首の後ろを守る。
こんにちは、biancoです。今日は身をもって実感したことをお話したいと思います。
首の後ろ、背中と首の間の辺り、というのは「邪が入りやすい」ということです。
なんとなく嫌な感じがする時やゾクゾクする時、人の念など感じる時というのは、いつもその辺りではないでしょうか?
私は最近顕著に首がおかしくなります。やりたい事があるのに首が痛くて妨げられたり、思うように捗らなかったりしています。
初めは、この時期庭や畑の草が生えてくるので、草むしりや畑を耕したりという作業のせいかな?ピアノの練習のせいかな?と考えていましたが、ピアノもいつもやっているし、草むしりや畑を耕すことも、去年もやっていたけど、ここまで酷い痛さはなかったなぁ、と不思議に思っていました。
そして、これは霊的サタンだ!と気がつきました。
ここでも何度も書きましたが、スピリチュアルカウンセラーは、(スピリチュアル詐欺師と呼んだ方が良いですね!)
「首」とつくところ、手首、足首、首はとても大切だと話していました。
そしていつからか、
「首に巻物をしないように」と言い始めました。
女性はストールやマフラー類など結構好きだと思うのですが、服装がベーシックであれば巻物で色や旬を取り入れてお洒落にプラスしたりしますし、
また何よりも冬など首周りが空いているとスースーして寒いので防寒として何か巻物をしたり、
夏場の冷房対策にも、薄いストールをするだけでも、体感温度が変わりますよね。
それなので、この「首に巻物をしない方が良い」と言った時は、皆えー!!となりました。
理由は「その方が健康になる、風邪をひかない」とのことでした。
その時は、よく分からないけれどもそう言うならやってみようかと、首に巻物をしないようにしていましたが、冬はとっても寒かったです〜涙
今考えてみると、念を入れやすかったのではないかなぁ?と感じています。
よく映画などのシーンでもありますが、背後から気づかれないように、じーっとその人のことを、思って見つめていたり、
人に恨みや怒りや何か特別な感情を持っていたら、目が合ってしまう正面からではなく、その人の背後からじーっと念を送っているのではないかな、と思います。
それを首の後ろ、首に近い背中の上あたりで、人はキャッチするのではないか、と長年の経験から思います。
都会に住んでいたときに、主人が仕事で疲れたうえに満員電車でぐったりして帰ってきた時に、何かに憑依されたかのように全身黒い感じがする時がありました。
これはいけない!と感じて、頭で考える前に、背中をバンバン叩いて、悪いものを押し出して首あたりから出そうとしていました。
今年は霊的サタンの攻撃が激しい、とraptさんもおっしゃっていましたが、初めはそれが攻撃だとは、分からなかったのですが、私がこれはサタンの攻撃だ、と気づいてからは、開き直ったのか、さらに攻撃が激しくなりました。
心を入れ替えて、必ず行動を起こすこと、一日ひとつは結果を出すこと、を目標にやる気になり、明け方の祈りに、今日やることを神様に相談して決めて、ようし!とやる気になったとたんサタンの攻撃が激しくなりました。
でも祈って神様が共にいて下さることを確信しているので、絶対に負けない!と
「この雑なアマ!この雑な野郎!去れ!」
と大声で叫ぶようにしています(笑)。
この言い方は、かなり初期の箴言形式の有料記事に書いてあり、読んだときに、えー、そんな言い方するの?と思いましたが
蜂が自分を刺そうとしているのに、やめてくださいと言っても通用しないから殺虫剤をまくように、
攻撃してくる相手に優しく対処していてはやられるだけだ、と教えてくださりましたし、
本当に強気でこちらも戦わないとやられてしまうので必死です。
攻撃されても負けずに、神様の御心を行なっていけば、サタンも諦めるとおっしゃってくださっていたので、行動あるのみですね(^-^)
しかも本当にやられればやられるほど、俄然やる気になるので、これからも弛まずひとつまたひとつと、小さなことからコツコツとやっていきたいと思います。
そして首の後ろ、敏感に察知してみてください。
後ろから気づかないように霊的なものでも、人の念や感情でも入れようとするので、早めに気づいて邪を追い出してみてください。
そして、なんか嫌だなと思う人には後ろを向けず、逆に正面を向けていた方が安全かもしれません笑
「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」
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