
性愛って難しいよな
一穂ミチ先生の『ふったらどしゃぶり』をやっと読みました。一穂ミチ先生大好きなんですが、イエスかノーか半分かのシリーズばっかり読んで他も買ってあるのになぜか積読になってるんですよね。今回、ドラマ化されたという事で慌てて読みました。
間違いメールから、赤の他人に送りあうメール交換。
いや、間違いメールからいきなりこんな会話しないやろ?こんな話題するわけないやん?と、ずいぶん現実離れしてるストーリー展開だなと思いながら読み進めました。いやぁ、こんな話しかけられ方で返信しようと思わんやん。
間違いメールからの会話で二人のやりとりが始まる。片思いと両想い、お互いの思い人とのセックスレスの話になっていく。
ありえない感覚のメールのやりとりをメタ目線で読みながら、それでもセックスレスの相手に『性欲のある自分も自分であると認めて欲しい』という所は現実にもありそうな話で、すごくわかるなぁと思ってしまった。
それは汚くて浅ましくて、でもそれを含めて自分だということを相手が許してくれないのは苦しい。そしてそれを苦しいと思う自分を責め、それを理解しない相手を責める。。。
性愛というのは、本当に存在するのに生活に『存在してはならないもの』で、人や関係によって違うだけに、性欲の感覚が合わない事で、相手がどれだけ傷つくかなんてわからないものなんだよなぁと。
なんかその辺を言語化してくれたところ、共感した作品だった。
わたしにとっては。
セックスレスだから離婚しますなんてネット記事の弁護士相談でしかみない。セックスしてくれないから夫婦やってられないので別れます、なんて人、少なくとも普通に身の回りにはいない。
猿じゃないんだから、
セックスがしたいんじゃない。
『家族だからセックスすると気持ち悪い』『家族とセックスしたがるヘンタイ』でもない。夫がしないと言ったらしてして!なんていう妻はそうそういないと思う。知らんけど。
現実の女性は『棒を入れたら気持ちよくなる男性向け娯楽ポルノのプルプル女』じゃない。女は入れたら気持ちいいんだろうとか馬鹿な娯楽ポルノっぽいセリフを現実でいうアホセクハラ芸能人の記事を読んで、頭お花畑すぎてビックリしたが、現実と創作の区別のつかない男は実在するらしい。まぁ芸能人は異次元に住んでるから現実の人間じゃないんでしょうね。
必死で我慢して異物を内臓に苦痛で受け入れてでも満たしてあげたい、男性が求める自分も私であると思うし、性愛も含めて必要とされてる、全てに愛を感じたい。
単純に入れたら気持ちいいだけの男性の肉体にはわからないのかもしれない。
女性が性愛に求めるもの。
『して』って言ってセックスしてもらいたいんじゃない。ただ、自分すべてを求めて欲しいだけ。性愛が快楽じゃなくても自分の一部であるという難しい生き物かもしれない、女性って。
性愛って難しいよな。
ま、世の中には棒あはーんきもちいーとかいう女性もいるかもしれないので、そういう体のつくりの人には理解できない話だろうな、同じ女でも。
いや、ふったらどしゃぶりはBL作品なので、あくまで架空のお話。
激しくて醜くて、全部剥き出しにしてぶつけて、ただ穏やかでいれない自分も、相手の望む姿でいれない自分も、相手とのすべてが全部ダメになっても。
性愛も含めてここにいる自分の存在が許される相手と一緒に過ごせる幸福。
いやーいい作品でしたわ。
これでやっとドラマ見れる。
私の記事に異論がある方はコメント不可です。ご自分で記事書いて下さい。
ちなみにBL作品に現実のLGBTを重ねる人はBL見るのに向いてないんで、こっち見ないでください。そしてBL読んでるからって私はLGBTに理解あるって言う人も、頼むからだまっとれ。
関係者エゴサ用
一穂ミチ先生にイエスかノーか半分かシリーズの続編をどうかお願いしてほしいです。ここに需要があります。。。お待ちしております。