見出し画像

父の中での娘

実家で帰省中の出来事。

父「なんかいる〜?スーパー行ってくるけど」
わし「いらん。なんもいらん(余計なもんを買わないよう念押し)」

30分後、また部屋に来る父。スーパーからのお帰りだ。

父「これ食べる?」
わし「なんで?」
父「小さい時好きやったやん!」
わし「記憶にない。いつの話それ」
父「喜ぶと思ったのに…」
悲しそうに扉を閉め、部屋を後にした。

リビングから父と母の会話が聞こえてくる。
父「でれんこ、食べんってー。あんなに好きやったのに」
母「いつの話よ〜、」


まじでいつの話?



無理に好きやったかなって記憶呼び起こし、記憶を擦り合わせようとしている自分がいる。

いや、そんな好きではなかったはず。
サヤエンドウ…。

どっちかというとオレオとか、カンパンとか、曲がりせんべいとか、ビスコだ。


他にも父とはこんなやりとりが複数回ある。
ちなみに、認知症とはまだ程遠い年齢である。

父の中では私の子供像が今でも変わらず、心の中、頭の中にいるのだと思う。

些細なことでも、「えー!自分でやったん?すごい、一人でできるんやねぇ」と言われることがある。

さらっと流せばいい私も、いつまでも子供だと思われてることにムッとする。結果、「は?もう何歳と思っとるん、普通やろ」と言い放つ。

バカにされていると思ってしまう。


でも、心の中の小さな小さな私は、
父に「わあ、でれんこすごいね、一人ですごいね、かっこいいね」と
どこか言われたくて頑張っていたこともあったんじゃないかと、最近ふと思うことがある。でもミジンコくらいよ。

まあ、なんにせよ、一人でもできるんだというところを見せて、
安心させつつ、寂しくさせるのも親孝行かなと思う今日この頃です。

いつか大人になって、父の言動を受け流し、はいはいと言える日が来るのだろうか。
整体の先生曰く、反発するだけのエネルギーがまだまだあるということらしいです。


がんばりまーす、


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?