一年弱、倒立をやり続けたらすごい進歩した話
昨年の4月ごろ、例のウィルスによってほぼフルリモート勤務になったのをきっかけに、倒立の練習を始めた。
別になにか目的があったわけではなく、ポモドーロテクニックで仕事をする時に5分休憩でなんか身体動かしたいな〜と考え、「5分で出来ることって全然なくない?倒立か????」と思い立って始めた。
最初は、壁なしで倒立することは全くできなかった。(ちなみに壁倒立は最初からできた)
そして、約一年弱後の今日やってみたら壁なしで40秒ぐらい倒立できた。
我ながら劇的な進歩!
で、改めて思ったのは、結局やり続けることが一番の出来るようになる方法だなということ。
倒立にも当然やり方・テクニックというのがあって、そのあたりはやり始めた最初のころにほぼすべて学習していた。
が、重要な事実として、それらの知識を学んだからといって、それだけでは倒立は全くできるようにならないのである。
今の自分と一年弱前の自分、テクニック面における知識量は1ミリも変化していない。
じゃあ知識が変わらないなら何によって40秒もの倒立可能時間の差が生まれてるのかというと、やった量の差でしかない。
量をこなすことによって、倒立に適した筋肉やバランス感覚がついて、持てる知識を経験から得た情報によって微修正を繰り返して、それを一年弱ただやり続けたらできるようになった。
倒立は運動だから特にこういう側面が強く出るのだと思うけど、これまでの仕事とか趣味の経験を思い出しても、結局やり続けると大抵のコトは一定ラインできるようになってきた、と思う。
逆に、今でもうまくできないコトはやり続けられなかったコトだ。
自分で言うのもなんだが、物事の理解は早いほうなのもあって、20歳そこそこぐらいまではなんとなく「やらずとも理解できたらやれたも同じ」と思っていたようなところがあった気がする。
でも今は「やらずに理解できるのは形式知だけで、経験知が欠けてるので片手落ち」と感じている。
なんでもかんでもやり続ければいいってものでもないが、コレ!というできるようになりたいことを定めたなら、やり続けられる状況をつくり出すことさえできれば大抵やれるようになるんだろう。
そこにはセンスや過去の経験や向き不向きなんてものはたぶんあんまり関係ない。
倒立をとおして、なんかそういうことを改めて思い出す機会になった。