見出し画像

情報のおいしさとコーヒー 珈琲の世界史を読んで

本書の目的はコーヒーをよりおいしく飲ませることです。
味覚研究の分野では「情報のおいしさ」として、知識や情報などがおいしさの構成要素として確立されています。
コーヒーに関する情報、知識は様々ありますが、本書はコーヒーの歴史に関する情報、知識について扱っています。
化学物質名に苦手意識がある人、歴史が好きな人、文系の人が対象と言っていいかもしれません。
理系の人にはブルーバックスから発刊されている「コーヒーの科学」がとっつきやすいのですが、丁寧に解説されているため世界史の基礎知識や地理的な知識がなくても本書は理系の人にも意外に読み進めることができます。
要は、コーヒーを対象として成分的なアプローチなのか、歴史的なアプローチなのかの違いはあっても、どちらも「情報のおいしさ」を追加させるための手段としていることを共通にしています。

本書の大半はコーヒーがどのように世界に分布、拡散していったかについてわかりやすく解説されています。
コーヒーの移動手段は、コピ・ルアクに欠かせないジャコウネコが移動に貢献したという説もありますがどうやら眉唾のようで、ほとんどが人の移動によるものです。その移動手段である人が移動した理由や動機を、ヒトの世界史をガイドにわかりやすく説明されています。
文献が存在しなかったり、歴史的によくわかっていないことについても「空白」と前置きしたうえで仮説も提示することで、流れを理解することを大事にしてくれています。
私はコーヒーが好きで、もともと興味があったので本書を読むことでさらにコーヒーの知識を得たいと思ったのが動機ですが、コーヒーに限らず、ある農産物を植物遺伝学的、文化的、経済的なアプローチで分析していくことの面白さを本書で得ることが出来ました。
主体的に行動ができない農産物が利用される過程、あるいはまったくの偶然性によって移動が行われたりするダイナミズムは、人間や国家の歴史と異なる点で興味深く、ほかの農作物、例えば茶や米などの歴史についても興味がわきました。

コーヒーの歴史は浅く、15世紀に突如として登場します。対して、お茶には5000年、カカオには4000年の歴史があると言われていますが、実はコーヒーの方がお茶やカカオよりも遥か昔に、人類と巡り合っていた可能性が高いとしています。コーヒーを現在のような方式で飲んでいたのは15世紀になってからですが、コーヒーの実を使用してその薬理作用の恩恵を受けていたのは5000年前の可能性もあるといわれています。
ただ、個人的には、数回に渡り日本語カバーされているコーヒー・ルンバの歌詞の影響で、コーヒーの歴史は漠然と大昔をイメージしていたので、現在飲まれているようなコーヒーとしての歴史が浅いことには意外でした。
考えてみれば、コーヒーとは奇妙な存在で、食べたら美味しい、煮たら美味しい、というわけではなく、美味しさを感じるためにはひと手間もふた手間も必要です。現在の飲み方に至るまで長い年月がかかっています。もしコーヒーにカフェインが含まれてなかったら、コーヒーの実をいかにおいしく摂取するかという創意工夫の動機は生まれなかったかもしれません。

最後に、著者にはコーヒーの淹れ方に関する著作は未だありません。情報のおいしさを追加させる手段として、コーヒーの淹れ方についての知識は相性が良いように思えます。
世界には(少なくとも日本には確実に)コーヒーを美味しく淹れる方法についての書籍が多くありますが、おそらくそれらはコーヒーを技術的に美味しく淹れる技術が書かれているのだと思います。しかし本書の著書ならば、コーヒーの淹れ方を情報の美味しさとしても味わえるよう私たちに教えてくれるはずです。筆者はコーヒーに関するホームページ「百珈苑」を主宰しており、おいしいコーヒーを淹れるための方法についていくつか記載しています。おそらく書かれると思われる次作を期待して、コーヒーでも飲みながらゆっくり待ちたいと思います。


「百珈苑」 https://sites.google.com/site/coffeetambe/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?