マドレーヌと、生きづらさと。
「生きづらさ」という言葉がよく用いられるようになって久しい。だが、その正体が実のところ何なのかを私も知らない。さりとて言葉だけが一人歩きしているともいえないし、やっぱり「生きづらさ」はあるのかもしれない。だが…。
西ヶ原という都内ではあまり耳慣れない場所にCADOT(カド)というフランス菓子店があった。JR駒込駅から旧古河庭園の方角に向かって坂をくだり、霜降橋交差点を左に曲がり少し歩くと丸みを帯びた書体でCADOTと書かれた赤いひさしが見えた。平屋づくりの小体なお店だった。
中に入ると正面に生ケーキのショーケース、右手には焼き菓子類、左手の奥には小さな喫茶スペースがある昔ながらの洋菓子店であった。1960年創業、川端康成にその味を認められ重用されていたそうで、店内には直筆の推薦文も飾られていた。そして、いつもにこやかに接客するマダムがいた。
近隣に住むようになってから閉店(2017年8月31日)までの間、何度か使わせてもらった。看板商品でもあるマドレーヌを初めて口にしたのはたしか閉店の半年くらい前だったと思う。後で知ったことだが、フランスから取り寄せた焼型を用いて貝型のマドレーヌを販売したのはこの店が初めてであったようだ。やや小ぶりで薄いオレンジ色のそれはラベルが張られた透明フィルムで一つずつ丁寧に包装されていた。
美味しかった。が、例えばエシレバターなどを用いたマドレーヌやフィナンシェに比べるとどこか物足りなさを感じた。
「昔ながらだね。」と妻と話したことを覚えている。その歴史と味に最大限の敬意を払ってはみたものの、後は使い用で一度買ったきりとなり、気がついた時には閉店していたのだった。
今にして思えば、その控えめな味わいは店の職人が日本人の味覚に沿うように苦心を重ねて生み出したものだったろうし、きっと飛ぶように売れて店を支え続けたはずだ。だが、今では百貨店の地下は言うに及ばず、街のコンビニでも「本格的」な洋菓子が簡単に、安価に手に入る。私の口は取り返しのつかないほどに奢ってしまっていた。
今だ右肩あがりを渇望して止まない世情だ。もっと便利に、もっと美味しく、もっと本格的に、そしてさらに景気を良くしなくては、生産性をあげなくてはと得体のしれない何かが背中を押す。読み切れないほどのネットレビュー、#マドレーヌの先には目が痛くなりそうなインスタグラムの画像。一つひとつのお菓子がどんなにささやかな物語をたたえていてもいつしか情報の海からはこぼれ落ちてしまう。CADOTもやはり「生きづらく」、なっていたのだろうか。切ない気持ちにマドレーヌの姿が重なった。
閉店から一週間後、CADOTの公式facebookにこんな投稿があがっている。
創業者髙田壮一郎の長女でございます。
皆様におかれましては心温まるコメントをお寄せいただきまして、
とても有り難く感じ入っております。
最終日には平日にもかかわらず、実に350組を超えるお客様がご来店くださり、
あの小さな店内が大混雑したほどでした。
全スタッフに成り代わりまして御礼申し上げます。ありがとうごさいました。
12年前に父は病没いたしました。そのはるか前から製造の一手を引き受け、
ぶれることなく味を守り続けてきたのが、シェフパティシエの堀田 史(ほりた ふみと)
でございます。
跡を継いで経営に邁進しておりました前社長の髙田夏生(たかた なつを)が急逝した後も、
菓子業界では「あそこは堀田さんがいるから盤石」と言われたほどでごさいます。
全くその通りでございました。
今日まで営業してこれましたのも、堀田がいてくれたから叶ったことです。
1つ1つ作り上げていくその正確さ、緻密さ、スピードを目の当たりにして、
職人の階段をこれから上ろうとする新人が、驚愕と憧憬に立ちすくむ様を、皆様にも
ご覧いただければよかったのですが……。
カドの財産は川端康成さんの推薦文でも屋号でもなく、ご愛顧いただきましたお客様と、
日本一の菓子職人堀田 史であったと胸を張らせていただきます。
最後なので是非にと頼みましたが、昔から表舞台に立つことを良しとしないので、
顔出しは断られました。粘ってここまでというのがこの写真です。
この随一の手がCADOTそのものです!
そして最後の最後まで喰らいついて腕を磨いたのが、パティシエの吉田 誠でございます。
お客様からのリクエスト通りに創り上げるオリジナルのデコレーションケーキの数々は、
圧巻の仕上がりでございました。
多くの皆様へ紹介させていただきたくて、手前みそな話を長々と失礼いたしました。
今日までカドを支えていただきましたことを、心より感謝申し上げます。
本当に、本当に、本当にありがとうごさいました。
改めて読み返し、この一文に心を付かれた。
-カドの財産は川端康成さんの推薦文でも屋号でもなく、ご愛顧いただきましたお客様と、日本一の菓子職人堀田 史であったと胸を張らせていただきます。最後なので是非にと頼みましたが、昔から表舞台に立つことを良しとしないので、顔出しは断られました。粘ってここまでというのがこの写真です。この随一の手がCADOTそのものです!-
CADOTという小さな洋菓子店がその最後に披露したのは職人の手とマドレーヌの焼型であった。
惑わされることなく続く毎日の営み。数々のお菓子を生み出し続けた仕事の確かさ、誠実さ、誇り。目の前の仕事に一筋に取り組む職人の姿こそがCADOTそのものであると言いきった。57年の生涯をフランス菓子店CADOTは精一杯「生きた」。自分たちの仕事と紡ぎ出す物語を信じていたのだ。そこに「生きづらさ」を測るための物差しは必要なかった。
私も今日書けば、今日生きられる。明日書けば、明日生きられる、と思う。物差しを求めるのではなく、毎日を生きる、書きつづけることがいつか私が感じている「生きづらさ」の本質をあぶりだしてくれるのかもしれない。
マドレーヌの写真はないのですが、小さな説明書きが手元にありましたので載せておきます。
FASHIONSNAP.COM 老舗レトロな東京みやげ「カド」 よりマドレーヌの写真をご覧いただけます。
このようなプチフールや
豚の形のケーキ「コショネ」も人気でした。
イラスト:acworksさん
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?