【盛りだくさん】これまでの特殊な私の人生と発達障害と知った経緯
私はこの世界で発達障害と呼ばれるカテゴリーに分類されるそうです☆笑
…とはいうものの、自分ではちっとも「障害」だなんて思っていません。それは私は通常の物事の目線ではない視点から物事を捉えているからです☆
なにより私は魂から「私は私」と何が起きても
何くそ根性で自分に振りかざし続けて生きてきたからです
また自分で障害と思っていないことについても別記事に表現していきたいです☆
発達天才と呼んでくれっ★笑
自分が発達障害とはっきりわかったのは
ほんの2年前のこと…
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今から4年前
これまで使っていた地球の古い概念や価値観、古い周波数を全て手放し切り
真実の自分を戻る為の脱皮期間が始まりました☆
始まりの扉は鐘の音を激しく凄まじい音を鳴らすように、、、開かれていきました(笑)
(真実の私の統合の道のりがスタートした瞬間)
小学校低学年から人生にかけて精神不安・様々な精神疾患といった状態にあったのですが
この4年は人生で最大の体調不良でした。共に、人生で最大に自分と真剣に向き合い自分を愛することを深く学んだ人生で重要な期間でもありました☆
困難こそ成長のチャンス♪
全てにおいて八方塞がりで、1歳半の小さい息子を誰の助けのないまま体調不良の過酷の中育て続けました。
離婚も泥沼調停離婚で激しく争い奪い合いが続いていた中…(笑)
シングルマザーなので働かなければと思い
産後初めて働いたんです、週4のパートタイムで。
元々何をするにも遅い
すぐ疲れる
言葉の理解難しい…
“何で私はこんなに必死にしているのに
周りの人はそんなに余裕でやってのけられるのだろう…”
常にそう思って生きて、そんな自分をネックに思っていました。
なので週4で1日8hのパートですが心身は常に悲鳴をあげて
毎日過呼吸状態、息が常に苦しく、左下瞼の痙攣、左腕の痙攣が止まらない。目もかすむ。
1番酷く辛かったのは酷く疲れているのに重度の不眠症になって全く寝れないその状態で動き続けていたことです
それでも働き続けていました
休む暇もホッと一息つく間もなく
週1の休みも休まらず、土日はずっと子育て
1日ずっとご飯作って食べさせて、
夜はお風呂入れて寝かせて終わる…そのように感じていました。
発散出来ないので、毎晩お酒を飲むことしか楽しみがない。お酒がないとやっていけませんでした。
(毎晩9%の缶チューハイ1本)
息子は赤ちゃんの頃からかなり体力があり寝ない子で、夜11時半まで起きていたり、早く寝ても夜中に覚醒したり。
子供がやっと寝てくれた頃には自分はストレスMAXで苦しくて寝付けない。
その日々は自分が枯渇してる事から
子供に強く怒りを向けてしまい
泣く姿を見ては大後悔・激しい自己嫌悪・鬱
自分が息子に1番したくないことをしてしまっている
親にされて凄く怖かった嫌だったことを今してしまっている…
それが1番嫌でした。
その悪循環の日々が続きました。
もう嫌だ、どこかで終止符を打たねば…と、
息子に理想の愛情を与える為に諦めようと
「お金の為に必死で働くこと」を手放しました。
私は機能不全家族育ちで、子供の頃に親からの虐待からのトラウマでアダルトチルドレンでもあった為
いう理想を強く掲げていたのです
それはもう妊婦の時からずっと。
それをしてあげることで、
自分が本当は親から貰いたかった愛情を息子に与えることで、
私は私の傷だらけの心を癒していけるのでした。
…話は戻り自分に余裕を持つ為、仕事を少しずつ減らし、
職場も優しくアットホームな障害を持つ方々と関わる職場に変えました。
その際、勤務時間が保育園の基準に満たなかった為、息子は退園になってしまうので保育園に診断書を提出しなければいけませんでした。
2歳半になっても言葉は話さず先に喃語できらきら星を歌い出す息子は、保育園に通ってすぐ言葉を発するようになり良い刺激をたくさんうけてイキイキしていたので
退園させる訳には行きません。
私は元々病院嫌いで、どれだけ病んでも特に精神科には行きませんでした。というか、もう子供の頃から○にたい気持ちと共に生きてきたので、鬱で生きる事が当たり前になっていた(笑)
自分がなんでこんなに心身共に生きるのが辛いのか調べれば調べるほど鬱や躁鬱、自律神経失調症・起立性調節障害など、調べれば調べるほど全てが自分に当てはまり。
私はどれだけ鬱でも魂がポジティブなので( ´_>` )ハッハッハッ
「医者にいって鬱と言われたら本当に堕ちていってしまう、それは違う」と、長年絶対に病院に行きませんでした。笑
病院を行かないきっかけもあったんです。
高校2年の時、摂食障害になりました。
○にたい…としか思えない日々、母に泣き叫んで初めて精神科に連れて行ってもらいました。
診察は1回のみで
「摂食障害ですね、精神安定剤だしておきます」
と瞬時で終わり
薬を飲んでも何が効いたのか分からない
「はっ?!?!こんなんで治るわけないやろがぁぁぁあ!!(゚Д゚)」
本当に誰も助けてくれないし治してくれないし寄り添ってもくれない。それで、病院に行って悲しい思いをするくらいなら行っても無意味だと思いました。
子供を産まなければ良かったと言う母も面倒臭そうに連れて行ってくれ
たまに「治ったか?」と聞いてくるだけでした。
私はすぐ何故摂食障害になったか自分で調べわかっていました。
母親の歪な子育てによるひどい無価値感が根本だと。子供って何されても母が大切ですからね、知った所で母にはそんなことは言いません。
そんなこんなで病院に抵抗があり行かず
診断書を取りに行くために初めて自分の足で精神科へ。
病院の先生に「予約しても忘れる〜」と伝えた所
「ADHDじゃないの?多弁だし」と発達障害のパンフレットを渡されました。
それから色々経緯があり必然のような偶然が重なりとんとん拍子で大学病院で心理検査も受けて
ASDとADHDの診断を受けました☆
(受けたと共に病院を去った)
個性だと思い切ってるから今更感はあったけど
実は私よりも先に息子が以前からかかりつけ医に発達障害を疑われていました。
息子はこれからだから周囲の理解を求めないことには私みたいに二次障害を通るのはだめだ!と思い
将来息子に「ママもだよ☆ママと一緒だよ♪」と一人じゃないよと軽やかに受け止めて欲しかったから
自分自身が診断を受けることを決意したんです。
※多分そんなことしなくても、ずば抜けて明るく陽気な全盲息子だからへぇ〜で終わりそう(笑)
でも正式に診断受けたその時点でも障害だなんてちっとも思わず
「カテゴライズ好きやな、"人間"て。」( ・᷄֊・᷅ )ヘッ
くらいに思ってました(笑)
ですが、実はほっとした所もあったんです。
これまで自分の生きづらさを証明できず
周りの普通に合わせて辛い思いするしかなかったのが
それがしなくてもよくなった☆☆☆笑
だから「わたし発達障害です」といえば理解してもらえて助かることが増えました。
(だけどまだまだ浸透もしていなければ理解も乏しい世の中)
なので同じ時期に同じ医師に息子も「ASD」という診断を受けました。
これが私と息子が親子発達障害と知った経緯とキッカケです☆
まあ、同じソウルグループでありソウルメイトで息子の魂とは長い付き合いなので、エネルギーでみても私と息子の性質が似てるンですからね♪
心では
やったぁ〜♪一緒だね〜\(* ¨̮*)/\(*¨̮ *)/
ってかんじ(笑)
過去の人生のことはこれでも簡単めには書いたのですが…長かったのに
ここまで読んでくれて、本当に感謝です☆
心からありがとう(*^o^*)
過去のことも書いたからヘビーな内容になっちゃったけど、それはあくまで伝えたいことの真実として書いたんです。
私が伝えたいのは過去の苦しさではなく
その特殊な人生を歩んでこれたからこそ、
自分が選んできた親と家系と環境、道のりだったからこそ
今こんなに最高な宝•種を摘み取ってやったぞぉーーー!!!とったどーーーー!!!ψ(`∇´)ψ
…って、言っていきたいんです。笑笑
ある種の自慢??笑
だから今こんなに自分で自分を誇れているから(^▽^*)ほんと達成感☆
では本当にさよなら♪
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