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火の上を裸足で歩く。
2018年11月4日に書いて, 保存していた記事。(「内向き日記」)
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床には、まだ火がくすぶっている炭の欠片が、
散乱してた。
私は、手桶で水を撒いて、
懸命に火を消そうとしていた。
欠片が落ちてる範囲は広範で、
手桶ではなかなか間に合わず、
何度も何度も水をまく。
かたや、藪のうっそうとした玄関の外階段では、
階下から雨水?が洪水になって、
せり上がってきており、
もうすぐあふれ、床下浸水しそうになってた。
そこから水をくみ、
さらに、水を撒こうとしてた。
、、、と、なにかの音で目が覚めた。
スマホをお休みモードにしておらず、
姉からのLINE受信音だった。
娘の寝かしつけで、
そのまま一緒に爆睡してたようだ。
トイレに立つと、深夜だった。
ぼんやりした頭で、
燃えている炭のこまかな欠片を消そう消そうとしてる夢を思い返した。
これを踏んだら、
足の裏が熱くて火傷するだろうという恐怖を感じてたことを、
ぼんやりと思っていた。
むかし、
「地雷原に住む」という比喩を読んだことがある。
最初、本で読んだその表現、
イメージは的を得ていて、
いまだ私の心に強く残っている。
連想が繋がった。
ちなみに、
地雷原に住む暮らし、は、
ドメスティックバイオレンスの被害者の日常をたとえた、比喩だった。
日常生活においても、
あらゆるところに地雷が埋まっており、
表面上にはどこが地雷なのか、
まったくわからない。
ただ、コップを置いただけでも、怒られる。
そこにコップを置かなくても、怒られる。
暖かいお茶を出し、怒られたから、
今日は冷たいお茶を出したら、
冷たいといって怒られる。
どこが地雷なのか、まったくわからない。
なので、
被害者は日常生活で、
始終どこが地雷なのか、
恐れながら、神経をすりへらし、
生活していることの、たとえだった。
このごろでは、
そんな喩え、
すっかり忘れていたつもりだった。
だけど、今回の消し炭の夢を見て、
私の無意識のイメージ喚起は、
そこへ繋がっていった。
私は今の生活でも、
はだしの足で、
何か怪我するようなものを踏みそうで、
怖くて、
必死で防ごうとしてる。
火の消し炭みたいなもの。
小さいけど、
まだ赤々と、火が、内側でくすぶっている。
それが、床にバラバラと無作為に転がっている。
裸足で歩くと火傷するから、
気がついたら、とにかく消そうとしている。
熱さとチリチリした痛みを、皮膚に想像しながら。
深夜、隣の部屋から、
咳き込む音。
途端に思い出す。
不機嫌な顔、
噛み合わない会話。
普通なら、咳き込んでいたら、
心配してあげるのが、
家族だ。
しかし、今は、
相手の咳き込む音や体調不良すら、
こちらを責めている、
恨みがましい態度に聞こえてしまう。
実際、相手も、
恨みがましく不機嫌にやってるのだから、
仕方ない。
いつだって、トゲトゲして、
少しの言葉尻で、切れる。
絡んでくる。
かと思えば、やりにくいのか、
心配したり、思いやったかのようなことを言いながら、
こうしろ、ああしろと付け加えるのを忘れない。
何故だろうと思った。
不健全な関係性。
以前の私なら、私が悪いとしか思えなかった。
今夜は、ぼんやりした頭で、
せき込む音を聞きながら、
そんな風に刷り込んだのは、
あなたでしょうと思った。
一挙手一投足で、
家族に気を使わせる、やりかた。
子どもをそうやってコントロールし、
独善的に家の中を管理するやり方。
人のエネルギーをとる、やりかた。
そうやって、あなたが、支配してきた。
あなたがそうさせたのだ、と思った。
私は、見切ったら、早い。
こんな生活は不健全だし、
相手にも自分にも、カルマを積ませると思う。
だから、必ず、止める。
いまは、すぐに逃げ出せなくても。
確実に脱出する。
しかし、ふと今日思うに、
明らかに程度が低い。
こういうことで、
人を縛ったり、所有したり、
自分に縛り付けよう、抱え込もうとするのは。
誰もこんなことでは、残らない。
かえって、離れていく。