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瀬尾まいこ『強運の持ち主』

日常にありそうな「ショッピングセンターの二階の奥のスペース」で、占いを営む占い師が主人公の小説だなんて!と高揚しながら読み進めた。この本をくれた友人に感謝している。いつも私にぴったりの小説を教えてくれる。

やわらかい、やさしいまなざしが、物語を通してふわりとした風のように流れている。私は風の働きには敏感だ。たとえそれが小説の中でも。なんて風通しの良さを感じる小説なのだろう。おおらかなまなざしを外へと産出するお手本が描かれている。

「パパかママか」と悩む少年の、パパとは、ママとは、そういうことなのか!と後から気づかされる。子供の賢さを信用しながらも、信用し切ってはいけない。できる子として扱われる重圧や寂しさを、大人は知らなすぎる。また、子供だからと何も知らないかわいい我が子だとみくびってもいけない。子供は大人の手助けがなくてもできることがたくさんある。

「彼の気を引くためには、どうしたらいいですか?」の女子高生の根性が普通じゃない。実は相手が相手なのだが、占い師のルイーズ吉田はまだ知らない。ピンク色の物を身につけなさいから始まって、うまくいかないと何度もやってくる女子高生に、ルイーズは次はこうしたら、あぁしたら、と助言するものの、実際はどれも的外れ。占い師には、ズバリ正確に物事を伝えなくてはね。

「実は、俺さ、おしまいが見えるんよ」のジュリア武田が、私はとても好き。彼にこそおおらかなまなざしとそれを外へ産出する力がある。おしまいは日常にも溢れていて、いちいちそれをおしまいだとは感じていないこともある。大きなおしまいを直前にしてはじめて、人は心が動くものかもしれない。おしまいを知らない方が良いのか、知っている方が良いのか。誰かに告げられるまでもなく、それは五感を大事に生きていれば自ずと知るのではないかと思う。

ルイーズ吉田には「強運の持ち主」の通彦がいる。牡蠣鍋にマカロニを、カレーに葛きりを投入するような無頓着な冒険心の持ち主、といった方がいい。ルイーズ吉田の師匠ジュリエ青柳曰く「ぼーっとした男」なのだが、実際こういう男が頼りになったりするものだ。

ジュリア武田に「あのな、ルイーズさんに終わりが見えるねん」と言われてしまい、ルイーズ吉田は焦って、焦って、焦る。自分のこととなると、家族のこととなると、冷静に自分に助言できない。適当なことが言えない。占い師も心理カウンセラーも医師も教師も親も、自分の問題を常に解決していかなくては、相手をみることはできない。それはなかなか難しい場合もあるけれど、自分の問題を棚上げにせず向き合う勇気を持っていたいものだ。

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