見出し画像

オモニの涙と、絨毯

7月に、オモニ(母)と2人で韓国旅行に出掛けた。
私は2回目、オモニにとっては初めての韓国だ。

在日コリアンである私たちにとって、「故郷」と呼ぶことはできても、オモニは一度も行ったことがない土地。交通機関の乗り方は大丈夫かな、換金は足りるかな、そんなふうに他の観光客と同じような心配をしながら向かう土地。

オモニはずっと、韓国に行ってみたいな〜と言っていたけど、パートがいそがしいから、そんなに休めないからと色々理由を付けては、すぐに行動に移すようなタイプではない。海外は新婚旅行が最後だし、ひとりでどこかに行ったり、飛行機を乗り回す私とは正反対だ。

でもそんなオモニを、どうにかはやく韓国に連れて行きたかった。私が学生で時間があるのは今年で最後だし、本当に、いけるときに行かないと、どんどん時間とタイミングいうのは無くなっていくもの。


そんなこんなで、帰省したタイミングでどうにか日程だけを確定させて、絶対ここはパート休みにしてね!!!!ぜんぶ飛行機とホテルは予約するなら、パスポートだけは忘れないで!!!と念を押した。まあ、ぜんぶお金はオモニが出してくれるんだけどね笑

考えてみれば、オモニと2人きりで3泊4日もどこかに旅行に行くのは初めてだった。それも海外なんて。家族旅行はよく行くけど、基本みんなで一緒だし、長くても2泊くらい。
友達と違って、旅中で疲れた〜とか文句を言われることも想像できる旅なので、いつもひとりで海外に行く時のような行き当たりばったりの旅とは変わって、ある程度精密なスケジュールを練ることにした。

3泊4日。ソウルの中心部。本当によくネットで見かけるような、王道コースを回る旅だ。サムギョプサルを食べて〜、カフェに行って〜、明洞で買い物して〜、宮殿を散策して〜。

ソウルに着いて天気予報を確認すると、4日間すべて雨予報になっていて、ホテルのテレビでは大雨警報が流れていた。

おいおい。ぜんぶ雨はやめてよーと、少し憂鬱な気分になったけど、幸いにも2日目からは過ごしやすい曇りの日々が続いてくれた。

オモニは終始、レストランの店員さんに韓国語で話しかけようと頑張っていた。
そう、頑張る、という表現なのは、私たちが在日だからだ。

同じハングルなのに、在日として日本で私たちが習ったハングルと、本場韓国で喋られているハングルは少しちがう。ほぼ理解できるけど、イントネーションはかなり違うし、早口で喋られると、たまに理解しにくいこともある。初めて韓国にきたオモニにとっては、聞き取りが少し難しかったようだが、それでも、積極的に話そうとしていて、意外だった。恥ずかしがってあまり話さないかな?と思っていたので、楽しそうに会話するオモニを見て、嬉しくなった。

楽しい韓国旅行、私は少しプレッシャーも感じていた。

韓国とはいえ、オモニは本当に海外慣れをしていないから、絶対に1人にはさせていけないと、私がトイレに行く瞬間も気をつけたし、交通機関も時間通りちゃんと乗れるか少し不安にもなったし、何より4日間でお母さんが行きたいすべての場所にちゃんと案内できるか、急な天候の悪化とかで残念なきもちにさせないかなとか、いろんなことを考えながら旅をしていた。
でも私たちの旅は、想像以上に楽しく、順調に進んでいた。

そう、でも、

私たちの旅のハイライトは、韓国での最後の夜に起きた。

韓国に泊まる最終日の夕方から、ロッテワールドという遊園地に少しだけ行ってみようかということになり、少し遠くはあったものの地下鉄で向かっていた私たちだったが、雨が強くなってきたことや、あまり遠くまで行くのはやっぱり疲れるということで、急遽地下鉄を降りることにした。

そこに、広蔵市場という場所があった。広蔵市場は、観光地としても有名な場所だが、時間の都合上今回は行かない予定だった。

ちょうどいい。お腹も空いてきたし、ここで軽く食べてはやめにホテルに戻ろう。

そう思っていた私だったが、あら不思議。どんなにどんなに歩いても、食べ物ゾーンが現れないのだ。市場の中が広すぎる。迷路みたい。出口も見えない。ずーーっと、小物や服屋さんばかりが並んでいて、とうとうチマチョゴリゾーンまでやってきてしまった。

まずい。オモニが疲れて、はやく帰りたいとか言ってきたらどうしよう。

そんなことがよぎったとき、そこは現れた。

そう。絨毯屋さんだった。

そういえばオモニは、本番韓国の有名な生地の絨毯が見てみたいと言っていた。なかなか日本では手に入らないものらしい。

ナイス!!!絨毯屋さん!!

オモニ!!!!絨毯屋さんがあるよ!!

私たちは吸い込まれるように、中に入っていった。


平日で人通りも全く少ない中で、観光客らしき私たちが入ってきて、絨毯屋さんの夫婦は嬉しそうでにっこにこだった。日本からきたんだというと、早速いろんなものを奥から引っ張り出してきて、ぜんぶ触らせてくれた。


だがそこで私が韓国語で話しかけると、とても驚いた顔をされた。在日なんだね!在日同胞なのに、本当に韓国語を話すのが上手だね!!と。

オモニも、私の娘は本当に韓国語上手でしょう!!コリアン学校に通っていましたからね〜と得意げに話していた。とても誇らしげに。
オモニは、日本で生まれたから今回初めて韓国に来たんですよ。と私がいうと、夫婦はとても喜んでくれた。

日本からはるばる、初めてきてくれて本当によかった。故郷はどう?


私はふと、故郷なのかな?
韓国にきて、わーーー故郷に戻ってきたーー。といった実感はあったかな?と思った。

生まれ育った地元は長野県。私にとって韓国ってなんなんだろう。母にとって初めての韓国ってどんなものなんだろう。

そんなことを考えながら、私たちは結局、絨毯とブランケットまで買うことになった。笑
でも、素人の私でも分かるぐらい、かなりの値引きをしてくれて、換金分が足りなかった私たちのために、日本円で受け取ってくれたのだ。(こんな円安の時期に)


お母さんの、記念すべきはじめて母国なんだもん。
せっかく私たちの同胞がはるばるきてくれたんだから、これぐらいしてあげないと!!その代わり、またぜひ、韓国にいらしてくださいね!!と、夫婦はしっかりと絨毯とブランケットを包装してくれた。

私たちの同胞。

結構高い買い物になっちゃったけど、大丈夫だったかな?とオモニの方を見ると、オモニは嬉しそうに目に涙を浮かべていた。

あぁ、オモニを、初めての母国に連れてきて本当によかった。その瞬間に、そう思った。

同胞の愛みたいのをすごく感じたんだ。胸がじーんと熱くなった。こんなに近いのに、来たことがなくて、初めて来て、でもやっぱり、同胞と呼んで暖かく接してくれる人たちがいる。そんな愛を受け取った気がした。

しっかりと圧縮されてすっかり重くなった絨毯たちを大切に持って、私たちは日本に帰ってきた。


次いつ一緒に韓国に行けるかな?長期間休みを取るなんて結構大変だったし、もしかしたら最初で最後だったかな?

でも、実家に帰る度に、私は暖かい気持ちになる。

韓国で買った絨毯は、私たちのリビングに、いつも、敷かれている。

とっても、すべすべで、心地よくて、猫もお父さんもいつもそこで寝ているらしい絨毯。

韓国のあの市場のご夫婦の愛がこもった絨毯。

私とオモニの、楽しかった韓国の思い出が詰まった絨毯。


思い出はずっとずっと、絨毯と一緒に、そこにある。

惜しくもわたしは、迷路のようにあの何百店と並んでいた市場の中で、あの絨毯屋さんの名前を忘れてしまった。写真でも撮っておけばよかった。

そう思ったけど、でも不思議だけど、次に韓国に行った時も、なんだかあそこにたどり着ける気がする。

またあそこまで、さまよいながら、たどり着けますように。

いいなと思ったら応援しよう!