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理屈に勝った日

先日、10年前から憧れていたジェルネイルを初めてやってもらった。
仕事柄ネイルができず、一生仕事を変えたり、辞めない限りできないと思っていた。訳あってできるタイミングがきて、やっと先日予約して念願のジェルネイルをしてもらったのだ。

憧れのインスタグラムで見ていたネイリストさんに、自分好みのネイルをしてもらった。
そのネイリストさんの作るデザインはどれも素敵で、何度もいいねした記憶がある。
2週間経った今でも、何度も爪を見ている。ああ、本当に私嬉しいんだ、と実感。

何が嬉しくて、何が悲しくて、何がやりたくて、何が嫌なのか分からなくなっていたが、自分がこんなにも何度も撫でたり、眺めたり、写真を撮ったりすると思いもしなかった。
やるまでは、お金がもったいないし(9000円もした)、どうせ取らないといけないし、爪が覆われていると皮膚呼吸出来ない感じがして苦しくなるし、どうせ飽きるだろうし、と、やっぱりやめようかと思っていた。

しかし、ああ、こんなにも爪が可愛いと嬉しくなり、何気ない毎日が嬉しくて、心が癒されて、可愛い〜って自分で自分を褒めてあげたくなる。
誰のためでもなく、自分のためってこういうことか、と理解した。

自分の好きなようにとか、周りを気にせずとか、自分を愛そうとか、綺麗事や夢のあることのように言うのが流行っている昨今。
自分もしっかり流されて、わかったつもりでいる。

しかし、それがわからない人って結構いるのではなかろうか。
とってつけたように、欧米思考の『自分らしく』『自分ファースト』を取り入れるから、幼少期の教育と全く異なるギャップについてけなくなる。
SNSでは批判する人が多く、私は真に受けるタイプだ。他人の意見を聞くと余計にわからなくなる。他人の理屈に負けて、自分が埋もれる。

そんな一時的なものにお金をなぜかけるのか、無駄だとか、
どうせ周りに可愛いと思われるためだとか、ネイルで家事・育児がちゃんとできるのかとか、不潔だとか、金遣いの荒いやつとか。
何かにつけて自分を正当化したいのだろうと思う。
こうだからこうよ、絶対、と自分の価値観が正しくて、それ以外はあり得ないと拒否することで自分を守っている。傷つきやすい人なのだろうと思う。

でも、実際やってみて思った。

やって良かった、自分が喜んでる、と。

やっぱりやってみないと、本当に分からない。ありきたりだけれど。

ちょっとネイル独特の呼吸できない感はあるけど、笑

それでも可愛いなあと、癒される。無意識に見てる時もある。何かを持っている時の自分の手が愛おしく感じるようになった。
作業している時の自分の手など、歪な指だな、乾燥してるし、小さいし、と悪く思うことも多かった。でもそれがプラマイゼロくらいになる。
爪って伸びるの早いんだな、とか、ささくれ意外とあるな、乾燥してるな、とか、そんなことも気づけた。ケアしてあげようと労るようになった。

よかった!
一回でいいかな
またやりたいな〜
自分には合わないかな
意外と悪くないかも
もう一回やってみないと今のところ分からない

とか、なんでも良い。
無理はしなくていいから、心の中の小さい自分に、
「ねぇ、どうだった?」
って聞いてみてもいいかもしれない。
意外と一人の時に、ボソボソ言うと結構答えてくれる気がしている。
心の中で会話するよりも、声に出すと本音が出やすい。
また今日も聞いてみよう。

何が言いたいかって、自分がやってみたいって10年前に思ったことでもやってみると結構喜んでくれるよって話。



5歳の姪っ子に、
「どう?可愛い?」と自慢し、
「うん!キラキラ〜可愛い〜」と言ってもらい、
嬉しい中にも大人気ないなと自分に笑ってしまった私でした。

大きくなったら、お返しするからね♩

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