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草餅と、閉ざされた下町と。

所用があり、およそ3年ぶりに橋を渡った。浅草の対岸にある墨田区の向島である。15年ほどこの地に住み、別の家族を持ち、そして捨てた。

向島界隈は古くより花街として知られている。もっとも今では料亭の灯りと黒塗りのタクシーがひしめく風情は失われつつあるが、隅田川沿いには毎年満開の桜が咲き誇り、夏には花火大会が催され、行楽シーズンには往時の賑わいを取り戻す。堤防に沿った墨堤通りに向じま 志”満ん草餅(じまんくさもち)は店を構えている。

同じく墨堤通りにある長命寺桜餅 、言問団子とともにガイドブックには必ず載る有名店である。観光客が出入りするそういった有名店を地元の住人はあまり好まないものだが、他2店に比べて奥まった場所で営業しているのが幸いしているのか、地元の人に常用されている様子が見受けられた。

志”満ん草餅には「餡入り」と「餡なし」の二種類があり、「餡なし」は中央のやや深いくぼみの中に添えられているきな粉と白蜜をかけて食す。包みを開くと小ぶりながらも濃い蓬(よもぎ)の香りが広がる。私は餡入りを好んだ。そのほうがいくらか蓬のくせが薄まるように感じていたからだ。

和菓子は当日中の消費期限と書かれてはいても、次の日くらいまでは「それなりに」鮮度を保つものだ。見た目以上に砂糖が多く使われており防腐効果があるからだが、志”満ん草餅は正しく「記載どおり」であった。向島に住んでいた頃は食べたい分を二つ三つ求めて、すぐに平らげていたので、さして気にならなかったのだが、とにかく足が早く、朝買ったものが夕方には不味くなる。久しぶりに求めたものを一度には食べ切れず、翌日にレンジで温めてみたが、餅皮は固く、蓬の香りも落ち、餡もぱさついている。離れた場所への手土産には向かないと思った。

味気ない草餅を口中で溶かしながら、昔住んでいた街並みを思い出す。「鳩の街」と呼ばれているその通りは永井荷風が「ラビラント(迷宮)」と呼び通いつめた玉ノ井(現東向島)と同様に古くから「そういう」目的のための場所であった。今は住宅が密集するありふれた街並みだが、そこに花街という「表の顔」とかつての赤線地帯という「裏の顔」の記憶が複雑に同居しており、迷い込んだら抜け出せないような細い路地と、軒並みシャッターが下ろされた裏寂しい商店街がよそ者の侵入を常に拒んでいた。商店街再生プロジェクトと称して大学教授や学生風の若者が訪れ、空家を使い、簡易的なバザーをしたり、毎晩集まって何やら話している様子が見られたこともあったが、程なくして姿が消えた。「どうせいなくなる連中よ。だから相手をしないの。」となじみとなった居酒屋のおかみは吐き捨てた。住人も減り、店も開店休業、見渡せば年寄りばかりの「東京の下町」はお決まりの人情をすでに固く閉ざしていたのだった。その居酒屋も数年前に店を閉め、おかみは春日部に住む娘の家へと移ったと聞く。

すでに居を移し、私もよそ者となって久しい。石のように固くなった草餅は向島という街が私に突きつけた絶縁状だ。すでに音信も途絶えたかつての家族との記憶とともに一生、私を拒み続ける、ということなのだろう。捨てた、のではない。私は捨てられたのだ。

思えば、あの街も人も、昼も夜も、まるで沼の底のように静かで、ひやりとしていた。人情の奥に、ひっそりと潜む冷淡さ。隅田川を隔てて、かつて市中から切り離されていた街に住む者のそれが掟であるのならば、私は15年もの間、きっと別の時空に漂う幻を見ていたに違いない。

向じま 志”満ん草餅 

東京都墨田区堤通1-5-9
TEL.03-3611-6831

イラスト:OKAMEさん

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