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最終話 『愛と秩序の四時間目 小学六年生への社会学講義』

【眞家翔吾】

「翔吾ってけっこう賢かったんだな~」

「俺、ただふざけてるだけだと思ってたわ」

「なんだとっ?俺はいつでも真面目よ。実はすっげぇ色々考えてんのよ?」

 給食係――それぞれ「大きいおかず」を担当している河瀬と「ご飯」を担当している鈴木の二人が配膳しながら声をかけてきた。

 多少引っかかる言い方だけど(こいつら俺のことなんだと思ってたんだ)、俺に対する評価が上向きに修正されているのだから悪い気はしない。

「それよりその…一番奥にある大きいやつ入れてくれよ。あ、ご飯は気持ち多めで!」

「えー、お前だけ贔屓できないよ。…でもまぁ、今日の翔吾はなんかすごかったし、内緒な?」

 そう言って、河瀬がこっそり(と言っても、隣に並んでる奴には丸聞こえなんだけど)俺が指差した通りのものを入れてくれた。鈴木も、無言でちょっと多めにご飯を盛っている。こういうの、なんか友情って感じがするよな。バレバレの「内緒」に俺の心が温かくなる。

 マスク姿の二人に「ありがとな!」と礼を言うと、顔が隠れていても分かるくらいにニカッと笑った。

 ちなみに、今日の大きいおかずは俺の好物、鶏肉のネギだれソース。母さんの頃は違ったらしいけど、俺たちがいつも食べている給食はどれもけっこう美味しい。中でも、鶏肉のネギだれソースは絶品で、生徒たちの間でも人気メニューなんだよ。ちなみに、ネギは地域の農家さんから調達した地元の特産品とかで、給食を通して地産地消を推進してる(五年生の社会で習ったんだ。俺、そういうのちゃんと覚えてるんだぜ!)。

 ……って、給食のアピールをしたかったわけじゃない。話を戻すことにしよう。

 ぐぎゅるるる……。体育の後でもないのに、俺のお腹が派手に鳴った。

 頭をフル回転させ、集中力も何もかも注ぎ込んだ四時間目だった。思い切り身体を動かしてお腹が空くことは今まで何回もあったけど、うんと頭を働かせてお腹が空くという経験をしたのは初めてだ。

 給食の列が前に進む。ご飯の次は汁物だ。「たっぷり春野菜のすいとん汁」を注いでもらう。

 ――社会とは何か。どうやってできているのか。

 心の中で自分が発した疑問を繰り返してみる。興奮がまだ冷めないのか、胸のあたりがドキドキしてきた。

 俺が今まで質問を繰り返してきたのは、純粋に知りたいって気持ちからのものだ。でも、正直に告白すると、俺は「正しい答え」を求めていた訳ではなかった…らしい。

 俺には正しい答えを求める以上に欲しかったものがあった。もっとも、最初からその「欲しかったもの」を意識していたわけじゃなくて、気づいたのは今日の四時間目もほとんど終わろうとしているタイミングだったわけなんだけど。

 わからないことを率直に訊ねる行為が常に歓迎されるとは限らない。俺の本心や気持ちとはかけ離れて、時に相手を困惑させたり、さらには「試しているのか」なんて反感を買う場合だってあった。大人にも事情があることはわかるし、俺の質問の仕方も良くなかったかもしれない。だけど、まともに取り合ってもらえない場面が積み重なっていくうちに、うまく言えないけど…そうだな、俺のどこかが「ダメだ」って言われているような、拒絶されているような、そんな寂しい気持ちが膨らんでいった。

 だから、取り合ってもらえなかった場合の逃げ道を用意しておきたくて、質問するときはなるべく真剣な雰囲気にならないように、無意識のうちに少しおどけけたトーンになっていたのかもしれない。それなら、「やだなぁ、冗談ですよ」って誤魔化すこともできる。

 だけど、久野先生は……俺の質問を「良い質問」だと言ってくれた。久野先生が俺の質問を聞いてからしばらく沈黙したときはどうしようって内心焦ったけどね。

 自分がわからないと思っていることを認めてもらえた喜びっていうのかな。すごく、嬉しかった。

残された授業時間の全てを使って(全然足りなくなって大幅に時間をオーバしてしまったけれど)時折苦しそうにしながらも、でも終始楽しそうに、懸命に応えてくれた。そんな久野先生の姿を俺は一生忘れない。

 …うわ、鼻の奥がつんと熱くなってきた。これはまずい。

「どうしたの、眞家君?目、なんか赤くない?」

 汁物担当の女子が目敏く、すいとん汁を手渡しながら俺の顔を覗き込もうとする。

「あー、俺、花粉症なんだよ!」

 苦しい言い訳を残し、俺は牛乳瓶を一本取ってそそくさと自分の席に戻った。

 俺の学校では、班ごとに給食を食べる決まりがある。だから、机は班ごとに向かい合わせの形で並べられている。

班は五人ずつで構成されていて、俺のクラスは三十人いるから全部で六班だ。俺は一班。一班のメンバーは、今日大活躍した三人…俺(自分で言うなって?)と、義教と栄名さん。あと、スーパーゴリ…違った。笠原と、俺のサッカー仲間、村重の五人だ。

 授業中の話し合いや調べ学習の発表、実験に実習、校外学習から掃除まで、学校生活の様々な場面が班活動によって運営されている(…よく考えると、この「班活動」も教室内の「秩序」を保つ役割の一端を担ってそうだな)。

 一班は俺以外はすでに給食を受け取って着席していた。が、他の班の面々はまだ給食の列に並んでいるため、「いただきます」をするにはまだ少し時間があった。

「うーん、なるほど…」

 ちょうど俺が着席しようとしたとき、義教が感心したようにつぶやいたので「なんかあったのか?」と訊ねてみた。すると

「ああ、さっきの授業の内容についてちょっと話してたんだけど、栄名さんの意見を聞いてたらなるほどなーって思ってさ」

「え?そうなの?栄名さん、何話してたのか俺にも教えてくれよ!」

「う、うん。でも、全然大したことじゃないよ」

 栄名さんはそう言って手をぶんぶんと振りつつ、恥ずかしそうに微笑んだ。

「謙遜しなくていいって!さっきの授業でも、栄名さん大活躍だったし」

 この時、少し俯く笠原が俺の目の端にうつったような気がしたけど、わざわざ確認するのもおかしいと思い、俺はそのまま栄名さんの言葉を待った。ほどなくして、栄名さんは話し始めた。

「えっと…秩序を生み出すための社会契約の話があったよね?合理的な契約があるだけでは足りなくて、そういう約束が守り続けられるためには、人々の間に価値意識の共有が必要だって結論…」

 栄名さんはここで、俺の反応を確かめるように言葉を切った。席を外していた俺にもどういう話をしていたのかわかるように、一から説明してくれたらしい。丁寧な人だなぁと思いながら、俺は首をうんうんと縦に振る。

「それでね、もし、自分の利益だけを優先するような生き方をしたらどうなるかについて私なりにちょっと考えてみたんだけど、結局、自分だけが豊かになったとしてもそれって本当に幸せなのかなって思って…。功利主義的な振る舞いや合理的な考えが優先されるような社会で、秩序が保たれるなんて私にはやっぱり想像できなかった。みんながちゃんと豊かになって、暮らしやすい社会だったらいいなって思うし、そういう社会にするためには価値意識の共有以外にどういう努力…仕組みが必要なのかなって色々気になって…」

「すげぇ、栄名さん!なんかもう次の段階のことまで考えてるし!」

「ううん、そんなことないよ。それより、博郷さんもすごいんだよ。博郷さん、さっき話してくれた…」

「そうそう!俺も聞いてたけど、おおーって思った!」いつもよりやや大きめの声で村重が口を挟んできた。多分、いつ入ろうか様子を窺ってたんだろうな。

 当の義教は、「ええ?そんなにすごいこと言ったかな…」と言いながら椅子ごとわずかに後ずさっている。義教、シャイなんだよな~。俺が義教の立場だったら、もう調子乗りまくって何度でも話しちゃうけど。

 俺は、恥ずかしがっているらしい義教に「頼むっ!気になるから教えてくれよ!」と両手を合わせてお願いした。義教はぎょっとした顔をして「いやいや!そこまでしなくても」と慌てながら「も~わかったよ」と困ったように笑った。

「秩序が保たれるような価値意識ってどんなのがあるんだろうって考えたんだけど、一つには、他者を思い遣ろうとする気持ちと…あとは、孤独では生きていけないっていう不安な気持ちもあるのかもしれないって思ってさ」

 孤独では生きていけないという不安な気持ち――なるほど、そうかもしれない。そんな発想は俺にはなかった。

 不安な気持ちを抱えることは多かれ少なかれ誰にでもある。その時に、どういう行動を選択するのだろうか。道理をわきまえて、正しく行動できるのだろうか。

 どういう選択をするのかは、一人ひとりの性格によると言ってしまえばそれまでだけど、それだけじゃうまく説明しきれないことがあるはずで。

 なんといっても、俺たちはみんな、「社会」のなかで生きている。だから、大なり小なり「社会」の影響を受けているはずで、その影響の中にはきっとたくさんの「常識」や「当たり前」とされる考え方が潜んでいるのだろう。そう考えると、何事も「社会」との関わり抜きには見えてこないものがたくさんあるのかもしれない。

「う~ん」

 久野先生の話してくれた「社会学」の特徴を思い返しながら、考えを押し進めようと頭を捻ってみるものの、これ以上うまく考えることができなくて、俺は思わず唸り声をあげてしまう。

 そんな俺を義教、栄名さん、村重が怪訝そうにこちらを見つめている。三人とも、俺にどう声をかけるべきか決めかねているようだった。

「…眞家さん、さっきから何ひとり百面相してるの?さすがに不気味なんだけど」

 悩める俺に助け舟(と言えるのか?)を出したのは意外にも笠原だった。

「不気味とはなんだよ!…まぁたしかに、うまく考えがまとまらなかったから、それが顔に出てたかもしれないけどさぁ」

「一人で悩んでたって分からないものはわからないでしょうよ」

 一人で……そうか、そうだ!一人でダメなら……!

(ちょっと悔しいけど)笠原の言葉に、俺の頭の中のライトがぴっかーんと光る。

「そうだよ!それだよ笠原!」

 突然ハイテンションに指差しポーズを決める俺に、笠原だけでなく一班全員がきょとんとした顔をして、あろうことか俺から目を逸らし始めた。おいおい!せっかくすっごい良いアイデアが閃いたってのに!

「俺、新しくクラブ申請するわ!その名も…『社会学部』!」

「…えっと、展開が急すぎる。もう少し、わかるように説明してもらえる?」

 高らかに宣言する俺に、困惑しきった様子の笠原が訊いてきた。

 他の三人は完全に笠原に投げているのか、皆口を引きむすんで俺の言葉をまっている。

「だからさ、一人でダメなら、みんなで一緒に考えたらいいんだよ!」

 おっといけない。これじゃわからないよな。俺はこほんと咳払いをして、興奮する気持ちを抑えながらできるだけ冷静に順を追って説明する。

「今日聴いた社会学って、なんか面白そうだし、俺、もっと知りたいって思ったんだよ。社会学を通して、社会の謎、そして社会の中で生きている俺たち人間のこと、もっと知りたいんだ。でもさ、ひとりだとやっぱりうまく考えられない。そこで、だ。クラブ活動にしちゃえば、みんなで集まって社会学できるだろ?四月中ならまだ申請できるし、顧問は久野先生にお願いする。部室はほら、三階にある社会科資料室が……」

「はーい、みんな、席についたわね」

 俺の熱弁は久野先生にあっさり遮られた。もちろん、わざとじゃない。色々話している間に、他の班の面々も全員着席したのだ。

「それじゃみんな、いただきます」

「「「いただきます!」」」

 久野先生の号令のもと、皆で手を合わせて「いただきます」をする。

 空腹だけど、俺の話はまだ終わっていない。むしろここからが本番なのだ。

 食べ始める四人をよそに、俺は再び説明を始める。

「つまりだ、顧問も、部室も揃ってるよな!あとは、部員が五人いないと申請できないから、みんな!一緒に社会学部やろうぜ!」

「えー…俺、サッカー部ってもう決めてるし」

 村重がめんどうくさそうに反応する。くそーっ。やっぱり村重はだめかぁ…それなら…

「ぼ、僕は……そうだな。面白そうだとは思うんだけど、すぐには決められないかな」

 義教にもフラれてしまった。いや、「すぐには」だから、まだ希望はある。栄名さんは…

「あの…言いにくいんだけど、クラブ活動のある水曜の放課後は、私、お稽古があって…ご、ごめんね」

 うう…。すでに予定があるなら仕方がないし、本当に申し訳なさそうな栄名さんをみると無理強いするのも悪い気がする。俺にだって良識はあるんだ。

 あとは…ちょっと気乗りしないけど、こいつの頭脳は頼りになりそうだし…。

 そんなことを考えながら「笠原はどうだ?」と声をかけると、笠原の表情はさっと曇り、感情が抜け落ちたような表情で

「私が…入ったとしても…ごめん、考えさせて」

と弱々しく答えた。

 てっきり、即座に断られるか、クラブそのものを否定されるかと思っていたのに、笠原らしくない反応が返ってきて、俺も「そっか…」としか言えなかった。まぁ「考えさせて」だし、もしかすると入部してくれるかもしれないもんな。

 俺は無理やり気持ちを切り替えて、ご飯をかきこんだ。

 何しろ早急にメンバーを集めなければならない。

 食べ終わったら、すぐに勧誘だ。まずは緋沙子ちゃんと、信に声をかけてみよう。

 そうだ!先に、久野先生に承諾をもらわなければ。

 久野先生の方を見ると、もう半分以上を食べ終えていた。

 そうだった、先生って皆異様に食べるのが早いのだ。焦った俺はさらに急いで給食を平らげていく。久野先生が職員室に向かう前に、アイデアだけでも伝えておきたい。

 新しいクラブ、「社会学部」の創設は、俺の手にかかっている――。

(了)

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 ここまでお読みくださりありがとうございました。
『愛と秩序の四時間目 小学六年生の社会学講義』はこれで終わりとなります。――が、「放課後」のお話に続きます。

 次回より『愛と秩序の四時間目〜』に収録されている「未来と勇気の放課後」を数話に分けて更新いたしますので、そちらもぜひご覧ください。


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