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悪い知らせは見なくなった

嫌なものは嫌と言える気持ち。
見たくないものは見たくないと思える精神。
否定の言葉だけど強い意志を感じる。
どんなにわがままでも芯のある人間になりたい。

自分がネガティブに強く反応するのは、最近気づいてきた。
それまでは、自分の心に見てみぬふりして、
ずっと頭から離れなくても気にしてこなかった。
全く違う話題をしていても、常にネガティブな情報が頭の片隅にいた。
それがとんでもなく自分の負担になっていたことに、気づいた。

ニュースは朝だけ見るようにした。
ちゃんと事実をありのままに伝えてくれるだけでいい。
もしくはビジネスで面白そうな事とか、地域の良いニュースとか。
噂話やゴシップに付き合っている余裕はない。
というより、自分の心にそんな隙間はない。

SNSもむやみやたらに検索しなくなった。
暇なときはつい開きがちだ。
トレンドになっている単語を見てみれば、様々な方向から言葉が飛び交う。
意見はまるで、戦場で人を傷つける矢のよう。
暇な人がこうやって呟き、
そして暇な人が閲覧する。
だから、自分が情報を集めたい人だけリストアップして、それだけ見る。

でも、憂鬱な日はどうしても指がとまらない。
ネガティブな日は、ネガティブな欠片を集めてしまう。
そんな日があってもいいさと、
気楽に思えるほど楽観的な人間じゃないから
たくさんネガティブを感じた後は、
なるべく情報から離れて
立ち直るために急ぎ足で外へ出かける。

外の空気はいつだって人の心を軽くする。
それがたとえ海辺でも、森の中でも、都会のビル群でも。
人混みさえ避ければ、気分は少し晴れてくる。
一人になると、自分の手に何もないと、
勝手に悪いものは受け取らなくなるし、探さなくなる。
お散歩は、嫌なものを手放したいときにうってつけな方法。

そうして自分なりにネガティブを回避してきて、
集めてしまったときも、ちゃんと手放してから家に帰るようにして、
いつのまにか無意識に心がネガティブに支配されることが少なくなった。
かわりに、余力があるからポジティブの欠片を集めるようになった。
自分でコントロールできるようになると、気が楽になる。

「悲しい出来事(ニュース) あふれる街で」
ZARDの歌詞がとても好きで、心惹かれる詩が多いなかで、
この1文にいつもどきっとされる。
現代は本当に、びっくりするくらい悲しいニュースで溢れている。
通り過ぎていく人々みんな、口から悲観がとめどなく出てくる。
不穏な社会の空気も、重くのしかかった不満たちも、吐き出す場所が無くて溢れ出している。
それをどうこうできる力は私にはないし、
誰も溢れているものをすくう事はできないのかもしれない。
だからせめて、自分から悲しいニュースを集めないで、自分の周りだけでも嬉しいニュースで囲んでいたい。
悪い知らせは見なくなって、良い知らせだけ見られるように。

miru

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