平日、昼間の公園で。
お父さんが増えた公園
一度目の緊急事態宣言(2020年4月7日~5月25日)。3密回避、ステイホームが叫ばれた中で、多くの家庭が「おうち時間」を過ごしていたのは記憶に新しいところです。幸いなことに僕はDTPデザイン、妻はプロダクトデザインや設計の仕事をしていましたので、ストレスなくテレワークを始めることができました。それまで僕は会社からの帰宅が連日23時を回ることも多く、家にいる時間のほうが少ないくらいでしたのでテレワークで家族の時間が増えたことはむしろ嬉しいことでした。
マンション前の公園にも朝から親子連れがあふれかえっていました。お母さんばかりでなく、テレワーク中と思われるお父さんも多く、愛犬の散歩の際に何とも微笑ましい気持ちになったことを覚えています。
ですが、緊急事態宣言が解除となったその翌日からはお父さんの姿はめっきり少なくなります。6月には平日の昼間の公園にいるのは母親と赤ちゃん、小さな子ども、老人、とこれまでと変わりない風景にまた戻ってしまいました。
テレワークが続けられる仕事のお父さんばかりでもないでしょうし、その当時は自分も会社員でしたのでいつ出社を命ぜられるかもわかりません。けれども何か心にひっかかるものがありました。
やはり、お母さんしかいない公園
2度目の宣言(2021年1月8日~3月21日)。規制がなんとなくゆるい感じになってしまったせいもあるのでしょうが、1回目のときにあれほどいたお父さんたちの姿を公園にみることはできません。
乳のみ子を抱っこひもで抱えながら、入園前と思われる女の子を連れてお母さんが歩いていました。小さな男の子が砂場で遊んでいるかたわらで、スマホの画面を見つめるお母さんがいました。ペダルのないトレーニングバイクにのってやってきた男の子。そばにいるのはやはりお母さんでした。
元にもどった、だけなのかもしれません。お父さんが外に働いている間、子どもたちの面倒はお母さんが見る。昼間に子どもを連れて公園に出かける、とても、ありふれた光景なのだと思います。たぶんこれまでもそうだったように。
でも、その時思いました。やっぱりおかしいと。
昼間のお父さんだって必要だ
パパの歌
歌:忌野清志郎 作詞:糸井重里 作曲:忌野清志郎
家のなかでは トドみたいでさ
ゴロゴロしてて あくびして
時々ブーっとやらかして
新聞みながら ビールのむ
だけどよ
昼間のパパは ちょっとちがう
昼間のパパは 光ってる
昼間のパパは いい汗かいてる
昼間のパパは 男だぜ
カッコイー
忌野清志郎の歌の一節。家では何だか情けない感じのお父さんが昼間はカッコいい姿で仕事しているという歌です。いい感じの応援ソングだけれど、ここでも昼間のパパの姿は子どもからはやはり「見えない」ままです。
親から愛されているんだという自覚は子どもの人格形成にとって大きな意味を持ちます。特に幼少期の場合、詰まるところそれは接触の頻度に比例するのではと思います。はっきりとは覚えていなくても、一緒にいてくれたという記憶や感触が子どもにとっての安心感となってその成長を支えていくものです。共働きであれ、シングルであれ、お母さんであれ、お父さんであれ、「見えていること」は子どもを育てていくためにはやはり必要なことではないでしょうか。子育ては「オンラインで完結!」というわけにはいかないし、一緒にいる時間のかけがえのないことは誰もが痛感しているはずです。
けれども、やっぱり平日の昼間にお父さんはいないのです。
コロナ禍の思わぬ副産物とは言え、テレワークや時短勤務など必ずしも出社しなくてもいい環境が整いつつあります。会社でなければできなかったことが自宅や離れた場所からでも行えるようになってきました。簡単ではないことはわかります。ですがコロナ以前に戻すのではなくさらに定着させられる社会をつくって、せめて週に半分は昼間にお父さんが子どもと一緒に過ごす日常を生み出せないものかと思います。
北欧で見た子連れの父親たち 交わす会話に、ハッとさせられた理由 grape編集部 公開:2019-02-15 更新:2020-02-11
僕は「イクメン」という言葉があまり好きではありません。なぜなら子どもを育てることは尊い権利であって親の人格を彩るための付加価値ではないからです。北欧諸国の子育て事例を手放しで礼賛するつもりはありませんが、お父さんが子育てをしていることが凄い!というのは、はなはだ考え違いかなと思っています。
けれども、お父さんだけを責めるわけにもいかないのもまた事実。彼らの気持ちや行動をもっと子育てに向かいやすくなるような環境を整えていかなくてはならないし、僕のようにキャリアの途中で専業主夫をするという選択肢のハードルも、もっと低くなってほしいなと心から思うのです。
イラスト:うたのさん
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