季節外れの第九 #夕陽海彩の呟き
8月15日。
終戦記念日。
いま、平和なこの国に生きる私には、正直実感はないけれど。
ひとつの、愚かで凄惨な歴史に終止符が打たれた日だ。
日本は、いま、平和で豊かな国になった。
でも、世界を見渡せば、
ひとたびテレビのニュースを付ければ、
遥か遠くの国では、今もまだ、争い事は終わっていない。
「戦争」は、過去の遺物ではなく、厳然とした現実の問題としてそこに在る。
私たちに、なにができるのだろう。
言ってしまえば平和ボケした、
日本の若い物書きに、音楽家に。
なにも、できない。
遠い国の争いはおろか、目の前の誰かを助けることさえ、できない時があるというのに。
表現者とは、無力なのかもしれない。
でも、時にこうして思いを馳せること、
平和ボケをそれで良しとしないことからではないだろうか。
昨年、暑さの去りきらぬ頃に出演したコンサートで、第九を歌った。
合唱隊の一人。
それでも、舞台に乗った。
これが、この曲のテーマだと教えられた。
意味は、
「あなたの魔法が、
時流が激しく分断したものを再び結びつける
すべての人々は、
あなたのやわらかな翼が憩うところで、
兄弟になる」
おおよそこうなる。
本番、舞台上できらめくオーケストラの音色を聴きながら、響きを合わせて歌いながら、思っていた。
これは、「歓喜の歌」と言われているけれど、
「歓喜を願う、祈りの歌」ではないかと。
戦争が続く世界。
戦争は終わっても、
悲しいことや辛いことが絶えないこの世の中。
そんなこの世界が、
少しでも幸せな方に、歓喜の方に、
歩んでいくことができますように
そんなふうに、祈りを込めて歌うこと。
「12月になるとよく聴くあれ」
ではなくて、
意味を理解して、想いを乗せて歌うこと。
こんな時代にこそ、
悲しい戦争の時代を直接には知らない、現代の若い音大生たちが、
こうして第九を歌うことに、意味があるのではないか。
私は、そう思う。
輝かしい音色の中に静かな祈りを込めて、
私の歌声はその響きに溶けていった。