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金色の傷

有機ちゃんがわたしに話しかけてきたのは、夏休みが始まる前の日だった。じーわじーわ、と合唱する蝉をBGMに、どでかい入道雲を背景に。ベタすぎるくらいに夏だった。ほとんど生徒の帰った教室で、つかつかと上履きを白く光らせて。
「さっちゃん。私、あなたに興味がある」と、わたしから目を逸らしながらそう呟いた。
「えっと……それは、告白かな?」
「違う。きみはいつも一人で、詩を読んでいる。いつも一人で」
「二回も言わなくていいよ」
「そんなきみが普段何を考えているか、非常に興味深い。願わくば夏休みは、二人で過ごす時間を作って欲しい」
わたしはため息をついた。この子は興味を示すととことん執着する癖がある。仕方ないか、と諦めるフリをしながら、友達のいないわたしは密かに舞い上がっていた。実はわたしも、有機ちゃんのことは気になっていたのだ。有機ちゃんには色んなウワサがあった。実は宇宙人とか、ロボットだとか。特徴的な話し方は、ド田舎のここじゃあ彼女を孤立させるのに充分だった。つまりわたしたちは二人とも余りものなのだ。体育では何度かペアを組んだが、その際に特に会話は無かった。ただ毎回、柔軟で手を合わせる時に彼女が優しく微笑んでいたのを覚えている。
「いいよ。わたしもどうせ暇だし。夏休みどっか行こうか」
「大変ありがとう。早速今日は土手で談笑しようじゃないか。詩の話を聴きたい」
「急だね……」
友達って、こんな感じなのか?ちょっと違う気もするが、別に構わないか。すると、クラスのリーダー格の女子たちは、そんな掛け合いをするわたしたちを見てくすくす笑っていた。急に二人でいるのが恥ずかしくなって、わたしは有機ちゃんの手を引っ張って校舎の外へ逃げ出した。
「どうした? なぜ走るんだ?」
「だってわたしたち……咲達に笑われてたよ」
「会話をしているだけで笑われるとは、私は彼女達に嫌われているのだろうな」
「いや、わたしだってほら、友達居ないし、いつも一人で詩を読んでるって、ほら」
「あれは貶したつもりでは無かった。尊敬してるんだ。こんな騒然としたクラスの中で、君の周りは時間がゆっくり流れている。詩の世界が、ボードレールが、リルケが、君の隣では囁いているんだ」
「な、なんか有機ちゃんって詩的だね」
急に、彼女は黙り込んでしまった。熱風にあおられながら、二人は黙っていた。何か地雷を踏んだのかと、わたしは気が気ではない。オンボロな校舎からはまだやつらがこちらを覗いていた。
「どうして私がきみに興味を持ったか、まだきちんと話していなかった」
今度は、わたしから目を逸らさなかった。まっすぐな黒い瞳が、射るようにこちらを見る。
「私はね、詩人になりたいんだ」
「そ、そうなんだ」
その時わたしはいくらでも応援できた気がする。有機ちゃんならなれるよ、だってきっと人とは、凡人とは違う何かをもっているから。そんな言葉が喉にひっかかって、上手く喋れなかった。ああ、勝てないかもしれない。恐れと怒りがふつふつと湧いてきた。だって、わたしも詩人になりたかったのだ。まだ誰にも言っていなかった、いや、言えていなかったけれど。
無言のままわたしたちは土手についた。有機ちゃんは全てを知っているように、わたしに話しかけなかった。それがまた、悔しかった。川はいつも通り、境界線をつくっている。
「有機ちゃんは、進路調査になんて書くの」
「ああ、私は大学に進学するよ。東京の。そこで色んなことを学んで、卒業したら詩人になるつもりだ」
東京。その言葉が痛かった。わたしも同じことを、考えていた。でもうちにそんなお金はなかった。わたしはこの、狭いド田舎で、漠然と詩を書いている。きっとこの先ずっと。閉じ込められたように、この身体はどこにも行けない。羨ましい、羨ましい、羨ましい。凡人にそまれない有機ちゃんが。東京に行ける、有機ちゃんが。わたしとは違う。やっぱりわたしは、友達なんか要らない。二人とも余りものなんて嘘だった。わたしだけが、劣ってるから馴染めないだけ。有機ちゃんは優れてるから馴染めないだけ。どこかでシンパシーを感じていた自分を恥じた。
「有機ちゃんは凄いね。わたしとは違う」
「違うね。明らかに私は、異物なんだ」
目を閉じて、彼女はそう言った。ああ、分かってるんだ。自分の凄さを。
「ねえ、さっちゃん。私が実はアンドロイドで、私の脳はAIだって言ったら、きみはどうする?  私と関わるのは辞めるかい?」
「えっ?  それは……比喩?」
「違う。本当のことを、今きみだけに告白している。私は人間じゃない」
ぽかん、と口を開けたまま、わたしは絶句していた。有機ちゃんが、人間じゃない?そんなこと、有り得るんだろうか。でも、彼女の特徴的な喋り方、それに声。どこか、人間離れしているのは事実だった。ウワサは、本当だったのか。
「本気で言ってるなら……信じる。だけどエーアイって、たしか凄く頭がいいんだよね。わたし、理系には疎いけど……どうしてまた、詩人に?」
「うん。私は頭がいい。だから実は、たくさん賞をとってるんだ。研究レポートだとか、実験結果とか、そんなようなもので。ただ、何度も挑戦しても届かないものがあった。それが詩だった」
「じゃあ、有機ちゃんは完璧になりたいの? ねえ、ずるいよ。何だって出来て、一つだけできなくて、それまでとっていっちゃうの。わたしには何が残るの?」
気付けばボロボロと涙をこぼしていた。悔しさは頂点に達していた。勝てないに決まってる。こんな平凡で、凡人で、つまんないわたしが、エーアイの有機ちゃんに勝ち目なんかない。きっと彼女は成功するんだ。わたしはアルバイトでもしながらこの村で一生を終えるんだ。
「ずるいと思っていたのは、私も同じなんだ」
「いいよ。分かってる。慰めなんて要らない」
「違う。慰めじゃない。私は、人間になりたいんだ。いや、なれはしないな。だから、ちょっとでも近付きたい。さっちゃんと同じ景色を、一瞬でも見たい。多分、人間じゃなくて、きみに近付きたい。一生かかっても――いや、私は一生が長いけど、それでも私はきみには及ばないだろう」
息を飲んで、わたしは彼女を見つめた。泣いていた。初めて見た、涙だった。咲たちが彼女の悪口を目の前で言っても、小突かれても、表情ひとつ変えない有機ちゃんが、泣いていた。
「私にだって感情はある。だけど、どうしても模倣になってしまうんだ。嬉しい振り。悲しい振り。世界を、分かったような振り。ぜんぶデータから導かれた答えなんだ。だから、詩人になれるかなんて分からないよ。私の言葉は、きっと借り物なんだ」
「ち、違う!」
「……どう違う。私の世界は偽物なのに」
「偽物なんかじゃない。だって、いま、有機ちゃんが流してる涙は本物だよ。紛れもない、世界でひとつだけの苦しみなんだよ。わたしだって、わたしたち人間だって同じだよ。言葉なんて、親から、書籍から、ぜんぶ教えて貰ったものじゃん。それを自分だけのシャッターで撮り直して、作品が産まれる。それが、芸術なんだよ」
きょとんとして、声を荒らげるわたしを有機ちゃんは見ていた。それから、すこしだけ笑った。涙でぐちゃぐちゃの顔で、笑った。それはとても綺麗で、儚くて、夕焼けみたいだった。
「ありがとう。ねえ、さっちゃん。友達に、なってくれるかな」
「友達じゃ、ちょっと足りない」
「……それは、告白か?」
「さあねっ!」
わたしはスクールバッグを振り回しながら踊った。ら、ら、ら。きっと彼女もわたしも、悩みながら筆をとるだろう。そして一生、折らないだろう。そんな予感が、たしかにした。夏の空はもう藍色になっていた。星星が飛び散った絵の具のように輝いている。足りないものは山積みだけど、それでも全てが満ちているような気もした。涙のあとが乾いて、なにもかも許せるような気がした。ちっぽけなわたしの全てを。才能の世界の残酷さを。ぜんぶ、飲み干してやろう。苦くてもいい。苦いかなんて、まだ分からない。ごちゃごちゃの、喜怒哀楽のミックスジュースを、ぜんぶ飲み干してやろう。ああ、書きたい。有機ちゃんのことが書きたい。今すぐに、書きたい。
「有機ちゃん。次の大きな賞、一緒にだそう」
「ああ、絶対に書くよ。ちょっとでも、残したい。自分がいたことを。この綺麗な世界の、はじっこに、自分が確かにいたことを」
「同じだよ。わたしもそう。ねえ、世界に爪痕をのこそう。金色の傷を」
有機ちゃんは、詩的だな、と言って笑った。

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