人生は楽しむためにある
平日休暇の午後。Excelの勉強の集中力も切れ、所用も済ませ、そのまま近くのショッピングモールの書店をブラブラ。結局カメラ、写真コーナーで立ち止まる。そしてこの本を手に取る。
うーん。
もっと早く手に取ればよかった。
開いたあとの率直な感想。
著者のカメラマンのXもフォローしていたこともあったが、今はX自体をやめてしまった。
買おうと思ってスマホを探したがカバンにはない。財布もない。というわけで帰宅後、Amazonでポチッとして今このnoteを書いている。
写真という趣味。
写真は真実を写すという言葉に魅かれた。
「写真は今、目の前しか撮れない」
前の仕事のカーラジオから流れてきた篠山紀信さんの言葉にとても感銘を受けた。
そもそも小学生の頃もカメラが好きだった。
ゾイドという恐竜やサーベルタイガーのオモチャを隣の空き地でジオラマ気分で写真を撮っていたが、現像代が高いから辞めなさいと両親に反対された。
メンタルを病み入院した病院の看護士に散歩中
「何か夢中になれる趣味があるといいね」
と言われたが鬱の自分は無反応、無関心。
そんな自分の表情を読み取ったのか
「カメラ面白いよ。写真。僕の場合だけど」
と言ったのをよく覚えている。
自分も「写真ですか。」と反応したのを覚えている。
当時は小林紀晴さんの ASIAN JAPANESE
などが流行っていたし、それを模して猿岩石がユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅をしたとか言われていた。自分の本棚にも小林紀晴さんのTOKYO GENERATION がある。
明治、大正、昭和の文豪と呼ばれた人たちの文章と1990年代後半から2000年代前半の渋谷や新宿の写真が一冊の本にまとめられている。当時、自分は大阪の夜間大学生。金はない。でも同じ街の風景を撮りたくて、夜行バスで新宿のドヤ街?確か1泊3500円だったと思う。
そして新宿歌舞伎町、新宿ゴールデン街、渋谷ハチ公前、スクランブル交差点、渋谷センター街と使い捨てカメラで撮りまくり、また両親に反対されたのをよく覚えている。
本格的に写真を撮り始めたのは
2012.12.12
今でも覚えている。
その前の精神科の診察で主治医が
正岡子規の話をしてくれた。
「病気を楽しんでみたらどうでしょう?」
『何言ってんだこの人』と内心思いました。
それもそのはず
統合失調症の何が楽しいと言うのか
幻聴に苦しみ、自我もまとまらず、何をどう楽しむというのか。すると
「正岡子規はご存知ですか。」
「はい、存じ上げています。病牀六尺など。」
「さすがですね。その中に病気を楽しまずして何を楽しむと言う一節があるんです。」
「本当ですか。確かに正岡子規は結核でしたね。子規はホトトギスという意味で血を吐いて死ぬらしいですね。」
そんなやり取りをしたのを覚えている。
病牀六尺の一節
「病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白みもない。」
そして主治医が言っていた
「うちの患者さんの中でも早朝覚醒を利用して朝焼けの写真を撮る人もいるんですよ。これがなかなか。」
なんて言ってたから
すぐにカメラのキタムラのオンラインで中古のGR disital Ⅱ を購入し、2012.12.12の朝焼けを撮りに行った。
そう言われると
最近、写真を楽しんでいないし
病気を楽しんでいないし
何より人生を楽しんでいない。
人生は楽しむためにある。