今だけ会えるアイドル
アーティストは死に、僕は取り残される。
小さいときからざっくばらんと音楽を聴いてきた。
もともと薄く広く聴くことを好むので、ジャンルも次々と変わってきた。
しかし、20代中ごろから、段々と聴くジャンルもアーティストも絞られてきた。
ロックでいうとOASIS、レッチリ、ミッシェル、ポップでいうと相対性理論、perfumeなど、大学生から定番が変わらない。
決して聴く環境が無いわけじゃない、現代はitunesという魔法の小槌がある。
振れば振るほど音楽が出てくるはずなのに、聴くのは同じ定番ばかり。
なぜなのかはわからない、いや、可能性は提起できるが考えたくない。
でも、事実としてそうあるのであれば、まずはそれを受け入れなければならない。
音楽の良いところは、再現性と可搬性に優れることだ。技術の力により例え18世紀の音楽でも自在に取り出せる。素晴らしいことだ、
しかし、ライブとなると話は別だ。
解散、脱退、病気、死亡。様々な要因によりアーティストの作品は容易に再現不可能となる。
「今会えるアイドル」は、「今しか会えないアイドル」である。
活動休止ならまだ良い、結構な確率で再結成してくれる。しかし、死亡となると話は別、物理的にもう出会うことはできない。
先日、QUEENのフレディマーキュリーの生涯をえがいた映画であるボヘミアンラプソディーを観てきた。
誤解を恐れず言うと、音楽がまず存在し、それを引き立てるためにストーリーがある映画だった。
しかし奏でられるのはQUEENの名曲、盛り上がらないわけがない。視聴者に寄り添い、視聴者が求めているものを創った映画であると思った。
矢野顕子がライブで「亡くなってから懐かしむのではなく、生きている矢野顕子に会いにきてください」と言ったらしい。
どう転がったって、もうhideのライブも、フレディマーキュリーがボーカルを務めるQUEENのライブも見に行けない。
それならば、そして好みの音楽がもう固定されているのであれば尚更、今好きなアーティストのライブに積極的に行かなければならない
※矢野顕子の言葉についてソースを探したが、記事などを見つけることができなかった。あくまで伝聞レベルの情報である