長崎励郎著。偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学。書評。
最近、大阪駅の近くにある商業施設で催されていたブックフェアに行ってきました。
そこで売っていた本の中から気に入った本を3つ購入し、このページで取り上げる本を読み終えたので書きます
「偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学」(長崎励郎著)
面白そうなので手に取り目次とまえがきとあとがきを読んだのですが、不思議なことにタイトルを知らないのに目次だけ知っていた本だったのです。
なぜだろうかと考えていたら、著者略歴を見ると桃山学院大学社会学部准教授だそうで、この方はYoutubeに自身の講義動画をアップロードしていました。
その中の動画シリーズの一つを元にしたのがこの本のようです。
私もそれを見て楽しみつつ勉強していたので、目次だけ知っていたのでしょう。
この本はタイトル通りの内容なのですが、あまり「ポピュラー音楽」と「知識社会学」は繋がりが薄そうに思えます。
もちろん、知識社会学のことを知っていればつながりがあることはわかるのですけどね。
各章の最後には、その章で取り上げたジャンルのアーティストを取り上げているので、そこを読むだけでも楽しいですよ。私もそこを読み返していることが多いですね。
ここからは面白かった章を取り上げます。
第1章ではロックと社会変革。特にモッズとヒッピーの比較をしています。
私の知っている人でアーティストは社会変革を望まないとけしからんという人がいるのですが、事実として様々なアーティストがいるわけで。
この章の私が好きなところは、モッズにしろヒッピーにしろ無い物ねだりをしているということでした。
第2章では、フォークを主題に音楽評論につきものの、アーティストの苦労について取り上げています。本当に苦労した人こそ音楽を作れるのかということですね
結局、特にある程度成熟したジャンルは、それなりに恵まれた人が覇権を握ってくるのではと思え、そういう意味ではそこまで恵まれていない私には辛い章です。
第3章ではパンクについて頭の悪い音楽かという言説について見ていきます。
私自身、パンクはオルタナティブなジャンルだと捉えていたので、そういう言説があるのだなというのは納得はいきました。
しかし、シャッグスの素晴らしさを捉えられる人の頭が悪いとは思えませんけどね。シャッグス自身は音楽的な素養があったわけではないとしてもですね。
頭の悪いという言説について少し思うのは、現代音楽はパンクっぽさがあると思うのです。もちろん、理論や理念が先行しているので頭のいい人が作っているのは確かでしょう。
しかし、彼らは頭の悪いと言われないアンバランスさを感じます。
第4章では電子音楽について、非人間的かという言説を取り上げています。
これはチップチューンやアナログシンセサイザーを好む私にとっては捨て置けない話題です。
もしかしたら当時はそう思われていたのかもしれないですが、アナログシンセサイザーやチップチューンの音作りはとても人間的な部分が非常に出ます。
音楽の知識がある人なら、ピアノの調律がいかに非人間的な決められ方をしているかは知っていると思います。
それと比べると、地道にいい音を作る工夫のいかに人間的なことか。
話を戻すとこの章では、テクノロジーと精神性を結びつける言説についてを取り上げます。
後世の人間からすると、ばかばかしいものですが、当時の人にとってはとても関心のある分野だからこそ、そういう言説が流布されたのでしょうね。
もしかすると、そういう言説は長い歴史の中、ずっと繰り返されてきたのかもしれません。
まとめ
全体として、しっかりした知識社会学を使いつつ、音楽について俯瞰する名著であるといえます。
私は執筆時点で29歳なのですが、桃山学院大学に行って著者の講義を受けたくなるほど面白い一冊でした。
私は趣味で作曲をしているのですが、作曲にも役に立つトピックがあり、私にとっては実用性も大きい本だと言えます。
この本は有名なジャンルを取り上げている本なので、時代が古いため、ここで取り上げられたジャンルがこの後どうなっていったか。それと、新しいジャンルについてはどうなのかを調べたくなりましたね。