"家族的"であること
ここ数年、なんだか社会はつまんなすぎやしないか、と思うことが増えた。
社会、というとおおげさなようだけど、主に仕事に関する方面のことだ。
自分はどちらかというと、社会全体で見た場合でのエリート側の道を歩んできたと思う。一部上場企業や、有名ベンチャー、実力の求められるスタートアップ、といった環境で働いてきた。
こういった環境では、基本的に人の評価の基準は「仕事ができるやつかどうか」だ。もちろん、そうでない面にも目を向ける努力をするのがイマドキの企業のスタイルではあるけども、そうは言っても9割9分までは「仕事ができるやつかどうか」でしかない。仕事ができることを前提としたうえで、多様でいいよねと言っている程度の話。つまるところ"損得"の関係なのだ。
営利企業で成長を志している以上、合理的だし、普通のことだとも思う。その中において、それなりに実績を残してきた自負もあるし、どちらかというと自分は金銭的にも恵まれているほうに入るだろう。
そういう道を歩んできた感想が、冒頭の「なんだか社会はつまんなすぎやしないか」だ。
人を「仕事ができるやつかどうか」、もっと言えば「要領よく物事をこなせるやつかどうか」などといった指標だけで測って関係性を築いたり、それができるようになることばかり目指すのは、なんだか貧しすぎる気がしてならない。
何の得もなくったって、なんなら多少の損をすることがあったって、逆に損をさせることがあったって、効率の悪いことがあったって、別にいいよねと言える関係もいいじゃないか、と。
全部が好きじゃなくたって、たまに嫌だなと思うことがあったって、お互いにダメだなと思うところがあったって、理解できないことがあったって、しょうがないな、と思うぐらいの。
それはある意味"家族的"な関係かもしれない。
ぜんぜん合理的じゃないんだけど、なんか一緒の時間を過ごしてきたからみたいな感じで、ハッキリ言ってそれ以上の理由とかもよくよく考えてみれば別にないんだけど、なんか一緒にいる。
だけど、なにかあると話したくなるし、とりあえず聞いてくれるだろうと思える、そんなぐらいの関係。
自分はこれまでどっちかっていうと"家族"とは希薄な関係性で生きてきたほうなのだが、今更になって、そういうのもいいかもなと思うようになった。
こんなことを書いているけど、別に人生に疲れたとかでもなく、今も普通にスタートアップで楽しく働いている。けど、それだけだと貧しくなるな、とふと思っただけだ。たぶんこの考えも最近出てきたものではなくて、自分の頭の中にはずっとあって、言語化してなかっただけ。両方あるのがいいし、幸い両方ある。
この文章にも特に意味はなくて、ただ頭の中を書き残しておこうと思った次第。