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ひとりだけどひとりじゃないひとり旅

1年間、家をもたずに旅をしながら暮らす多拠点生活をしてきた。今日はちょっと個人的な話になってしまうかもしれないけれど、「景色の見え方」に大きな変化があったので、どうしても書き残しておきたいと思ってnoteに向かっている。ひとりである私と向き合うことと、ひとりだけどひとりじゃないという新たに芽生えた感情について。

心の中の「私」と向き合うひとり旅

この1年間、私はずっとひとりで旅をしている。基本的に移動も観光もごはんを食べるにもひとりだ。滞在先で顔を合わせた人と話したりごはんを食べたりすることがあるくらい。それ以外、この1年間は基本的にひとりで行動してきた。

だからこそ「内なる自分の感情」と向き合う機会が徹底的に多かった気もする。どんな景色を見て私は心が動くのか、どんな街の空気を心地いいと思えるのか、どんなライフスタイルが私にぴったりなのか。ぐるぐるぐるぐる。

心のどこかにいる「私」自身といつも対話をしながら、日本全国いろいろな街を巡って住みたいと思える街探しを楽しんできた。ときにはパートナーや友達と旅をする人たちを「いいなぁ」なんて思いながらも、「今はひっそりと心の中の自分と一緒にいたいなぁ」と結局、ひとりでいることに安心感や充実感を覚えていたのだと思う。

素敵な景色に出会ったり、美味しいものを食べたりして「あぁ、いいなあ」と感じる。その感情と向き合って、それを言葉にする。そんなことの繰り返しだった。常にひとりだけど心の中の「私」と一緒に旅している感覚。そんな心の中の「私」と向き合う時間を丁寧に十分に確保してきた私。6月からは旅暮らしをいったん中断して、プチ定住と称して京都での滞在をはじめた。

ひとりだけどひとりじゃないひとり旅

だけど、である。ひょんなことから京都に滞在中パートナーに出会った。11月から住む家を契約をした上で、9月後半から10月いっぱいは最後の旅暮らしを楽しもうかなあ、なんて思っていたタイミングだった。元々、9月後半から10月いっぱいはひとり旅をするという計画を立てていたので、付き合い始めてそうそうに私はひとり旅にでかけた。

前と同じ、ひとり旅なのに。何かが違う。ひとりなんだけれど、決定的にひとりじゃないという感覚。素敵な景色に出会ったり美味しいものを食べたりしていて「あぁ、いいなあ」と心の中の「私」と対話をする。だけどそれだけじゃない。

「一緒に見たい、一緒に食べたい」という確実に心の中の「私」以外をついつい浮かべてしまうようになったのだ。いつもいつも何気なく感じていた景色の見え方が変わったことを認識した。私の中で「この景色を一緒に見たい」という感情が芽生えたのは予想外で、こんな気持ちになるのはとても久しぶりだなあ、とどこか俯瞰して感じてしまう自分がいる。

それはきっとこの1年弱もの間、ひとり旅をしてきたからこそ感じる変化なのだろう。ひとりの旅暮らしを通して私自身と徹底的に向き合ってきて、私自身をよく知っていったからこそ、このタイミングでひとりじゃない、と思える人に出会えたのだ、と。

ひとりもふたりもたいして変わらないかもしれないし、ひとりだからダメとかふたりだからいいとかそういうことでもなくて。ひとりのときに見える景色ともうひとりがいるときに見える景色、それは似ているようでまったく違っていて。どちらも素晴らしくて、どちらもずっと大切に感じていたい、と心から思うのだ。

こうやって微妙な感情の変化を言葉にできるのも、この1年間ひとりで旅暮らしを楽しんできたからだと思うと、一つひとつの事柄を愛おしく思わずにはいられない。見た景色や味わった感情、紡いできた言葉。そんなものをひとりの旅暮らしでとことん積み重ねたからこその今なのかもなあ、なんてことを考える。同じ景色であっても、見え方が変わる。そんなことがあるものなのだ、と。

しばらくはひとりだけどひとりじゃないひとり旅を、気の向くままに楽しんでいこう。

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misaki|散歩日和
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