小学校2年生だった。 校庭の真ん中で、児童数人が輪になって集まっていた。 何事かと中を覗き込むと、少し掘られた穴の中に一匹の芋虫がいた。 そのうちの男子がちょっと重たそうな石を持っていて、芋虫目掛けてその石を投げ落としていた。 芋虫からは緑色の体液が流れていた。 「気持ち悪りぃ」 男子がぎゃあぎゃあ騒ぐ。 女子もきゃあきゃあ叫んでいた。 一発、二発。 みんな代わり番こに石を投げる。 なす術ない芋虫は、ただ痛みに身を捩っていた。 中学生の時、いじめられてい
「美咲さん、何飲んでるんですか?」 会社の昼休み。 お弁当をむしゃむしゃ食べ、飲み物を飲んでいると後輩から聞かれた。 「ルイボスティーだよ」 すると、少し離れた席からクスクス笑いが聞こえてきた。 「ルイボスティーだってwww」 若い女性社員二人。 声色が嘲笑の響きを持っていた。 そう。私はブスなのだ。 その一言は、160km/hストレートで心臓に届いた。 そしてグシャリと凹んだ。 「へぇ〜。ルイボスティーですか」 後輩が何やら喋っているが、クスクス笑い
中学1年生の時、じいちゃんが死んだ。 老衰だった。 小さい頃、母方の祖父母の家に泊まりに行くのが大好きだった。 物心ついた時から祖父母は年金生活。 統合失調症の叔父(母の弟)と3人、慎ましく暮らしていた。 じいちゃんは糖尿病を患っていた。 昔から甘ぁ〜いジュースや菓子パンが大好きで、好きなだけ飲み食いしていたのが祟ったらしい。 好きな物を自由に食べられないじいちゃんがかわいそうで、それを言うとじいちゃんは苦い顔をした。 私は、母方の祖父母の家を『ばあちゃんち』
当時4歳。 私は両親とともに、自宅から車でおよそ10分先のスーパーマーケットへ出かけていた。 そこはちっちゃな複合施設のようになっていて、スーパー以外にアパレルショップや雑貨屋、ドラッグストア、その他様々なお店が寄せ集められていた。 私と両親は本屋を訪れていた。 店内に入ると、私はとあるコーナーで立ち止まった。 そこには、さくらももこさんのエッセイが平積みされていた。 「お母さん!ちびまる子ちゃんの本がある!!」 そう、振り向いたときには、既に両親の姿が消えてい
私、ローンを組んで美容整形したんだよね。 それで、前に働いていた会社を辞めちゃって、収入が途絶えたの。 ストレスで心身共に病んじゃってたから、3ヶ月くらい自宅療養していた。 でも、ローンの支払いが毎月30,900円もあったの。 貯蓄がみるみる減っていって、物凄く焦った。 まだ万全じゃなかったけれども、『このままじゃ家賃も払えなくなるし、生活出来なくなっちゃう!』って。 それで私、考えた。 もう、お水やるしかないって。 稼げる仕事イコール「夜のお仕事」ってイメー
私、年一くらいで地獄の生理痛がある。 まず、腰痛から始まる。 痛み止めって、飲みすぎるとあんまり効かなくなるから、出来る限り飲まない方が良いって話を聞くよね? それで、痛み止めを飲まないで布団の中でじっとしているんだけど… どんどん痛みが強くなっていって、腰痛だけじゃなくて腹痛も始まり出す。 それからトイレに駆け込むんだけど、今度は下痢が止まらなくなって、個室から出られなくなる。 加えて吐き気もしだして、堪えきれない時は吐いちゃう。 上からも下からも止まらない。
ずっと孤独だった。 寂しくて、無理に人と関わろうとしていた時期もあった。 でも、あるときから他人との縁にしがみつくことをしなくなった。 人も社会も常に変化しているんだ。 常に移ろっているんだ。 縁とは自然に引き寄せあって、自然に離れていくものなんだ。 一度離れたとしても、縁があれば、またどこかで繋がりあえるものなんだ。 そう、私は思っている。 だけど、やっぱり寂しい気持ちを拭いきれない。 『本当に自分は正しいんだろうか』 そう、不安に思うこともあった。
昔、「女性の体は7の倍数で変わる」というCMが流れていた。 確かに。 27歳までは若かった。 でも、28歳のある日、急に肌が萎んだように感じたんだ。 そうしてだんだん、体から水分が失われて、いつか干し柿みたいなおばあちゃんになるんだ。 私の人生、ずっと渋柿みたいだった。 でも干し柿って、渋い柿ほど甘くなる。 だから私の人生、これからどんどん甘くなっていくんだ。 歳をとるごとに、どんどん甘くなっていくんだ。
20代前半。 娯楽の少ない田舎町で私の趣味はbar巡りだった。 当時22歳。 『MARIO』という名前のダイニングバーによく通っていた。 店員はみんな男性。 そこで出会ったのが、私と同い年の見習いバーテンダーだった。 店内はオレンジ色の温かな照明が灯っていて、壁には様々な種類の酒がズラリと並んでいた。 どっしりと重い、赤くてふかふかな椅子が置かれていて、座るととても心地良かった。 その店で出されるお通しはちょっと凝っていて、毎度舌鼓を打った。 シェイカーを振
私、ちょうどコロナが収束してきた時期に入店したの。 それで勿論、感染症対策のことも気になったんだけど… それより『経営は大丈夫なのかしら?』って、思ったんだよね。 そしたら店長、自嘲気味に言ったの。 「こういう仕事はなくなりませんから(笑)」って。 『どういう意味なんだろ?』って私、考えを巡らせたの。 そしたら『さくらん』って土屋アンナさん主演の映画を思い出したんだ。 器量が良い田舎娘が吉原に身売りされて、そこから花魁道中練り歩くまでのサクセスストーリー。 あ
皆さん『黄昏泣き』ってご存知? 幼児が夕暮れ時に泣く現象。 数年前にネットでそのメカニズムが分かりつつある、というような記事を読んだ。 あれって、幼児の脳が未発達なせいで、記憶が処理しきれなくて泣くんだって。 実は私、その時の記憶があるの。 多分2歳だった。 当時、田舎の県営住宅に住んいでた。 最上階の5階。 ベランダにはお砂場セットと三輪車が置いてあった。 まだまだ遊び足りない私は、1人ベランダに出て好き勝手に遊んでいた。 私は、赤い三輪車に目をつけた。
私、鼻もコンプレックスだったんだけど、目の下のクマもずっとコンプレックスだったんだ。 それで、目の下の脂肪取り(経結膜脱脂法)をすることにしたの。 費用は国内の美容整形外科で40万円弱。 ちょうど年末に手術した。 正月休みが1週間あるから、それなら仕事を休まずに行けるかなと思って。 ちなみに、クマ取りの手術も全身麻酔だった。 眼球と下瞼の間にメスを入れて脂肪を抜き取る手術。 3時間くらいであっと言う間に終わった。 翌朝。 私は奥二重なんだけど、完全に一重瞼に
実は私、27歳の時に整形しているの。 目の下の脂肪取りと鼻。 「整形は魔法じゃない」 You Tubeで整形アイドル轟ちゃんが言ってたけど、アレ本当だった。 スッポンが月になりたかったのに、亀になったくらいの微妙な変化だった。 保育園に通っていた時から、ずっと思っていたことがあった。 「なんで私の鼻は、鼻の穴が丸見えなんだろう」 「なんで皆普通の鼻なのに、私の鼻だけおかしいんだろう」 ちっちゃい時は遊んでいると忘れられた。 けれども、小学校に上がり自我が芽
4歳の時。 田舎のスーパーにウルトラマンがやって来た! 私は喜び勇んで握手会に並んだの。 ウルトラマンが私の手を『ギュッ』と握ってくれたんだ! それがもう、嬉しくて嬉しくて! 『私がとびきり大好きなものをウルトラマンにあげたい』 そう考えた私は、当時、大事にコレクションしていたセーラームーンのカードを2枚、ウルトラマンに渡したの。 『ありがとう!!』 そう、ジェスチャーで受け取ってくれたんだ。 それがまた、嬉しくて嬉しくて! 私はスキップするようにスーパー
純朴な田舎の少女時代。 絵を描いたり、本を読んだり、おままごとをしたり、 外でかけっこしたり、自転車で爆走したり、ごっこ遊びしたり、落ち葉拾いしたり、 何でも楽しかった。 よく泥だらけで家に帰ってきて、母に叱られていた。 4歳くらいの時。 団地の集会所に集まっていた、女子中学生3人組の中に、勝手に混ざって遊んでもらったことがあった。 秋から冬にかけての時期。 外はもう真っ暗。 公園の時計を見たら19時半を過ぎていた。 ちっちゃい子がそんな遅くまで帰ってこな
昔、はじめて江國香織さんの小説を読んだ時、barに凄く憧れたの! 江國さんの小説には、美味しそうな食べ物やお酒の話がいっぱい書いてある! 小説「きらきらひかる」で、主人公の笑子がお酒を飲んでいる描写が度々出てくる。 また、夢の中でシュークリームの「コアントロー味!」って嬉しそうに叫んでる描写とかがあったりして。 素敵じゃない? 「シュークリームのコアントロー味」 なんて素敵な響きなんだろうって! だから20歳になって直ぐbarに行ったの。 私内気なんだけど、昔