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南京糖と、老いのゆくえと。

「墓参りをしよう」と思い立つことがやけに増えた。無数に立ち並ぶ墓石や卒塔婆を見ていると、不思議と心が穏やかになる。若い頃は怖くて、不吉で、陰気で、親戚の法事でもなければ行くことのない場所だったが、最近はとりつかれたように墓所に親近感を感じてしまう。さすがにまだ「お迎え」という年齢ではないが、それなりに、歳をとったということだろうか。

母方の墓所は麻布山善福寺にある。平安時代に弘法大師によって開山された浄土真宗本願寺派の寺院で、慶応義塾創設者の福沢諭吉や歌手の越路吹雪の墓などもある古刹だ。

坂道を上り、山門をくぐる。春には満開となる桜の古木が青々とした若葉を巡らす境内から墓所に進む。「麻布山」の名の通り丘陵に沿うようにして墓石が並ぶ。最近、整地された階段(急なのでご老人にはややきついであろうが)の上にある先祖の眠る墓の前に立つ。

私の知っている限りでは祖母、叔祖父、伯父がこの場所に眠っている。特に伯父は若くして(50代)で亡くなり、祖母よりも先にここに入った。花を供え、線香を炊く。皆が好きであったビールの口を空けて「呑んでね」と声をかけて香炉前に置く。その当時は慮ることなど到底難しかったが、子どもが先に逝くことが祖母にとってどれほど辛かったのだろうと思いを巡らす。

山を下りると善福寺の前の道を進み、麻布十番商店街に店を構える「豆源」の本店をきまってのぞく。なじみの豆菓子が並ぶ中、ここでしか買えない煎りたて落花生の南京糖が目当てだ。

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詳しく聞いたことはないが、デパートなどでレギュラー販売しているものと違い、その日、店で煎ったばかりの落花生で作られているらしい。作りたての証拠だろうか。紙包みからはほんのりと暖かさが伝わる。

行儀は悪いが、買い求めたそばから袋に手を突っ込んでほうばる。香ばしい香りと程よい食感、上品な砂糖の甘み。気づけば袋の1/3ほどが減っている。これぞ「無限南京糖」とでもいうべきか。

今年(2021年)に入ってから父が入退院を繰り返している。後天性血友病という病で、一言でいうと全身の血が止まりづらくなる症状の難病らしい。治療上どうしてもステロイド系の経口薬剤を用いなくてはならず、その副作用で性格が180度変わってしまっていた。口数の少ない寡黙な職人だったのだが、多幸感や躁状態が強く、夜も寝ずにTVショッピングで買い物をする。せかせかとした言動、突然頭に血が上ったように怒り出すことの繰り返しがひどくて、とうとう精神科の閉鎖病棟に再入院して血友病の治療と並行して抗精神薬での治療を行うことになった。

入院前に電話口で話をしたがその声は私の知っている父ではなかった。あまりの変わりように少なからずショックを受けて夜に熱をだしてしまったくらいだ。墓参時(5月)はまだ父が入院していたので、早く治るようにと私はすがる思いで手を合わせた。

コロナ禍で上京できなくなってからは、墓参のたび、墓の前から母に電話をする。「今、善福寺にいるよ。」と伝えると安堵の声が聞こえる。今のところ唯一できる親孝行なのだが、この日ばかりは複雑な気持ちで電話をした。

症状はだいぶ落ち着いてきている様子だった。薬が効いたのかすっかりおとなしくなって、先生の言うこともちゃんと聞いているらしい。最初の頃は早く連れて帰れと公衆電話から母に電話をかけてきたようだがそれも収まってきたと言う。けれども閉鎖病棟だから家族でも逢うことは難しく、入院中の様子は主治医からの説明からしか伺うことができない。

父は中学を出て雇いの自動車整備工になり、54歳でやっと自分の工場を持った。ずっと働きづめで、病気などめったにしたことのない人だった。ある時など崖から落ちて頭を何十針も縫うような大けがをしながら頭をシャツで巻いて止血しながら車に乗って帰ってきた。気が弱いくせに大酒のみで若い頃はおそらく飲酒運転などしょっちゅうだったのだろう。カッとなれば構わず手も上げるし、私も木刀を持ちだすほどの大喧嘩もした。なじみのスナックのママに入れあげ、60歳も過ぎてから浮気までした。孫相手につまらないことで本気で怒り、甥や姪は父と距離を置いた。

そんな父が今、まるで飼われた羊のように精神科の閉鎖病棟にいる。

ぼそっと、「何かかわいそうになっちゃって。。」と苦労させられたはずの母が言った。私は言葉を返せなかった。

「豆源」の煎りたて落花生は父の気に入りだった。砂糖のかかっていないやつを酒のつまみにしてしていると母から聞いたことがある。歳をとって歯も弱くなり、好きだったするめなどが齧れなくなってからは食べやすい落花生を好んでいたようだ。だが酒はおろか、落花生程度のものも口にすることができるのかすらも今は怪しい。父はやはり老いていたのだった。ずいぶんと逢っていないからそれを間近に目にすることがなかっただけのことだ。

父の老いを想う、つまりは私自身の老いを自覚する。墓参が恋しくなるということはいずれ来る死を受け入れる準備が始まったということなのか。

そう遠くない将来、父も母も必ず鬼籍に入る。肉親の死の先にあるのは私自身の死だ。避けることは叶わない。できることと言えばせめて親の前に自分が逝かないようにと願うことぐらいだろう。

家についてから再び、南京糖をつまむ。あっという間に袋の底が見える。残り少ない南京糖を見ていると、幸せの形など案外、単純なものなのかもしれない、とも思う。食べたい時に食べたいものが食べれる、酒や煙草が好きなだけ呑める、好きな仕事を死ぬ前までできる。多くを望んだところで明日の顛末など自分自身のことですら知る由もない。こうして駄文を書いている間にも刻々と時は過ぎていく。私が私で在ることができるのは今、この瞬間のみなのだ。

幼い頃、ボックスシルエットの旧型コロナに乗せられて、よくオートレース場に行った。父がレースに興じている間、つんざくような音が響く操車場の金網の前で、買ってもらったフランクフルトを持ってぼーっと突っ立っていたことを覚えている。興味のないことに付き合わされても子どもは疲れるばかりなのだが、若い父はそんなことはおかまいなしだった。帰りには前席のベンチシートで父の膝を枕にして、目の前で器用にコラムシフトを操るごつくて大きな手を見ながら、私はいつも眠りについた。

「よく車であなたを連れていって、面倒をみてくれたのよ。」

私が一度目の結婚をして双子の息子が生まれた直後だっただろうか。母はそう教えてくれた。殊の外、それが嬉しかったことを今でも思いだす。

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豆源 麻布十番本店

東京都港区麻布十番1-8-12 
TEL:0120-410-413(フリーダイヤル)
10:00~18:30(短縮営業中)

イラスト:もちきんさん

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