![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13308233/rectangle_large_type_2_4eefad2e668d7a5ed897ec6d40a21e70.jpeg?width=1200)
しなやかに生きるために
素敵な人は変われる人
こんな人になりたい、と憧れを持つ人はたくさんいる。
いつも笑顔で、誰にでも明るく接する人。
自分のことのように人を思い、手を差し伸べる人。
常に友人に囲まれ、愛さている人。
面白い仕事をしていたり、容姿が綺麗な人に対しても「こんな風になりたいな」と思う。
自分にとって「素敵な人」を考えた時に、そんな人たちの顔が幾つも浮かぶけれど、なかなかしっくりとこない。
素敵な人と、私はいつ出会っただろうか。その素敵な人は、私に何をもたらしたか。
改めて掘り下げて考えてみて、思い当たったのは「変わることができる人」だった。
私は意固地だから
変わることができる人にどうして惹かれるのか。
一番大きな理由は、私自身が変わることが苦手だからだ。
私は、環境の変化には強い。転職回数も引っ越し回数も多い。旅行も好きだ。変わることが苦手なのは内面の話で、中身がしっかりしているからこそ外的要因の影響を受けないとも考えられる。
自分をしっかり持っていると言えば聞こえはいいけれど、悪く言えば意固地で頑固。私はこういう価値観だから、こう思っているから、と、表面ではおもねっても、裏では舌を出すようなタイプである。
だから、自分と違う価値観、時には自分自身をひっくり返されるような展開に遭遇したとき、「自分を変えてみる」という選択ができる人が眩しくて仕方がない。
その柔軟さが本当の強さだと感じる。
自分の固定観念があぶり出される
変わることができる人を素敵だと思うけれど、その人が最初から素敵だったかは別問題だったりする。
これまで出会った変わることができる人は、出会った時は反感を持つタイプの人もいた。
たとえばある大学生の起業家。
自信とプライドに溢れた青年で、優秀だったが人への思いやりが決定的に欠けていた。人の話に耳も傾けないし、自分の味方か敵かで判断して壁を作る。付き合いにくいなと思っていたし、出会った頃に彼と一緒にいたメンバーも1人、2人と離れていった様子をみて、
「彼はずっとこのままなんだろうな」
と思っていた。
でも1年後に再会した時、別人かと思うほどに考え方も人への態度も変わっていた。
結果的に仲間や投資家の支援を受け、今や起業家として何段階も成長を遂げている。
彼との出会いは私に幾つかの気づきを残した。
人は何かのキッカケで変わること。
変わることで歯車が噛み合い、大きな成果につながる可能性があること。
相手を「〇〇な人」だと一度思うと、それに縛られる自分の視野の狭さ。
自分が変われば世界も未来も変わることと、誰でも変わることができる。
なんだかクサいセリフにも感じるけれど、心から実感した出来事だった。
そして、自分が喜びを感じる仕事、経験とはこんな「変化」を誰かにもたらすことではないか、というアイデアにつながった。
変わるために必要な要素
変わることができる人は素敵だと思うけれど、「変わる」ことをさらに突き詰めると、
・自分と違う価値観を受け入れる懐の深さ
・今の自分を「肯定的な態度で」否定してみる勇気
・変わることを恐れない強さ
・「変わったよね」と人に言われることを恥じない自信
・どう変わっても、自分に自信を持てる自己肯定感の強さ
これらを変われる人は持っているのではないか。と思いついた。
これは私が持とう、持ち続けようと考える要素だ。
結果的に変わらなくても、これらの要素を持ち合わせた上で「変わらない」という選択をする人もいる。また、変わることができるけど、変わり身が早すぎて、脈絡もなく「信念がない」と感じる人は素敵だと感じない。
「変わることができる人が素敵な人」とまとめたが、もう少し修飾すると、「これまでと違う自分を受け入れ、人生を良い方へ変化させる決断をできた人」に、素敵だな、と感じるのだ。
変わることができるのは若さの証
年齢の若さではなく、精神の若さがあるから、変わることができると思う。
変わることができる人は柔軟だ。新しい価値観を肯定できること、今まで積み上げて来たものも、もっと良い方へ変える柔らかなしなやかさを持っている。
歳を取ると体が固くなると言われるが、頭はもっとはやく凝り固まってしまうと感じる。それこそ10代から頭が固くて変われないという人も少なくないはずだ。
なんでも正解が求められ、何でも検索で「正しいような」ものを発見でき、タイムラインから自分と違う価値観の人を排除できる現代はもっと深刻になるだろう。
変わることは疲れる。
心は乱れ、考え、悩み、失うものもあるだろう。変化を億劫と思わずに実行できるのも、精神的な若さが必要だ。
常に問を持つ
変わることができるのは、問を持ち続けることができるからだと思う。
世間は正しいのか、自分は間違っていないか。これでいいのか?
基本的に「定例」というものが好きではない。
同じやり方をすれば、リスクも不確実性も下がるが、面白さはほとんどない。期待通りの楽しさと成果。
だから変えてみる。
大学の頃、サークルの合宿で、何年も同じ旅行代理店を使い、同じ場所に宿泊していたが、変えようと決めて、交通手段からホテル探し、交渉まですべてゼロからおこなった。
とても大変だったし、ただ参加者しているメンバーの楽しさや満足は大きく変わらないかもしれないが、自分の中の満足度は最高だった。
結果的に同じ場所にたどり着くとしても、脇道に逸れたり道なき道を開拓したり、そんなプロセスが楽しい。
変わることでの苦労も「楽しい」と思えるならば、自分もまだ精神の若さがあるのだと感じることができる。
変わることはしなやかに生きること
精神の若さ、しなやかさを持ち続けるためにも、自分の過去や現在にしがみついて変わることを恐れる自分を克服していきたい。
そのために新しいことに挑戦する。
「言葉の企画」に参加することもそうだし、いつも行かない場所に足を伸ばしたり、興味がないイベントにも参加してみるのもありだ。
変化するためには、変化の芽に気づかなくてはいけない。
自分の中にその種は残っていると信じているし、たくさんの水と栄養と太陽を与えて、これまでと違う自分と出会えることを楽しみにしたい。
変化をいとわない素敵な人に出会うたびに、自分のありたい姿を重ね、つらいときに「これでいいんだ」と思わせてくれる。
だから変化できる人に憧れ、素敵だなと感じるのだ。