大学のレポートを書くのに思考が東奔西走します。目まぐるしいことこの上なし。(-_-;) この苦痛がいつからでしょうか、だんだんと楽に、むしろ楽しくなってきました。苦痛と楽しみが共存していてまさに「苦楽を共にする」みたいな。(笑) その原因はなにより苦痛が「自分が成長している証」なんだと認識したからだと思います。実感を伴って。 私たちは想像以上に「思い込み」の影響を受けているようです。ストレスなんかも「思い込み」によってはポジにもネガにもなるんですね。 今日はそんなこと
最近感じることです。感覚が鋭敏になったというよりは焦点を当てた、というのが正しいでしょうか。特に朝起きた時や知的作業で頭が働かないときはそう感じます。 今まで「寝ぼけ」や「疲れ」で済ませていたわけですが、いざその「世界」を注視してみると普段の「世界」と全く異なって見えるんです。不思議なんですよね。。 大げさだなと感じることもありますが、まあそういう感覚を大事にしていって人生をより豊かに、あわよくばこうした創作活動につなげていければと思う次第です。
努力においてこの「改善」の段階が一番苦しいんですけど、これを乗り切ったらそれまでの苦労を忘れさせるほどの達成感が湧いてくるんですよね。 「こうしたほうがいいか?」「いやこっちかもな」「とりあえず現状維持か」などなど。考えながら作業するのはめちゃくちゃつらいんですし、なにより改善後の「慣れない時間」って本当に苦しいんです。「前のやり方がよかったかな」とかそんなことばかり考えてしまって投げ出したくなります。。 それでもと思って続けてみると、あら不思議。案外いけちゃうんですよ。
最近全然勉強できていないんですよね。。精神的につらいんでしょうか。 考えようとするとロックがかかるというか、焦りやら不安やらがごちゃ混ぜになったような混乱で、吐き気がしてくるんですよね。 私はストレスにものすごく弱いので気長にやるしかないですね。
なんか視界に時々人影とか蜘蛛が移ってぎょっとします。。 もしかしてやばいかしら!?
本当にそれが好きか、これって残酷な質問だと思うんです。ドキッとした人も多いのではないでしょうか。なぜこの質問が残酷かというと、「好き」より先行して「好きにならなきゃ」「好きになってる自分が好き」などの感情が存在していることに気づかされるからです。「好き」ということが純粋な「好き」ではないってことに気づくんです。不純物の、混合物の集まりなんですよね。 こんな不純物の大多数の本質は「ファッション」感覚の表れだと思います。どこか酔っているというか。 わかりやすくするために具体例
最近、「自分の声に耳を傾ける」という言葉の本質というか、根源的なものが実感できたんです。よく聞く言葉なんですが自分の中に落とし込むということができていなかったんですよね。 自分の声に耳を傾けるとはつまるところ意識のバリアの奥の無意識にアクセスするということだと感じます。なんだかスピリチュアル的なのですがこのような表現にならざるを得ないんです。 もっと厳密にいうと嫉妬した意識の手を一つ一つのけていく作業だと思っています。なんだかよくわからないと思われるかもしれませんが、正直
努力っていやですよね~~。特に「やり始め」。絶望ですもん。今回はそんな「努力」に関する日記です。どうぞお付き合いください(⌒∇⌒)。 来る日も来る日も勉強勉強勉強……。なんだか生きてる実感がわかないなあ。別に成功も望んでいない、お金も別にほしくはないしなぜこんなことを苦しみながらやってるんだろう、と考えたことがあったんです。 その思考の中であることに気が付いたんです。それは努力を苦しい苦しいといいながらも楽しんでいる自分がいる、ということです。 難しい問題が解けたとき、
今回は「対人恐怖」について自身の体験から得た気づきを皆さんにシェアしたいと思います。 ここで注意していただきたいのは私自身は「対人恐怖症」ではありません。正確にいうと、「病気」として診断されていません。そもそも病院にさえ行っていません。その事情は諸々ありますが、私の発言はあくまで「対人恐怖症の人の発言」ではなく「対人恐怖があると自己診断している人の発言」という位置づけであることをご了承ください。 さて、私自身人と付き合うことに抵抗を持っています。人と接するとだんだん頭がマ
突然ですが皆さん、妄想しますか??私はしてます。しかも自分が主人公の。(笑) 楽しいからやってる、という自発的な感覚というよりは気づいたらやってる、習慣になっている、みたいな感じですね。。 今回はそんな「妄想」の話なのですが、妄想って結構アブノーマルというか、なにか病的なものをイメージされることが多いですよね。 でも、最近私自身「この妄想をもう少しプラスに使えるのでは?」と感じたので皆さんにそれをシェアしたいと思い、記事を書きました。 結論から申し上げると、妄想を「決
※汚い話しになります。ご注意を。 二日ぶりの排便のため、トイレに直行。 急いで便座に座る。 そして、いつものように顔を赤らめながら 力みに力む訳だが今日はちと様子が変。 「出口がいたい!」 針を指すような痛み。 お顔がただでさえ力んですごいことになってるのに 痛みでひょっと子みたいな顔に。 そんなこんなで終了。 ペーパーで恐る恐る拭くと... 「キャー!! 血よ!!」 血ごときでそこまでと思われるかもしれないが 大量出血で、しかもドロッっとしていたために さすが
浪人生 「人生」を「浪」費する やってられるか
ふと考えたんです。 今俺見下されてるんだぁ。 「あんな底辺よりはマシ」「○○なんてゴミ」 自己肯定 嫉妬 軽蔑 こんな感情のもと 常に人は心の中で見下しています。 私という人物は誰かの心の中で 攻撃的な感情を慰めるために 日々使われているのです。 私がこの考えから伝えたいのは あなたを唯一認めてくれるのはあなた自身だけということです。 どうせ見下されているんです。 可哀想な自分をいたわる習慣を 作ってあげてください。 「今日もよく頑張った」「俺はえ
知識って視界を狭めるよねと最近思う。 誰かが考えたことを自分にインストールしていく ハードウェア人間になってない? 知識をあえて入れずに自分なりに考える それが「独創」だと思う。
結論から言います!! ①適当にページを開く②そのページを目次と照らし合わせて熟読③これを繰り返す ②をもう少し詳しく 読む時は 「前提となっているのは?」 「前のページに書かれていそうなことは?」 を行うとよし。 小説とかでは使えないけどエッセイとかには効果絶大です。 やってみてね!!