徒然鶚2
時折私は感情が震えて吐き出したくなります
それがどのようなものかはわからないのですが、自分の中から溢れだそうとするのです。でも、それがなにかはよくわかりません。
幼いころはなにかにつけて情動に泣いておりました。
少しずつ少しずつ鈍麻していく心に怯えながら、大人になっておりました。
今でも押し殺した感情の奥には、燻るように熱は瞬いております。
前回の徒然鶚1の文章はそのような想いを、浮かぶままに文字にしたものです。読み返せばなんとも無様な文章でしょう。繰り返される言葉に、鈍い形の音や景色。作品としようと思うのならば、感情という素材までに分解して、作り直すでしょう。
本当の意味ではそういった作品に心を費やしたいのですが、時間も体力もと言い訳するような、怠惰な大人になってしまいました。本当に、無様。
血を流し、涙で濃度を変えて、うめき声に乗せて、色をカンバスに吹き付けるようなそんな創作がしたいと思います。思うのです。ですが、私には筆がありません。家族は音楽を嗜んでおりましたが、私はその機会を捨てました。音には憧れがございますが、今更どうしろと自問自答もしてしまいます。
私がこれまで積み重ねてきたものは、胸にヒビを生むだけの脆さだけです。かろうじて、多少の日本語は覚えてまいりました。ですが、やはり画材というには彩りが足りません。
悔しい、そのように感じますが私自身の罪か罰か、生き方を疎かにしたせいなのは間違いありません。
なおも胸を震わせるこの名のなき情動を制するすべなどないのでしょう。おそらくこれはさがとも呼ぶべきもの。人生を半分近く費やして、あきらめるということもまた無様であり、さりとて逃げたるもまた無様。
粋を失い、意地を失い、意義を失い、それでもなお情動に、死に体の羽虫のように悶える私は、そのように生きるしかないのでしょう。
後ろ指指して笑われることに慣れることもなく、傷つかぬこともなく、それでもなお、無様に生きるしかないこの身を私は誇らしく思うことは、まだできません。
私は、心奪われたいのです。一心不乱に。
意地汚く、すがりつき、己の無様さなど微塵も意に返さぬほどに心奪われたいのです。彩りを奪われても、ましろに塗りつぶされても、それを得るために生きたいのです。でも、そんなものはありません。ないと言って欲しいのです。この情動もきっと夢のとばりに描かれたありふれた刺繍のようなもの。もう、憧れ疲れたはずなのに、胸の奥にあるなにかは私に声をかけてくる。
私はなにをしたらよいのでしょう。ずっとずっと問い続けております。
叶うのならば、あなたと探してゆけるのなら、と今日もまた配信をしております。