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ひ孫のチョッキ

 誰も見ていないテレビが主婦向けバラエティー番組を垂れ流している、午後四時半。おやつの煎餅をかじりながらパソコンとにらめっこする私の隣で、祖母がしわくちゃの手で棒針を動かしていた。鮮やかな赤の毛糸が見事に混ざりあって何かが織り上がっていく。
「何編んでんの」
 下を向いた頭に問いかけると、祖母は針を動かしながら口を開く。
「チョッキよ」
 チョッキって。久しぶりに聞いたその古いワードに心の中で突っこむ。よく見てみると、編んでいるのが肩の袖口の曲線部分だとわかって、もう一度見事なものだなと感心する。裁縫が大の苦手だった私にとって、針も糸も毛糸も縁がないものだった。

 歳の離れた従兄夫婦の間に生まれた。私たちは、まだその子に会ったことがない。今の世の中の状況も鑑みて奥さんはしばらく地方の実家に帰っており、従兄は出産にも立ち会えなかったそうだ。赤ちゃんの様子は伯母から逐一写真で送られてくるのだが、それを見せると祖母は、
「お父さんにそっくりね」
 と嬉しそうに言った。目も開いていない赤ちゃんがどちらに似ているかなんて私には判断しようがなく、適当な返事でごまかした。従兄も私も一人っ子なので、新しい家族ができるのは二十二年ぶり。すっかりお祝いモードの祖母は、押入れの奥から棒針を取り出して、せっせとひ孫に当てて手編みの服を作っている。両手の上に収まってしまいそうなサイズのチョッキは、赤ん坊の体の小ささを実感させた。
「そんなに小さくていいの?」
「このくらい感覚でわかるのよ」
 今日の祖母はとてもよく笑う。神経質な祖母は、だいぶボケが進んだ祖父の世話や家事でしかめっ面をしていることが多い。祖母は熱中しているのか私の視線に気づかないまま、袋の中から濃いベージュの毛糸を取り出した。どうやら赤地に模様をつけるつもりらしい。
 その色の組み合わせは正直ダサいと思う。だが、久しぶりに趣味に没頭している祖母に対してそんな野暮なことは言えなかった。毎日人の世話に追われている祖母のささやかな楽しみを、私は目の端で観察していた。

 テレビの中の司会者が終わりの挨拶を告げているのを聞いて、祖母は棒針を置いた。時計は五時を示している。制作途中のチョッキを丁寧にしまって、夕飯の支度のために立ち上がった祖母は、ようやく私の視線に気づいて口を開いた。
「あんたにも何か作ろうか」
 私はその問いにしばらく考えこむ素振りをして、頭の中で決まりきっていた答えを出す。
「使わないからいいよ」
 祖母は私の答えを予想していたかのように小さく笑って、エプロンを付けながら台所に向かっていった。
 

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