古鳥居 隹

レズビアンであり、エンジニアであり、副業でカクテル作ったり絵を描いたり色々する人。

古鳥居 隹

レズビアンであり、エンジニアであり、副業でカクテル作ったり絵を描いたり色々する人。

最近の記事

あたしがなんでどこにもいないのかもう思い出せないよ

はじめに仕事がしたくなくて 寒さにヤられて感傷に浸る私は文章を書こうと思う。 私は一度曲にハマると飽きるまで聴き続ける性分なので、最近は坂口喜咲さんの『キッチン』を聞いている。 先日ライブに行き、めちゃくちゃに良かったので改めて曲を聞き返していたからだ。 バンド構成による迫力のあるライブで全ての曲が良かったし。 ライブハウス近くのフローズンヨーグルト屋さんは美味しかったし。 差し入れの花束を買いに行った花屋さんも凄く良いお店だった。 また近くに寄ったら自分用に観葉植物

    • 改めて思い返すと沢山の気付かなかった意味を知る事が出来るので、元居た場所に帰る事は大切だ。

      私は今新幹線に乗っている。 先程まで、地元の新潟に帰っていたからだ。 とはいえ私に休みはなく、仕事を抱えながら地元に帰った。 理由は育ての親である祖母の余命が短いかもしれないと連絡が入ったからだ。 その日は土曜日の夜で、仕事をしていた。 日曜日ですら仕事がある私はどうしたものかと悩んだ。 ありがたいことに私の本業はリモートワークが可能なので 日曜日の仕事後に帰る事を決めたのだ。 会社に伝え、親族にも帰省することを伝え、どうにか地元に帰っても仕事の締め切りを一つも落と

      • 錆びた鉄は熱さと衝撃で新しいカタチに変わる

        はじめに夢というものは眩しすぎる。この前までの私には直視できないものの一つだった 目標というものはあっても、夢を語るにはわたしはもう歳をとったと自覚をしていたし、叶わないものだと、そして失敗した時の羞恥を感じていたのかもしれない。 自分で自分の限界を決めていた事も理由ではある。 やらなければ叶わないはずなのに、やらない理由ばかりを胸に、私は自分の未来と心中しようとしていた。 私なんぞ、ただの会社員であり、BARでちまちま働き、何か別の仕事をもらえたらする。みたいな日々を

        • 今日という終わりに、明日という始まりを

          「HNを変えたい」 漠然と頭にあった。 しかし、名前を決めるというのはむず痒いもので歳を重ねると自分の名前に因んだものを好むようになった。 YAiという名前もそうだ。 私の名前はよくある名前で、きっと職場や学校で同じ名前の人に遭遇しているんじゃないかと思う。 母数が多いから全然晒すけど、唯という名前から取っている。 ある時、友人とLINEをしていて、自分の名前を「やい」と打ち間違えたところからYAiと呼ばれるようになった。 だけど、私はずっとしっくりきていなくて 今

          私が私である証明は一体誰がするのか

          はじめに最近の私はというと、BARのお客様に透明感あるねと褒められたり、仕事も忙しかったり、プライベートも情報量が多く、久しぶりに混沌、という言葉が似合うような日々だった。 嬉しいことと言えば友人に、『あなたの文章には色が有る』と言われた事くらいだ。 それは共感覚みたいなものだろうか。 それとも、私と彼女は友人という枠があるから、私の文字は色が有るのだろうか。 と言っても、共感覚というのは普通の人では理解出来ない領域なんだろうな。 それはある種の才能であり、生きていく弊

          私が私である証明は一体誰がするのか

          【後編】若かりし頃の恥ずかしい思い出は笑いのネタにするに限る

          はじめに気がつくと前編を書いて1ヶ月が経っていた。 自分が思うよりも生きていくだけで早く時間が過ぎているようだ。 私に文章をまとめる余裕などはなく、そして自分の痛々しい過去に触れる元気も持ち合わせていなかった。 一ヶ月寝かせるなんて。 果物だったら発酵してるね。 まだ発酵なら使い道があるか、と私はPCを開きnoteにログインする。 そしてそのまましぶしぶ文章を書き始めた。 ※こちらは後編なので、先に前編からどうぞ。 レズビアン風俗に行って、人生救われようとした話(後編

          【後編】若かりし頃の恥ずかしい思い出は笑いのネタにするに限る

          【前編】若かりし頃の恥ずかしい思い出は笑いのネタにするに限る

          はじめに私はよく、携帯のテキストメモに文章を書く、と言った気がする それはずっと前からの様で、遡ったら2016年からメモがあった。 私は何を思ったか、最初のメモを読みはじめたのだ。 しかし、大体はバーテンダー時代の売上報告であり 大したものではなかった。 "ある文章"を除いて。 今日の文章はその"ある文章"である、昔の私が書き殴った、荒く、そして馬鹿げた経験のレポである。 黒歴史、と言えば良いだろうか。 生きているだけで黒歴史の私の、より一層ヤバい黒歴史だ。 でも

          【前編】若かりし頃の恥ずかしい思い出は笑いのネタにするに限る

          無が有であるように、有は無である

          はじめに最近は仕事で熱い話を繰り広げていた気がする。 本業のチーム内で飲みに行って仕事への熱意を語ったり BARの店長や副店長と接客についての在り方について語ったりしていた。 私はそんな時間が死ぬほど好きだ。 どんな仕事であれ、熱い話を繰り広げたいのだ。 真剣に生きることは満たされる。 仲間と戦場に向かうのは情が生まれる。 これは、自分が全てにおいて"有"であることを望み、認知しているから生まれるものである。 "有"を認知していなければ「楽しめない」と「生きている」

          無が有であるように、有は無である

          本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった

          最近忙しくて文章を書く時間が無い。悔しい。 一日私だけ30時間くらいあればいいのに。 本を読みたい、お金を稼ぎたい、成長につながる何かを渇望しているものの 私は今停滞しているようにも思う。 今月は色々なことをしていた。 コンプレックスを無くすべく、大金を叩いてそれを無くしてみたり。(それに関してはやってよかった、とても生きやすくなった) 生きづらい思考の癖を直そうとしてとしてカウンセリングに受けてみたりした。 生きづらいなら、改善するために行動する方が効率がよい。一人

          本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった

          綺麗な言葉なんてのは無地の紙と一緒だ。

          結局詰まるところによると、綺麗な言葉なんてのは本質を語らない。 綺麗な言葉は複数の言い訳がつけられるただの価値のない無地の紙なんだ。 その紙の裏側にはびっしり、言い訳がくっついている。 だから綺麗事を言う人間は、八方美人は、信用出来ない。 こういう綺麗事は、この時には適用しません。とか。 絶対あるもん。 書いてはいるの。 もしくは、自分の嫌な状況になったときこれは例外、って新たに書き記されていくの。 遠くから、正面から見たら綺麗だよ。 真っ白だからね。裏側がどんなも

          綺麗な言葉なんてのは無地の紙と一緒だ。

          2024年4月完読本まとめ

          はじめにさて、4月ももう終わりを迎えるわけですが、みなさんいかがお過ごしですか。 世の中はGWで喜び勇んでいるんですかね。 私はどこに行くでもなく、本を20冊も買ってしまったので時間が許す限り読書に勤しむことにしました。 そんなわけで今月も完読本の感想でも書いていきますか。 え?全然読んでない?作品に寄っては自分の感情と向き合うから休憩が必要だったり時間がかかるんだよ! 「スプートニクの恋人」私は初めて村上春樹を読んだ。 30年近くも生きていると、何処かで耳にする著者

          2024年4月完読本まとめ

          自分の「苦手」を把握することは少しの痛みと、ほんのり明るい未来が待っている

          はじめに一緒に書店に行った。 「この本、面白かったよ。」 という言葉をもらう度に本の題名をメモする。 私は一緒に書店に行く前からその人の好きな漫画、小説の話題が出るとすぐに購入し、気持ち悪いことだけど、全てに目を通した。 その人が好きだから、ということもあるが、本の趣味が合う事を最初から知っていたからだ。 初めて会った時に好きな漫画の話で盛り上がった。 私が一番好きな漫画家は岩明均氏である。 寄生獣、そしてヒストリエという漫画の著者だ。 この人の描く心理描写、哲学的

          自分の「苦手」を把握することは少しの痛みと、ほんのり明るい未来が待っている

          書きたい文章があった。だけれども寝たら忘れてしまった。

          距離が幾許かも離れている友人と通話をした。 実際に会うとなると年に1回くらいだろうか。 友人が東京に遊びに来るその時、何かの予定のついでに会う関係性だ。 私のために東京に来る事はない。 そんな友人だが、とても仲良いし、私へ向ける言葉は鋭い。 私のnoteを全て読んでくれてるし、感想まで送ってくれる。 「前半気持ち悪いけど、後半巻き返ししてくるよ。」とか 「こじらせにこじらせてこじらせてるよね。暇なの?」とか あれ?悪口? ちょっと前に書いたテーマで、お前に彼女いらんや

          書きたい文章があった。だけれども寝たら忘れてしまった。

          自分と同じ色を持つ人は残酷なまでに優しい

          人は自分と似た人と居た方が居心地がいい。 知っている色だから目にも精神にも優しい。 自分が自分で居ても阻害されないからだ。 それは優しいようで残酷だと、私は最近思うようになった。 今のままで良い、というのはそれ以上の向上が無いという事だからだ。優しさと勘違いした甘やかしは虐待であり、人のチャンスを奪う、成長を妨げる。 私は優しさと甘やかしを、上手く理解出来ていなかった。 それは自分の自信の無さから来るものでもあった。 私は優しいふりをして、虐待していたのだ。 しか

          自分と同じ色を持つ人は残酷なまでに優しい

          セックスばっかのお前らなんかより愛情求めて生きてきてんのに今日も愛されない

          はじめに裏切ったはずのあいつが笑ってて 裏切られた自分がこんなに不幸だなんて無様で皮肉だなぁ と、あいみょんの夢追いベンガルを歌いながら牛すじ煮込んでました。 歌詞が私を表していてとても良いですね。 最近やっと自炊出来る時間が出来たので、普通に焼うどんを作ろうと牛肉解凍したんですけど 解凍したやつ、牛すじでした。 いやまぁ、牛肉であることは間違いないけどさ これ焼うどんに入れるまで何時間かかる?半日??? 諦めて鶏もも肉解凍しようとして解凍したらせせりだしさ 私の家の

          セックスばっかのお前らなんかより愛情求めて生きてきてんのに今日も愛されない

          「あのときのおっぱいについて」

          はじめにおっぱいというのは偉大である。 想像しても、手に触れても、体に当たっても なんであんなに幸福を与えてくれるのだろうか。 私は33歳、童貞の気持ちを忘れていないレズなのだが 久しぶりに女性とハグをした。 そしてテンパったことだけは覚えている。 なぜそんなことが起こったかというと、本業の仕事で昇格したのだ。 ある友人からお祝いしなきゃね!という言葉をもらった。 だから私はすかさず言ったのだ。 「お祝いはハグでお願いします。」と その時の刃具だ。ちょっと動揺して変換ミ

          「あのときのおっぱいについて」