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わたしの旅~自己紹介(改)1

奈良の神社のご神体の山麓
小さな森の中に住み
小鳥たちや植物に癒されながら
祈りの歌、いのちの歌を歌う歌うたい美紗です。

最近、潜在記憶を辿る旅のご案内を始めました。

今回、この旅をご案内するまでのこと
案内人の美紗はどんなひとなのか
2024年現在で、改めてまとめてみました。

わたしは元々、札幌で作業療法士というお仕事をさせてもらって
結婚をして自分の理想通りに設計したマイホームに住み
実家家族の介護も手伝いながら、時間的にも経済的にも余裕のある暮らしをしていました。

そんな一般的には、充分に恵まれた生活をしながら
ある日、気づいてしまったのです。

快適で恵まれていて手離す理由の見つからないこの暮らしだけど
わたしが本当に望んでいるものが他にある。

一生、それをしないでこの暮らしを続けていていいのか。

2年間、決心できない期間を経て
わたしがいつ自分の身体が不自由になるかもしれない
家族性の疾患がいま私に遺伝してもおかしくないことを思った時
やっぱり、この人生を生ききろうと決めたんだと思いなおし

元夫にも、実家の家族にも、元夫の家族にも、職場にも
わたしが特別にいま、経験や経済的基盤もない、ただ好きな歌を歌うこと
やりたいことをやって生きるために
離婚して退職して、移住することを決めたことをお話ししました。
そんな自分勝手が通るかと、怒鳴られるかもしれない。それも承知で、実家に帰り、やはり父親には、お前が勝手で元夫に申し訳ないと、一時勘当されました。その後、弟が父親と話してくれ、色んな方のサポートがあり、実家でホームコンサートをすることができ、そのときは、父親が一番、張り切って場を整えてくれたことを知りました。
勇気を出して、伝えた結果、最終的にすべての人がわたしの選択を応援してくれました。

元夫は、わたしがしばらく無職になるのなら扶養に入っていたらいいと
もう帰らないことも理解したうえで全ての自由を許してくれて、
必要なタイミングで籍をぬけばいいと言ってくれました。
応援していると。
ただ、感謝しかありません。

なにが不満だったわけじゃない、
ただわたしが自分の本音をずっと後回しにして
他人軸で生きていたから、だからわたしの大切なものがそこになかった。
それに気づかず、目の前のことに没頭しそれが本心の望みだと疑わなかった。だけど、何か満たされていない。
そんなわたしだったから、彼を大切にすることができず傷つけて
わたしの心も傷ついていてもう無理でした、
話し合いを重ねて何度も泣きました。

わたしが愛を回復するためにも、自分を愛すること
自分の本音を生きること、わたしを主語にして生きること
ただそれだけでした
大義名分もない、ただの自分勝手
それでいい。
それを自分に許せたことがわたしの人生にとって
とても意味がありました

それが何になるかのあてがあるわけでもない、
今までの自分の持っている経歴や資格など
自分を価値づけてくれるように思うすべてと別れて
なにものでもない私になる、
ただ心が震えること

それをして生きるとただ決めて宣言し始めると
世界が動き出しました。

札幌でインド音楽をしている尊敬する方に出会い
発声練習を教えてもらえることになり
その方の演奏会で出会ったプロの音楽家の方が
伴奏やプロデュースをしてくださり
オリジナル曲の作曲や収録、演奏会での演奏
そしてとても素敵な会場でライブコンサートをすることができました!


札幌を離れる前のコンサート 「祈」 尊敬する方や友人たちが来てくださる忘れられない日に

オリジナル曲を作曲し収録をして、仲間たちとコンピレーションアルバムを作成し、レコ発のツアーをするなど簡単にはできない様々な経験をさせていただきました。


仲間とつくったコンピレーションCDアルバム(現在絶版)


オンラインで繋がっていた音楽仲間が洞爺湖で集まったリトリート ここから運命が加速した


同じくして、同じ地に移住する同じコミュニティの仲間が集まり
3人で京都市内で音楽をいくらしても大丈夫な一軒家(!)がみつかり
シェアをして暮らすことができることになり
仲間と音楽を日常的にするのが当たり前の生活が飛び込んできました。


お誕生日お祝いしてもらってご満悦の日

プロの音楽家の方のサポートのなか、
たくさんの楽器の編成で演奏会で演奏させていただいたり
様々な舞台でそれぞれが自分の表現をする演奏を、自分が構成をして演奏する機会を頂きました。
神社さんへインドの讃美歌kirtan(キルタン)など、祈りの歌を奉納演奏させていただく機会に何度も恵まれました。(京都九頭竜大社さま、洞爺湖弁天島、江の島弁財天さま、など)


九頭竜大社さまへの奉納演奏 Saraswati(日本の弁財天)への讃美歌(kirtan)

インド古典音楽の学びを導いてくださる先生のもとで学び、
舞台で伴奏の機会を頂き
その先生の教えを仲間たちが触れられるような合宿を開催し
半年後に発表の場としての演奏会をすることが叶いました。

須磨寺での月夜のインド古典音楽Dhrupad声楽コンサートでの伴奏

その仲間たちと暮らすように音楽をして
波長の合っているとき
すべてがひとつの潮流になるような
奇跡的なセッションが何度も生まれ
神社さんへ奉納したときに通りがかった方の感激の声が
その私たちの生み出したものの何か、そのすごみを物語っていました。

こんな風に、音という振動を重ね合わせ暮らしていると
プロとかアマチュアとか技術や経験とかそういう次元を超えた
ただその波長が調和することで生まれる奇跡を何度も体験しました。

わたしにとって、これは究極の真実の体験でした。

わたしが体験したこのことは、わたしの音楽の概念を覆しました。


シェアハウスで開いた歌うヨガkirtan(キルタン)の会 
インド古典音楽シタール奏者の大御所の方がゲストできてくださいました

クラシックのピアノの楽譜通りに弾く練習が嫌いだったけど、ピアノの音色が好きだったわたし
知識や技術、作りこんで完成させた楽曲とは違う
その振動が共鳴しあういのちのアートのような音楽がある。

そしてこれは、それぞれの開かれた感覚と
よく聴き内側から生まれる反応のようなクリエイティブな衝動を
躊躇いなく瞬間で放つ
それぞれの内側と外側が繋がるヨガの起こしていること

NADA YOGA ー 音のヨガ

これは、体験することでしか理解できないもので
わたしの体験もまだ入り口。

ここから、瞬間を感じてただそのまま表れるものをとめず表現している
即興という形の振動の重ね合わせを
その同じような質のものを
音と、舞と、対話に見出し、探求し始めることになりました。

つづく

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