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自分はこれだけ苦労したのだから愛されるべき、誰かに理解してほしいという考えを手放したら人生が楽になった話

はじめに

ここ最近喉と鼻の不調が続き、風邪かと思ってたら昨日はやたらくしゃみを連発していたので、ついに花粉症なんじゃないか?と絶望を感じています。

でも朝起きて鼻が死んでたので、やっぱり風邪かもしれません。

花粉症は嫌だ、花粉症は嫌だ!(ハリーポッター風に)

1月はずっと忙しかったが、やっと余裕が出来てきて、風邪を引いても特に支障がなく穏やかに過ごしている。
余裕が出てきたので文章でも書こう。

先日ある人に教えてもらった曲をBGMにでもしつつ、書いていきますか。

愛着障害の克服の仕方

この投稿の題名の通り、『自分はこれだけ苦労したのだから愛されるべき、誰かに理解してほしい』という潜在意識を私はずっと持っていたように思う。

親からは絶対に愛されるというファンタジー思考と同じように
いつかの未来で『私のパートナーが理解者として愛してくれる、救ってくれる。』
そんなファンタジーを抱き渇望していた。

大人になりきれなかった子供の部分が、癒えていない私の心が駄々を捏ねていた。

親の代わりに親をやっていたとか、人の顔色を伺って生きてきたから
外面は大人にならなければいけなくて、子供の自分はそこに留まったまま
成長出来ずに私を見つめている。

大人になった私は、子供の部分があることが恥ずかしいから
自らの弱さに目を背けて蓋をしている。

自己肯定感が低いと、完璧でなければいけないと思うし、弱くて醜い部分を1人で見つめて治療する体力が残ってない

だから、良き理解者になりえるパートナーを探してその人に回復を委ねるのだ。

私はこんなに傷ついているんだから、助けてよ。と無意識にだ。

だって人に甘えられないから。
言葉では言えないわけですよ。
そんなものただの察してちゃんでしかないのに。

私は私1人ではそれを認知出来なくて

私と性格が似ている人とのお付き合いで自分の弱さや人付き合いの改善方法を得ることが出来たと感じている。

そう思うと人生に無駄なことなんて一つもないんだと、様々な過去はものによってはとても辛い思い出だけど、一つ一つに意味があり
私を形成していくのだと。
そう思うと縁は繋がっているものだよなぁと沢山の人に感謝をしたくなる。

自分が過去の価値を認めることが出来さえすれば、全ての過去が愛すべき宝物なのに。

人は与えられなかったものに執着しがちだ。

人が怖くて、世の中を憎んでるのに人に期待してしまう。自分の理想通りに愛されたいと思っている。

本当に持つべき思考は
人にされなかったこと、人から貰えなかった言葉を批判するのではなく
人に与えられたものを受けとめることなんじゃないだろうか。

そう感じたら、人に想われてる事に気付けるものだと思うんだけどね。

比較対象が多すぎる世の中だから、与えられてるものに鈍感になりすぎているのかもしれない。
贅沢な世の中だなぁ。
価値はSNSで決められるものでもないし、物の値段でも無いのに。

でもさ、ほら、子供だから。
我儘になっちゃうよねぇ。
友達が手にしてるモノを見ると羨ましいよねぇ。

大人に育ってないもん。誰かに甘えたいよね。
我儘言っても離れない、そんな人が欲しいよね?

そんな重荷、パートナーに抱えさせるの?
辞めときな、自分の問題を相手に抱えさせるのは履き違えてるよ。
パートナーは他人だよ?血のつながりのある親じゃないんだよ。
多少なら良いけど、限度があるよ。
人にはキャパがあるのに、そのキャパを認識せずに甘えて相手を壊して
あの時ずっと一緒に居てくれるって言ったのに、嘘つき
なんて罵られるなんて

何が愛だよ。
自己愛しかないじゃないか。

だったらもう最初から私の思い通りに動く人が好き!って公言する人の方が開き直ってて健全だよね!

でもそれは誰しもが抱えている弱さや甘えだと思うし悪い事ではないと思っていて

悪いのは子供の自分に不適切な負荷をかけた悪い大人達だし、自分自身ではないんだよね。
その自分の治療すべき一面をどうやって自制して、人に思いやりを持って適切な距離感で向き合っていくかなだけで

対策はいくらでもある。

私もいまだにクヨクヨするし、ソワソワするし、人に過度な執着をする感情は残ってるけど
私可愛いな〜って思って自分を愛でてる。

人に求めていた愛を、自分で解決しようとしたら本当に気持ちが楽になった。

他人を理解することなんて100%無理で、それをお互いが理解して、甘えすぎず
きちんとお互いが意見を言い合えば本当の意味でパートナーになれるのではないか。
自分が欲しいものが手に入ると期待するのではなくて、相手をきちんと見つめなきゃいけないんだ。
欲しいものを得るために、幸せにしてもらうために人と共に生きるのではなく

貴女と居たら私は無条件で幸せで楽しくて、自分の損得関係なく、貴女が何か壁にぶちあたってしまったら絶対に手助けをしたい。って思う気持ちが今の私にとっての愛の形なんだなって気付けたので

自分の弱さも醜さも受け入れるから、子供の自分甘やかさねえぞ!って気持ちですね。
そろそろ大人になろうね。

辛かったのは分かるし、寂しいのも分かるけど、みんな一緒なんだよ。
自分だけが被害者でもない。
辛いなら、そういう経験をする人が減るように自分は良い大人にならなきゃダメだよね。
そしたら良い大人が増えていって、自然と幸せになる人が増えるかもしれない。

幸せになってほしいという祈りはただの気休めでしかない。

私はまだまだ生き足りないみたいなんで、一歩ずつ、良い方向に向かう努力をしなければいけない。
それが生きているという事だから。
それが自分が歩みたい未来だから。

さいごに

孤独は自分を寝腐りさせ、今まで培った土台をも全て壊してしまう。

だから、考えても結果が出ないことを1人で考えないようにし誰かに聞いてもらおう。
私はこのnoteに吐き出す事で頭を整理してるけど。
私の話なんて聞いても面白くないかもしれないなんて考えは全て捨ててしまえ。
話が面白くなくても誰かが死ぬわけじゃない

1番大事なのは自分が何を望み、何を選択するかで
その選択した先に懸念点があるなら、不安要素を解消する方法を何パターンか考えればいいだけだ。

自分で選択をしたことは絶対に覚悟を持つから。
分かってもらえるまで私に向き合わせてよ。


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