【小説】雨の音。窓を打つ。②
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雨の音。窓を打つ。
四.
文化祭の出し物。個人個人の作品発表会。
とんでもなく黒歴史に残る可能性があるこんな恐ろしい企画を考えたのは我がクラスの担任である。
その場で全員がざわついて、そうして文句は一日で終息した。案外人の沸点というのはそんなものなのだろう。
「つるー、発表会何するの?芝居?」
授業終わり、隣の席の友人に聞かれ、多分、と返した。おそらく一緒に発表する相手を探したいのだろう。
私は演劇部に入っているから、出来ないことはない。でも、芝居に対してコンプレックスがあるから、本当はやりたくない。
表現することが好きだ。体を動かして、感情をむき出しにして、お芝居している時間はとてつもなく楽しい。
けど、私の求める正解が、私の中には無い。悔しいけど、たどり着けないのだ。
それに気が付いたとき、私は溺れたみたいに、息苦しくなる。
「もしやるんだったらさ、なんかチョイ役でいいから混ぜてくんない?」
楽をしたいのが見え透いている相手とは、芝居なんてしたくない。友達、であっても、それだけは譲れないし、譲るつもりなんて一つもない。
「あー、私、こんな機会ないし、せっかくなら一人芝居やってみたいんだよね、だからさ」
「そっかー」
最後まで聞かずに彼女は別の席に向かっていった。
私はやっぱり楽したいだけじゃん、と心の中で呟いて、机の上に立たせた自分の指を躍らせる。
指先一つだけでも表現できる感情を私は見たことがある。そのさらに上が、私は見たい。
きっと舞台は、今じゃないだろう。
そう思いつつも、どうにか求める最高を表現したい気持ちが止まらなかった。
観客はクラスメイト。同級生。先輩に後輩。知らない家族。
全員を惹きつけるような何かを、私はしたかった。
それから数日、部活での出し物もあるのでクラスの出し物に関してはあまり考える暇がなかった。
やらないとな、とは思っていたが、いい案が見つかるわけでもなし、過去にやった一人芝居でもアレンジしようかな、なんて考えていたところに、私は出会ってしまった。
「あなたの声を貸して!」
私の求める最高を表現できる人に、出会ってしまった。
「えっと…どちら様、でしょう、か…」
その言葉に頭が止まった。あれ、クラスメイトだよね。確かにまともに話したことはない。ないけど、まさか認識されていないとは。
「同じクラスの鶴屋!演劇部に入ってて、あっ、先週日直だったんだけど…もしかしてわかんない…?」
「鶴屋さん。知ってます。でも、いつもと雰囲気が違くて、ごめんなさい」
「あっ」
そういえば今日はがっつりメイクをしていた。いやでも、そんなに顔変わるかな。
「えっと、亀家さんだよね」
「そうですけど」
「今、何してたの?」
「何って言われると難しいですけど、朗読をしたくて練習をしてました」
「文化祭の?」
私はずっと食い気味に話しかけ続けた。もっと知りたい。彼女ならもしかして、という気持ちが消えない。
「お前ら!下校時間過ぎてるぞ」
「あっ」
「すみません、今すぐ帰ります」
見回りに来ていた担任の介入により、私たちの会話が途切れた。
私はその声がかかるまでずっと亀家さんの手を握り続けていて、ごめん、と放した。
悲しくもその日はそれきりで別れてしまった。
私はおさまらない興奮を抱えたまま、帰宅したのであった。
五.
出会った。出会った、出会った出会った!
決して上手では無いけれど、芯のある声。
世界を描く力のある声。
私は私の求める最高と出会ってしまった。
「亀家さん!」
次の日、私は教室に入ってすぐに最高の存在に話しかけた。
「鶴屋さん。おはようございます」
亀家さんは引く様子もなく、私に接する。
あまりにも温度感の低い声に、昨日のことが夢だったみたいに思えてきた。
「今日放課後、時間ある?」
「えっと」
視線が黒板の辺りに移った。私は察して、少し声のボリュームを下げた。
「オッケー、昨日のところ?聞きにいってもいい?」
「……あの、まだ練習中で」
「いいの、聞きたいの」
「分かりました」
案外あっさり返事が来たことに驚きつつも、全身で喜びそうなのを必死に堪える。
「ありがとう」
変にニヤついてしまって、気持ち悪い声が出た気がする。
でも、最高を見つけたからにはこんな反応になるのは仕方ないのだ。
昨日、私は部活終わりに廊下を歩いていた。
文化祭用のメイクをバッチリ決めて歩く校舎がちょっと好き。私だけが異質みたいで、楽しい。
そこに突然聞こえてきたものがあった。
それが、亀家さんの、あれは多分朗読。
最初は亀家さんの声だって分からなくて、私は声のする方へと夢中で歩いていた。なんだろうこの声。好き。表現がまだ不安定だけど、絶対にすごくなるのが分かる。私には無い、私の求める表現の先にあるもの。絶対に、そう。
それは直感だった。
亀家さんのいる教室に辿り着いて、黒板に向かって本を掲げる姿を見て、私は自然と体が動くのを感じた。
この人の声に、私の表現をつけたい。
気がついたら亀家さんの手を取り、叫んでいた。
今考えたら恥ずかしすぎる。ありきたりな舞台のワンシーンみたいな事を芝居以外ですると思わなかった。
「はぁ〜あ〜」
「は?つる何」
思い返していたら、自然と天を仰いで声が出ていた。隣の友人は怪訝な顔をして私を見つめる。つらい。蔑まれてる。
「なんかさ、好きな物に出会った時って、頭も胸もいっぱいになるよなーって」
「え、好きな人出来た?!」
でた、恋バナ好き。
「違うよ」
「だよねー、またなんか芝居のことでしょ」
「そんなとこ」
つるも早く彼氏つくんなーとか、なんか言われてるのを全部無視して、放課後の楽しみのことを考えた。あぁ、口元が緩む。幸せが胸を圧迫する。
私にとってこれは、恋も同然。一目惚れ。もはや偶像。生まれてくれてありがとう。
出会って数秒で決めてしまった感情に裏切られることなんて一切頭にない。
だって、私が感じたものは絶対なんだから。
授業中の集中力はもはや無。そんな状態で迎えた放課後。私がどうなったか。
「ある日の暮方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみをまっていた」
心の何かが折れた。
「あの……」
「……えっと、昨日みたいに読んで欲しいんだけど」
「ええっと……難しいですね……」
あれ。こんなだったっけ。
私の中で散々挙がったハードルの設定ミスが判明した瞬間だった。
六.
急に人前で朗読を披露する。
上手に読まなきゃ、とかは思わないけれど、どうしても楽しくなかった。
そしたら、明らかに目の前にはガッカリを具現したみたいな人が現れた。
「あの……」
「……えっと、昨日みたいに読んで欲しいんだけど」
「ええっと……難しいですね……」
昨日は文字の海に飛び込んだみたいで、息がしやすかった。今日はちょっとだけ息苦しい。違うな、というのはすごく自分でも分かる。いや、自分がいちばん分かる。
「昨日は夢中でしたから……」
素直な気持ちを答えた。
そう、昨日は夢中だった。色んな世界を作りたくて、色んな文字の中を泳ぎたくて、同じ文章でもこんなに変わるんだって、とにかく楽しさがあった。
人に見られるのは、どうやらダメらしい。
目の前にいる人――鶴屋さんががっかりしたように、私もガッカリした。
こんな事では文化祭での発表は無理だ。人に見られていると、どうやら入り込めないらしい。
「なんか、ごめんなさい」
「いや、こっちこそなんかごめん」
そうして訪れる無音。時計の秒針の音だけが聴こえる気がする。
「……あの、鶴屋さんはお芝居を人前でする時、緊張とかしないんですか」
耐えかねて私はガッカリの気持ちを問題を解決したい気持ちに切り替えた。そうだ、目の前には人前で演技する人がいる。聞けることは聞こう。
すると鶴屋さんは少しも考えることなく、
「する、けど、楽しいの方が強いかな……」
と返事をした。
「そうですか……私、文化祭で朗読を披露したかったんですけど、見られてるとダメみたいですね……よくジャガイモの話があると思うんですけど、人をジャガイモに思うことの方が難しい気が」
「あー……私はもちろん人のためにも芝居してるけど、自分の求めるものの方が強いから……」
「求めるもの、ですか」
「最高の芝居。最高の表現。それがしたいの」
それを聞いてなんとなく昨日聞いた言葉の意味が分かった。
「もしかして、私の声がその表現だったんですかね……」
言った後にとんでもなく自己評価が高い人間のように思われて、変な汗が出た。鶴屋さんは困った顔をしている。いや、困ってると言うよりかは、泣きそうな顔かもしれない。
「期待に応えられなくてごめんなさい」
「謝んないで!私が壊した……かも……」
そうか、私は私の世界が壊れてるのか、と思うと自分が不良品に思われて、また息苦しくなっていった。そこから逃げ出したくて思考を巡らせる。
私は嫌なものからちょっとした逃げ道を作るのが上手いらしい。
「……あの、昨日声を借りてどうしようと思ったのか、聞いてもいいですか」
「あー」
「2人で発表、とか」
「……うん」
それなら。
「私の声に、鶴屋さんのお芝居、ってことですよね」
「……うん、そうだよ」
またガッカリが滲んでくる。私はそれを消し去るように、被せるように提案を告げた。
「え」
鶴屋さんは目を丸くした。文章じゃなくて、目を丸くする人間を見るのは初めてだ。こんな表情なのか、と思わずまじまじと見る。
「それ、それだよ、ねえ、それしたい、やりたい。お願い、一緒に!」
鶴屋さんは昨日の雰囲気を取り戻し始めた。
私は安堵した。あぁ、息がしやすい。そんな実力があるのかは分からないけれど、私たちは動き出した。
続く。
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