あの落書きと世紀末

ぼくには、当然友達がいなかった。赤いランドセルにはくっきりと靴底のあとがついている。ぼくは余り物なのだ。「冗談」がわからないから、いつも嫌われる。なんで笑わないんだよ、馬鹿にしてんのか、と今日も蹴られてしまった。「共感」ができないから、いつも憎まれる。どうして分かってくれないの、とヒステリックに叫ばれる。だから、駅のトイレがすきだった。だれも蹴らないし、どならないから。
トイレのなかは落書きだらけだった。たまにその言葉が、ぼくを殺しにくる。例えば、シネ、とか、バカヤロウとか。全部ぼくに向けて書かれている気がした。ふ、と新しい文字列を見つけた。「たすけて。寂しい。」と、書かれていた。それに、電話番号も。ぼくは気が付くとそれをメモして、ドアを開けた。
「……もしもし?」
「え、誰ですか?」
「あの、えっと、駅のトイレに、番号、書いてあったから」
するとその女の子は、心底おかしそうに笑った。でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「あー、本当にかけてくる人、いるんだ。確かに書いたよ、あの日はね、彼氏に捨てられちゃったわけ。ポイって、ゴミみたいに。でもキミみたいな子供に心配かけるとはねぇ」
「じゃあ、あなたは……今は寂しいですか?」
電話ボックスに、沈黙がつもっていく。まずいことを言ったのか、と冬なのに冷や汗が出る。
「んー、まあ、寂しいかなあ。でもどうでもいいよ、もう。もうすぐ全部終わるんだもん」
「ぜんぶ、おわる?」
「そう。知らない?ノストラダムスの大予言」
「はあ。知ってますけど、あんなのきっと嘘ですよ」
「……そっか。そうだね」
そしてまた沈黙になった。ぼくは明日のパンを買う分の百円を入れる。ぶる、と身体が震えて、今日はマフラーを持ってくるべきだったな、とぼんやり考えた。
「なら、もう自分で終わらせるしかないね」
「えっ?」
「世界が、終わらないなら。自分が死ぬしかない」
「死にたいんですか?」
「まあ、死にたいね。就職も、恋愛も、実家も、なんにも上手くいかないし。世界に色がないって言うか。なにやってもつまんないし……って、子供に話すようなことじゃないか」
「ぼくも」
「……ぼくも?」
「ぼくも、死にたいです。なんにも上手くいかない。友達もできない。ママには怒鳴られるし、パパはお家に居ない。ゲームは持ってるけど、つまんないですよ」
「キミ、ゲーム何持ってる?」
「へ?えっと、ポケモンの銀のほう」
「アタシ、金の方持ってる。ね、勝負する?」
「いや、えっと……知らない人と会っちゃダメだから」
「そりゃそうだ」
そしてまた、からからと笑った。すごく楽しそうな声だけど、苦しそう、と思った。
「キミ、どうせ公衆電話でしょ?お金、勿体ないから。そろそろ切るね」
「あ、待ってください。また、かけてもいいですか」
「……いいよ。じゃあね」
ツー、ツー、と耳から脳に、後悔が刺さった。やっぱり、会えばよかっただろうか。ゲームすればよかったのだろうか。あの人が死んでしまったら、ぼくはどうしたらいいんだろう。初めて、一緒に遊ぼうって、言われた。
それから、ぼくが彼女に電話することはなかった。二千年になっても世界は終わらなかったけれど、トイレの壁は真っ白に塗り直されていた。

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