東京のカフェ探しに疲れた私が見つけた安らぎの場所
都心に住んでいると、「休む」のは難しい。
田舎に帰ってSNSを開いたとき、その画面にはまだ、23区内のカフェ情報がこれでもかと表示されていた。レコメンデーションのアルゴリズムは、私の位置情報の変化を反映できていないらしい。
私は東京に越してきてから、カフェ探しを日課にしていた。
チェーン店よりも、お洒落で居心地がよく、店主のこだわりが詰まった場所がいい。季節の花が飾られていて、緑を感じられるテラス席なんかがあるカフェはポイントが高い。猫がいる喫茶店も好きだ。行く場所を決めるのに1時間以上悩むことも少なくない。Googleマップ上には、行ってみたい場所を示す緑色のピンが森のように立っている。
しかしその日、東京から遠く離れた東北の田舎町にいる私には、どのカフェも魅力的に映らなかった。往復7時間もかけて東京のカフェに行こうとは思わない。近くのカフェを探そうにも、お洒落云々以前に、お店自体が無いに等しいこの場所では、そんな欲求は湧いたとてすぐ、広すぎる空に吸い込まれて消える。
家の後ろには緑すぎる森があって、庭には祖母の愛を具現化した花々が咲き乱れている。隣には10年以上一緒に暮らした愛猫がいる。どこにも出かける必要がないのだ。
縁側に座って秋風を吸い込む。透明な空気が足の小指の先から、頭頂葉まで染みわたって、私の本能が求める「休息」を味わえていることに気づいた。2020年に東京に引っ越した私は、2年近く田舎の実家に帰ることを控えていた。数年ぶりの故郷の風はリアルだった。
東京の狭い部屋の隅でスマホにかじりつき、「緑を感じられるテラス付きの猫がいるカフェ」なんか探しても、永遠に心は休まらない。なぜそのことに気づかなかったのだろう。
遠足は準備しているときが一番楽しい。それと同じで「このカフェに行きたいな」と考えているときがドーパミン量のピークだ。
写真を見ていいなと思ったお店も、案内された席がいまいちだったり、BGMが気に入らなかったりでがっかりすることも多い。なにより、休日のカフェは人が多い。たいてい1時間もしたら落ち着かなくなって帰るのがいつものパターンだ。600円もするハーブティーを頼んだのに。
自分の本当の欲求に素直になるのは難しい。私の欲求はただ「実家の縁側で、お茶を飲んでぼーっとしたい」だった。その気持ちに蓋をして、気休めのカフェ探しをしていたのだ。いますぐ引っ越しはできないけれど、自らの心の声にもう少し耳を傾けてあげようと思った。
東京に戻る列車のなかで、スマホのなかのカフェ情報を消した。しばらくカフェ探しはお休みにしよう。代わりに、家のベランダに置く小さい椅子とテーブルを買った。
冬が近づく東北の田舎に比べて、東京の街はまだ夏を引きずっている。夕暮れ、小さい窓をいつもより大きく開けてみた。ビルの隙間の空から、柑子色の雲が流れてくる。目を閉じたら、金木犀の香りに乗せて鈴虫が遠慮がちに秋を奏でている。
なんだ、どのカフェより素晴らしいじゃないか。
ハーブティーはもちろん飲み放題だ。