見たいとき。どんなときでもお気に入りの場所にふらっと立ち寄れる身軽さを備えて。来月はどんな琵琶湖の表情が見れるのだろうか。今から楽しみだな。
琵琶湖のある暮らし、月1からスタートです。
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