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謝れない人に価値はない。

なんとも最悪なタイトルなのに

この記事を開いてくださった方

ありがとうございます。

今回は私が先日高校で体験した話を

書いてみます。

学校という場を少しでも

理解していただけたらうれしいです。

しかし、この記事は

私たちからの視点でしかないので

なんとなくこういうことがあったのだな。

と思いながら読んでいただけたらと思います。



謝れない人に価値はない

とは思いませんが

謝れない人と関わりたいと思う人

ほとんどいないのではないでしょうか。

少し前に文化祭の準備をしていた時に

学校の先生から理不尽な要求を

されたことがありました。

文化祭前日に今まで準備した装飾を

剥がしてやり直しなさい。

と言われたんです。

しかも、剥がさなければいけない理由が

あなたたちのやっていることは

前例がないことだから。

そして、学校の費用を使っているから。

です。

ただし、新しい模造紙を買いに行って

装飾を作り直さなければならず、

全て剥がして買い直す方が

学校の費用の無駄遣いであることは

間違い無いですし、

前例が無いことがダメなら

新しいことはなに一つできないじゃないか

と思いました笑

そもそもルールには私たちがやっていることが

禁止事項と明記されておらず

私たちの装飾を見て他の先生たちも

素敵ね!と声をかけてくださっていました。

その時点で先生同士の認識の違いに

疑問を持った私は

担任と文化祭幹部の先生の目の前で

失礼ですが、お二人の連携ミスですよね?

と物申したわけです。

すると、文化祭担当の先生が発したのは

はい!ミスです!

という謎の圧と共に反省の色が

あまり見えてこないこの言葉でした。

その時に

すみません

と一言言ってくれればいいものの

それはもちろんこちらのミスです。

と言われてしまい

そんなの当たり前でしょ。

私たちのミスなわけないでしょ。

いくら生徒主体で行事を進めていくにしても

基準は先生が決めなくちゃダメじゃん!

と、カチンときた私は

それに関して私たちに謝罪の言葉ないんですか?

と問いました。

すると担任は私の腕をさすりながら

私もこれがルール違反だという認識がなかったの

ごめんねと言ってくれました。

個人的に、言ってくれたという表現は

あまりにも優しい気がしますが笑笑

しかし、文化祭幹部の先生は

腕組みをして立ち尽くすばかり

その場には私を含めて3人の生徒がいました。

私は人に謝れないような人が

催し物の上の立場にいることに納得ができず

泣きながらその場を後にしてしまいました。

するとその場にいた友達2人が

私を泣かせた。

という事実に腹を立て、謝れないなら、

あなたたちと話をする気はありません

私たちの拠点がある場所に謝りに来てください

と伝えてくれていました。

その後、

担任と文化祭幹部の先生がやってきました

担任は一言目に謝罪をしてくれした。

ただ、残念ながら

文化祭幹部の先生は

まずは装飾のことですが〜〜

と話を始めました。

私はそれに腹を立て、気がつくと再び

涙が溢れてしまいました笑

本当にその時の私には

しっかりして!と言いたいですが笑

それを見た友達が、

まずは一言目は謝罪では無いですか?

人に謝らせておいて

自分は謝れないんですね。

と言ってくれました。

これに関しては賛否両論あるかもしれませんが

文化祭前日にやり直しだと言われ、

まだ他の装飾が終わっていないのに

買い出しに行かされそうになっていて、

なぜか理不尽に私たちのせいにされている

という精神状態では

友達の言葉がとても力になりました。

しかし、それを聞いた先生は

衝撃の一言を発します。

そもそも、文化祭実行委員や幹部に

確認をとっていない君たちの責任です。

と、、、、

さっきの私たちのミスです!

というあの言葉はどこへ消えたの?

担任ですら、ルール違反だという認識がなく

職員室の先生方も 素敵ね!

と言ってくださっている状況、

ダメなことだという認識がないものに関して

わざわざ確認を取ろう

という発想になりませんよね

私はそれを言われ、ショックでした。

この一連のやり取りは

私たちも先生に対して

言い方がきつかった場面もあります。

ただ、

最終的に

文化祭幹部の先生の謝罪で無事終結を迎えます。

最初は

まぁ、申し訳なく残念です。

と言われてしまいました。

私たちはどうしてもその言い方に納得ができず

なるほど、そういう態度を取るんですね

と言ってしまいました。

すると、

今回に関しては

本当に申し訳ないです

と頭を下げてくださいました。

私たちはどうしても

装飾を外してやり直すことに

納得ができませんでした

ただ、装飾はやり直すしか選択肢は無い。

と言われたので

もういいです。

装飾はあってもなくても私たちの催し物に

影響はそこまで無いので

無しで行きます。

と担任に伝えました。

しかし、担任にそれはダメね、

なんだか無機質だから。

と言われてしまいました。

それ以前にも担任の行動で

私たちの予定が狂い、

非効率的な場面がいくつかありました。

その憤りもあったせいで

私たちも

何をやっても文句言うなら

自分でやったらどうですか?

と言ってしまいました。

そして、結局装飾を担任の先生にやらせて

私たちは私たちの予定があったので

待ち合わせの場所に向かいました。

戻ってくると

気休め程度の変化しかなく、

こんなちょっとの変化なら

別に剥がさなくてもいいじゃん。

と思ってしまうほどでした。

しかも、担任に事情を聞くと

私たちが手伝いで呼んでいた

他のクラスの人にやってもらったのだそうです

なんだか納得がいかなかったのですが

無事に文化祭も終わり、

私たちの催し物は大好評でした。

私たちにも非はありますし、

先生方にも非はあります。

今回は、今まで先生たちに

理不尽なことを言われ続けてきた反動で

戦いが始まってしまった。

と言う感じです。

ここでみなさんに知っておいてほしいのは

学校という場は閉ざされていて

先生がやりたい放題できる環境だ

ということです。

ただ、それに丸め込まれるだけじゃなくて

今回の記事のように

正論で詰めていく、というか、

思いを言語化して具体的に伝えることで

先生を謝らせることくらいはできますし

先生と対等に会話をすることだってできる。

ということです。

目上の人に対して意見を言うことや

私たちの行いを正当化することは

怖いことだと思います。

でも、私たちにも私たちの思いや事情があって

それを理解してもらいたいですよね。

今回の経験で、自分自身の立場なんかよりも

自分たちが納得いくまで

声をあげたっていいんだ。

という確信を持てました。


※あれから、2人の先生とは

何事もなかったかのように

話をしたり、事務連絡をしたり

授業を受けたりしています。笑笑


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