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横濱 ハーバーと、縁(えにし)と。

突然の雨に、急いで愛犬を抱っこして家に戻った。身体を拭きながら、妻が「おじさん 大丈夫かな」とつぶやいた。

おじさんとは、このマンションに越してきてから言葉を交わすようになった初老の男性のことだ。数年前に卒中で倒れられて身体が不自由になり、歩行器なしでは満足に歩くことができないが、時には介助のヘルパーさんと、時にはおひとりでマンション前の公園で歩行訓練をしている。

きっかけは忘れてしまったが愛犬の散歩中に言葉を交わすようになり、その後、会うたびに何でもない話をする間柄になった。言葉も若干不自由ではあるものの、「この夏までにはもっと歩けるようになるから」と言ってのける。とても元気な方だ。私のことを何故か「色男」と呼んでくれるのでつい嬉しくなっていろいろと話してしまう。

その日、いつものようにお話をして、別れた直後に雨が降り出した。そこで前出の妻の言葉となる。私も心配になり、傘を持って外に探しに行った。幸い、おじさんは別の母子とともに公園内の木陰で雨宿りをしていた。強い雨で、足元はひどくぬかるんでいた。

おじさんのそばに行き、傘を差しだす。ところが「いいよ、いいよ」といって僕から手渡された傘を隣にいた母子に渡してしまった。私は自分の傘を強引に渡して、木陰を飛び出した。

数日後、「おーっ!」といって手を挙げ、「この間はありがとう!」とおじさんが近づいてきた。傘を返したいのだそうだ。おじさんは奥様に電話をかけて、「ここで待ってて!」と言う。しばらくすると、小柄な奥様が姿を見せて「いつもお相手してくださってありがとうございます。」と貸した傘2本とお菓子を差し出した。丁重にお断りしたのだけれど、嬉しそうなおじさんの顔を見ると逆に悪い気がしてしまい、受け取ることにした。

いただいたそのお菓子が「横濱 ハーバー」であった。

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「横濱 ハーバー」は横浜市にある”ありあけ”という会社が作っている郷土菓子だ。前に勤めていた会社が横浜駅前だったので目にすることは多かった。

横浜の人にとってはとてもポピュラーでなじみ深いお菓子なのだろう。けれども例えば ”うなぎパイ” や ”桔梗信玄餅” や ”萩の月” みたいに全国区な知名度があるようにも思えないし、実際、横浜市を一歩出るとほとんど目にすることがないのにあえて買う気にもならなかった。郷土菓子特有の「希少性」が感じられないのだ。心づくしとして手渡されたのだからもちろん嫌な気はしないが、都内在住の人が改めて横浜まで買いにいくようなものでもない。

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ところがである。

ついこの間まで何度となく目にしても、自分からはついに買うことのなかったお菓子が今、目の前にある。パッケージを見つめるうち、次第に変な気持ちになってきた。


「縁(えにし)」とはやはり不思議だ。

マンションの近くで偶然仲良くなったおじさんとの「縁」を通じて、私の手に届いた「横濱 ハーバー」。柳原良平氏の印象的なイラストに描かれた色とりどりのテープを携え、別れの寂しさと出航の期待がないまぜになったような家族(男性・女性・子ども)の表情。それが今の自分と重なった。

10年間勤めたが、正直なところいい辞め方ではなかった。さらに時節柄、同僚への満足な退職の挨拶も叶わなかった。決心する時期ではあったけれども、そんな幕引きに何かを置き忘れてきたようにも感じていた。

けれど、いつかは切れる惜別のテープのように「縁」もいつまでも続くものではない。次の港で新しい「縁」を紡ぎ、また旅立つ時に違う色のテープを伸ばす。いわずもがな、人生はその繰り返しだ。

「もう、振り返りなさんな。」

私を「追いかけて」きてくれたのだろうか。遅れてやってきた「横濱 ハーバー」は、大好きな藤竜也ばりの渋い声でそう言い残して、腹の中に消えた。

私のちっぽけな未練に彼はきっちりと引導を渡してくれたのだった。

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イラスト:デルタ1さん

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