祖父は1910年生まれだった。 明治43年。 大正の時代に少年期を過ごし、青年期に昭和の時代を迎えた。 私の父が生まれたのは1930年。祖父は19歳で父になった事になる。 婚礼写真を見ても確かに若い。 それでも現代の19歳と比べると大人に見える。 そんな祖父は終戦から2年後に他界してしまった。 私が生まれる20年以上前。 もちろん私は祖父と話した事はない。 元から失われていた時間。 祖父との会話。 直接話す事は叶わなかったが、祖父は色々な言葉を残していた。 私との会話のた
この小学校は創立150年を超えている。 私も6年間通った。深く考えた事はなかったけれど ここは父の母校でもあったわけだ。 父は日中戦争時に通っていた。 当時は単なる小学校ではなく尋常高等小学校。 戦死した地元出身の若者の合同葬などが校庭で行なわれることもあった。 現在の校舎は3階建ての鉄筋コンクリート造。 私が通っていた頃と同じ形をしている。 考えてみると父が通っていた頃は違う建物だったはず。 どんな建物だったのか父に聞いてみたかった。
YouTubeに書類を朗読する動画をアップしました。 まず5本です。 以下がリンクです↓(全て2分から5分) ★1942.9.7 戦時中の公文書 銃後の守りは節約と貯金から~生活刷新貯蓄強調日の実施~[ENG-SUB] https://youtu.be/_Knei54RW00 ★1940.4.12 ドイツのデンマーク侵攻 満州日日新聞[ENG-SUB] https://youtu.be/orqaGK4NyCc ★1936.1.X 勇ましい兵隊双六(1936年「小学二
亡父の生家に長い間眠っていた膨大な書類を見つけたのは2019年12月のこと。ちょうどコロナ禍が重なり動きづらいため、ひとまず書類の山をファイリングすることから始めてみます。